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ドゥームズデイ・ブック

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ドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)とは、イングランド王ウィリアム1世(在位1066-87)の命によって1086年から行われたイングランドの土地調査(ドゥームズデイ調査(Doomsday Survey))に基づく、グレート・ドゥームズデイ・ブック(Great Domesday Book)とリトル・ドゥームズデイ・ブック(Little Domesday Book)の二冊組の調査記録である。ウィリアム1世死後、十一世紀末までにまとめられた(1鶴島博和「訳註」(ハーヴェー、バーバラ(2012)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史(4) 12・13世紀 1066年~1280年頃』慶應義塾大学出版会,349頁))。1066年の征服時と調査時の土地保有の推移や資源の状況などが詳細に記録され、十一世紀のイングランド社会を知る重要な史料となっている。また、作成された目的については資産を確認する租税台帳とする説や所領の確認をする土地台帳とする説など諸説あり現在も議論が続いている(2鶴島博和(2012)350頁)。

「この検地をウィリアムが思い立った動機についてはさまざまな推測がなされているが、いずれにせよ彼はこの調査によって征服後生じた土地所有関係の変化を最終的に確認し、これを記録にとどめて確定したのであり、それゆえこれを記録した書物は征服後の土地に対する権利関係についての最終的な権威ある証拠という意味で、十二世紀以来『ドゥームズデイ・ブック』(最後の審判の日の書)とよばれている。」(3城戸毅「第六章 イングランド封建国家」(青山吉信編(1991)『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』山川出版社,213-214頁)

ドゥームズデイ調査の手法としては、イングランドを七つの巡回区に分け、担当巡回区に所領を持たない調査委員が派遣され、各地方の陪審が代表となって宣誓の上で回答を行った。リトル・ドゥームズデイ・ブックにはエセックス、ノーフォークとサフォークの記録がまとめられ、グレート・ドゥームズデイ・ブックにはティーズ川以南のそれ以外の州について記録されている(4鶴島博和(2012)349頁)。

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ドゥームズデイ・ブックからわかること

「11世紀ウォリックシャーのドゥームズデイ・ブックの写本」(イギリス国立公文書館収蔵)/パブリックドメイン画像、 via Wikimedia Commons

「11世紀ウォリックシャーのドゥームズデイ・ブックの写本」(イギリス国立公文書館収蔵)/パブリックドメイン画像、 via Wikimedia Commons

ドゥームズデイ・ブックの記録からイングランド北部に関する情報が少ない点でノルマン王権がイングランド南部を基盤としていたこと(5デイヴィッド・ベイツ「一一六〇年頃までの王権、統治、そして政治生活」(バーバラ・ハーヴェー編(2012)『オックスフォード ブリテン諸島の歴史(4) 12・13世紀 1066年~1280年頃』慶應義塾大学出版会,101頁))、土地保有者の入れ替わりから従来のアングロ・サクソン系貴族にかわってノルマン征服以後にイングランドに来たノルマン系貴族へと土地保有者が大きく入れ替わる「土地保有革命(tenurial revolution)」があったこと(6鶴島博和(2012)350頁)、一方で土地保有の継続性も認められ多様性があること(7鶴島博和(2012)351頁)などがわかっている。

また、領主支配の単位をマナー(manerium)と呼んでおり、当時の領主支配権のありようについてもうかがい知ることができる。ただし、面積・価値・形体などマナーの内部構造は多様で一概に定義できるものではなく、「ドゥームズデイ・ブックのマナーとは、どのような形体であれ所領経営の中心となる領主の館」(8鶴島博和(2012)357頁)を指すにとどまる。マナー居住者として村民(villanus)・小屋住農(bordarius)と呼ばれる零細保有農と非自由民としての奴隷(servus)が存在していた(9鶴島博和(2012)357-358頁)。

ウィリアム1世の王権による土地保有の再編成が行われ、「地方の問題に対し王の関与と統制が強化されたこと」(10ベイツ(2012)103頁)を示す一方で、「文書にせよ口頭にせよ、このような王権の介入についての言及が非常に少ないことは、ほぼ自立的なコミュニティの生活において、王権の介入がほとんど役割を果たしていなかったことを示している」(11ベイツ(2012)103頁)。

いずれにしろ中世の土地調査記録として歴史上非常に重要な史料であり、以後十二世紀にかけてヘンリ1世、ヘンリ2世らによるパイプ・ロールと呼ばれる会計報告記録や十三世紀のエドワード1世によるハンドレッド・ロールという土地保有者の調査記録が続くことになる。

参考文献

脚注

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