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剛腕のグレウルウィド

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剛腕のグレウルウィド(ウェールズ語” Glewlwyd Gafaelfawr”,グレウルウィド・ガヴァエルヴァウル)はウェールズの伝承に登場するアルスル(アーサー王)の王宮の城門を守る門番の戦士である。巨人とみられる。名前のグレウルウィドとは「灰色の豪傑」の意味( 1森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房訳注xi)。「キルフーフとオルウェン」などの「マビノギオン」収録作品群を始めウェールズのアーサー王伝承において非常に重要な登場人物であったが、大陸でのアーサー王物語群には伝わらなかった。

Alfred Fredericks「アーサー王宮廷に入るキルフーフ」(1881年)/パブリックドメイン画像

Alfred Fredericks「アーサー王宮廷に入るキルフーフ」(1881年)/パブリックドメイン画像

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「剛腕のグレウルウィド」の伝承

「キルフーフとオルウェン」で、アルスルの宮廷ケスリ・ウィッグ(2コーンウォール地方のどこかと見られている架空の城。ペン・グワエズ岬の突端ランズ・エンドとする説が有力(森野聡子(2019)385頁))を訪れアルスルに面会を求めるキルフーフの前に立ちはだかるのがグレウルウィドである。入城を求めるキルフーフに対し、グレウルウィドは以下のように答えてキルフーフを退ける。

『ナイフが肉を切り分け、酒が杯に注がれ、ざわめきがアーサー王の大広間に満ちている。由緒正しき王の息子か、何か技をたずさえた匠以外は誰も入れぬ。犬どもにはえさを、馬には麦を、おぬしには胡椒をかけた熱々の肉と杯になみなみと注がれたワイン、それに余興の音楽つき。五〇人前の食事がおぬしの宿所に届く。そこで食事をとるのは遠国の旅人や国王以外の君主の息子たち、アーサーの宮廷で技を披露せぬ者たちだ。悪くはないぞ、廷内のアーサーにも劣らぬもてなしだ。床をともにする女はいるし、余興の唄もあるのだからな。明日の三時課(朝九時前)に、今日来た大勢の連中の目の前で門が開かれるが、おぬしには真っ先に門があく。そうしたらすわれるぞ、アーサーの大広間のお望みの場所に、上座でも下座でも好きなところを選べばいい。』(3森野聡子(2019)18頁

後述するように、グレウルウィドが門番に立つこの日は正月にあたり、すでに新年の祝宴が始まっていることが語られ、今日入城できるのは王族や一芸に秀でたものなど選ばれた者だけで、明日、一般にも開放されるのでそのとき来ればいいという。これに対してキルフーフは『どれもお断りだ』(4森野聡子(2019)19頁)と突っぱねて即座の入城を主張し、大きな声で叫んで不名誉を与えると譲らない。グレウルウィドはこのキルフーフのかたくなな態度にも動じず『好きなだけ吠えるがいい』(5森野聡子(2019)19頁)と突き放して入城させないようにしつつアルスルへ報告に向かう。アルスルの前で、グレウルウィドはキルフーフに対して見せていた厳格さとは反対に、面会することを進言する。

『容貌すぐれし貴公子はわれらもさんざん見てきたが、あれほど眉目秀麗な者は見たことがない。そんな男が今、門に来ているというわけだ』(6森野聡子(2019)20頁

門番としてただ単に訪問者を退けるだけなのではなく、正しく人を見る目があり、主君に会わせるべき人物を適切に見定めていることが描かれている。「マビノギオン」の三大アーサー王ロマンスの一つ「オワインまたは泉の女伯爵の物語」でもアルスル王の居城カエル・スリオン(7現在のウェールズ地方の都市カーリオン(英語” Caerleon”,ウェールズ語” Caerllion”)と同定される架空の城。)の門番として『客人や遠方からの旅人を出迎え、礼をもって遇し、宮廷のしきたりや習いを知らせた。すなわち、ある者には大広間や部屋へ入ってよいと伝え、ある者は宿舎へ通すこととして振り分けていたのである』(8森野聡子(2019)176頁)と、その仕事ぶりが描かれている。

