カッシート朝バビロニア王国

カッシート人は紀元前十八世紀頃に登場し、メソポタミア東方ザグロス山岳地帯のディヤラ川上流地帯を越えてバビロニアに侵入、ヒッタイト王国によって滅ぼされた古バビロニア王国に代わって、カッシート朝バビロニア王国(バビロン第3王朝、前1595年~前1155年)を開いた。前1155年、エラムの侵攻によって滅ぼされた。

カッシート人の侵攻

ハンムラビ王死後、子のサムス・イルナ(前1749~前1712年)がバビロン王位を継ぐと初期は安定した治世が続いたが、やがて諸外国の侵攻や反乱が頻発してその支配が揺らいだ。

カッシートについての最初の記録はサムス・イルナ王治世九年の年名「カッシート軍の年」で、このときディヤラ川上流域からバビロニアに侵攻してサムス・イルナ王に撃退されている。

カッシート人の起源は定かではなく、非セム系の民族で、かつてはインド=ヨーロッパ語族説があったが現在は支持されていない。独自のカッシート語を使うが、書き文字はバビロニア語を使用した。(1大貫良夫,前川和也,渡辺和子,屋形禎亮(2000)『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント(中公文庫)』中央公論新社309頁)メソポタミア東方ザグロス山岳地帯からメソポタミアへ侵入してきている。

カッシート朝バビロニア王国の誕生

古バビロニア王国は紀元前1740年以降王権が弱体化、南部一帯は「海の国第1王朝」が支配下に置いて分裂状態となっていた。カッシート王朝成立以前の、この時期のカッシート人たちについて詳しくはわかっていないが、「バビロニア王名表」では、前1155年の滅亡まで36人の王が576年9カ月に渡って統治したといい、遡ると前1731~32年頃となる。カッシート王朝時代も、記録が残るのは前十四世紀以降のことで前半はほとんどわかっていない。

紀元前1595年、ヒッタイト王ムルシリ1世の侵攻によってバビロンが陥落して古バビロニア王国が滅亡すると、ヒッタイト軍撤退後にバビロンに入ったカッシート人が王朝を建ててカッシート朝バビロニア王国(バビロン第3王朝、前1595年~前1155年)が始まった。前1475年、カッシートの王族ウラム・ブリアシュ率いるカッシート軍はメソポタミア南部を支配下としていた「海の国第1王朝」を滅ぼしバビロニアの再統一に成功する。以後300年に渡りバビロニアに安定をもたらし、エジプト、アッシリア、ミタンニ、ヒッタイトなどとともに古代オリエント世界の国際関係における大国の一つとして勢力を誇った。

カッシート諸王とオリエント外交

「紀元前1400年ごろのオリエント世界」

「紀元前1400年ごろのオリエント世界」
wikimedia commonsより/ © User:Ayselmemmedzade7 [CC BY-SA 3.0 ]

カダシュマン・エンリル1世(前1374年頃~前1360年頃)、ブルナ・ブリアシュ2世(前1359年頃~前1333年頃)とエジプト王アメンホテプ3世(前1390年頃~前1353年頃)、アメンホテプ4世(アクエンアテン、前1353年頃~前1336年頃)との外交文書が「アマルナ文書」に残っている。

アメンホテプ3世とカダシュマン・エンリル1世の間では政略結婚や贈答品に関する話題が中心で、特に政略結婚を巡る両者の駆け引きが具体的だ。カダシュマン・エンリル1世の王女を求めるアメンホテプ3世に対し、カダシュマン・エンリル1世はエジプト王女との婚姻を求め、「エジプトの王女は(外国の)だれにも与えられないのだ」(2大貫他(2000)315頁)との拒絶を経て、黄金と引き換えでのバビロニア王女の婚姻が成立している。

ブルナ・ブリアシュ2世に対するアクエンアテンの書簡は粘土板で三〇〇行以上に及ぶ長大な贈り物の一覧で知られ、『黄金製品、銀製品、青銅製品があり、香水や香油の容器、指輪、足首飾り、首飾り、玉座、鏡、亜麻布、石鉢、黒檀の箱など』(3クライン、エリック・H(2018)『B.C.1177 古代グローバル世界の崩壊』筑摩書房91頁)が列挙される。また、贈物を運ぶキャラバンが二度に渡って襲撃されたことについて、ブルナ・ブリアシュ2世からアクエンアテンに対して犯人の逮捕を求めるなど管轄責任を追及する書簡が残っている。

外交関係の史料からもカッシート朝バビロニア王国はミタンニやヒッタイトなどと同様にエジプトと対等の外交関係にあり、当時の勢力均衡状態が窺える内容となっている。

前十四世紀半ば頃からアッシュル・ウバリト1世(前1363年頃~前1328年頃)治世下で力をつけはじめたアッシリアは、ブルナ・ブリアシュ2世の娘を王妃に迎えた。ブルナ・ブリアシュ2世はアッシリアを牽制してヒッタイトへ接近、王女をシュビルリウマ1世に輿入れさせるとともに、エジプト王に対し『アッシリアの私の臣下たちをあなたに送ったのは私ではありません。なぜ彼らは勝手にあなたの国へ行ったのでしょう・・・彼らに何も持たせずに帰らせてください』(4大貫他(2000)316-317頁)との文書を送っている。

アッシリア王アッシュル・ウバリト1世はブルナ・ブリアシュ2世王死後のバビロニア王位継承を巡る内紛に際してバビロンに攻め入り、ブルナ・ブリアシュ2世の王子グリガルズ2世(前1322年~1308年)を王位に就け傀儡とした(5大貫他(2000)317頁)。後にグリガルズ2世はアッシリア軍と戦って勝利しカッシートに有利な二国間条約を締結している(6「グリガルズ」(日本オリエント学会(2019)『古代オリエント事典 2 事典 ア-サ』岩波書店))。

カッシートの内政

グリガルズ1世(?~前1374年頃)はカダシュマン・エンリル1世の父で、娘をエジプトに送るなど緊密な外交関係を築き、エジプトからの大量の金の流入も記録されている。グリガルズ1世はバビロン近郊に自身の名を冠した都市ドゥル・グリガルズを築くなど、カッシート朝の隆盛で名を残した。(7「グリガルズ」(日本オリエント学会(2019)))グリガルズ2世の治世下で活発な経済活動を示す文書が出土している(「総論 III歴史」(8日本オリエント学会(2019)『古代オリエント事典 1 総論・付編』岩波書店40~41頁))。

「カッシート時代のクドゥル」ルーヴル美術館蔵

「カッシート時代のクドゥル」ルーヴル美術館蔵

カッシート王朝時代の前十四世紀半ば以降、クドゥルと呼ばれる石碑が各地に設置された。クドゥルには『神々のシンボル(太陽円盤=シャマシュ、三日月形=シン、星形=イシュタル、等)と土地贈与に関する記述および違法者に対する呪いの文が刻まれ』(9「クドゥル」(日本オリエント学会(2019)))、神殿に安置された。

『それは王から土地を授与されたり、あるいは土地について免税措置を受けたときに、その証書(印章が押された粘土板文書)の文面を石碑に書き写し、さらに神々のシンボルを刻んで、該当する土地に立てたものと考えられる。そこから「境界石」ともよばれている。』(10大貫他(2000)319頁

カッシート朝時代、歴代の王は支配地域をカルドゥニアシュと呼んだ。カッシート語起源の呼称と考えられ、カラインダシュ王(前1413年頃)から使われている。カッシート朝滅亡後バビロニアを支配したアッシリア王も使用した。(11「カルドゥニアシュ」(日本オリエント学会(2019)

カッシートの滅亡