現存最古のウェールズ語写本「カエルヴァルジン(カーマーゼン)の黒本」に収録されている「門番は何者か(Pa gur)」(九世紀頃~1100年頃の成立9邦題は木村正俊/松村賢一(2017)『ケルト文化事典』東京堂出版259頁参照。成立年代については議論があり、正確な時期は不明で、9世紀または8世紀に遡るとする意見もあるが、現在は1100年頃とみるのが主流である(Glyn Hnutu-healh.’Pa Gur/Gwr yv Y Porthaur?‘ ,Arthurian Legends.))は、アルスルとグレウルウィドとの対話で進む詩で、このときのグレウルウィドはアルスルの配下ではない。まずアルスルが「門番は何者か?」と問い、これに門番が「剛腕のグレウルウィドである」と答えて問い返し、「アルスルと公正なカイ(Cai the Fair)である」とアルスルが応じ、「何者と共に来たのか」とグレウルウィドが問うと「世界最高の男たちだ(The best men in the world)」とアルスルが胸を張って、カイ(ケイ卿)とベドウィール(ベディヴィア卿)を始めとした配下の戦士たちについて語り始める(10『門番は何者か』英訳Bollard, John K.(1994)’ The Romance of Arthur: An Anthology of Medieval Texts in Translation‘Psychology Press,pp17-18.参照)。詩自体は断片しか残っていないが、初期のアルスル伝承に関する重要な文献の一つで、ここでもグレウルウィドは門番の職務に忠実な男として描かれている。

門番筆頭にしてアーサー王の宮廷24騎士の一人

グレウルウィドはただの門番ではない。「キルフーフとオルウェン」によれば彼が門番を務めるのは元日だけで、普段は彼の他に早耳のヒアンダウ、ちびの屠殺屋ゴギグール、ぐずのスラエス・カミン、独楽頭のペンピンギオンの四人がいて交替で門番を務めるとされる。トゥルッフ・トゥルウィス討伐戦で彼ら四人はグレウルウィドの家来として参戦、ヒアンダウ、ゴギグール、ペンピンギオンの三人が戦死しており、グレウルウィドは門番を統括する立場にあることがわかる。

「マビノギオン」の三大アーサー王ロマンスの一つ「エルビンの息子ゲライントの物語」でもアルスル王の居城カエル・スリオンの門番として登場し、門番たちの筆頭とされ、門番に立つのはクリスマス、復活祭、聖誕降臨祭の三大祝祭のときだけで、それ以外は彼の配下が交替で務めるものとされている。そのメンバーは「キルフーフとオルウェン」と若干違いがあり、グリン、ペンピンギオン、スラエスガミン、ゴガヴルフ、猫眼のグルーズナイ、遠目のドレミディーズの息子ドレム、聞き耳のクロストヴェイニーズの息子クリストの七人であるという。

ウェールズの三題詩の一つ、「アルスル(アーサー)の宮廷の二十四騎士(The Twenty-Four Knights of Arthur’s Court)」で「アルスル(アーサー)の宮廷の三人の攻撃的騎士」としてグレウルウィドが挙げられ、身体の大きさと強さと獰猛さが特徴であるとされている(11Jones,Mary.’The Twenty-Four Knights of King Arthur’s Court)。また、「ブリテン島の三題歌(Triads of Ynys Prydein)」で、カムランの戦いから生還した三人の男の一人として挙げられ、彼の身体の大きさと強さゆえに戦場では誰も彼の前に立つことができなかったとされる(12Stephens,Dylan.’Triads of Ynys Prydein)。

「キルフーフとオルウェン」でアルスルにキルフーフの来訪を報告する際、グレウルウィドは『我が人生の三分の二が過ぎ、三分の二を殿も過ごされた』(13森野聡子(2019)19頁)と古くからアルスルに仕えていることを語り、かつてアルスルに従って赴いたかつての冒険の数々を挙げている。アルスルと共に世界各地を訪れ様々な戦いに参加しており、かなりの古参の勇士であったことが伺える。

参考文献

脚注

  • 1
    森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房訳注xi
  • 2
    コーンウォール地方のどこかと見られている架空の城。ペン・グワエズ岬の突端ランズ・エンドとする説が有力(森野聡子(2019)385頁)
  • 3
    森野聡子(2019)18頁
  • 4
    森野聡子(2019)19頁
  • 5
    森野聡子(2019)19頁
  • 6
    森野聡子(2019)20頁
  • 7
    現在のウェールズ地方の都市カーリオン(英語” Caerleon”,ウェールズ語” Caerllion”)と同定される架空の城。
  • 8
    森野聡子(2019)176頁
  • 9
    邦題は木村正俊/松村賢一(2017)『ケルト文化事典』東京堂出版259頁参照。成立年代については議論があり、正確な時期は不明で、9世紀または8世紀に遡るとする意見もあるが、現在は1100年頃とみるのが主流である(Glyn Hnutu-healh.’Pa Gur/Gwr yv Y Porthaur?‘ ,Arthurian Legends.)
  • 10
    『門番は何者か』英訳Bollard, John K.(1994)’ The Romance of Arthur: An Anthology of Medieval Texts in Translation‘Psychology Press,pp17-18.参照
  • 11
  • 12
    Stephens,Dylan.’Triads of Ynys Prydein
  • 13
    森野聡子(2019)19頁
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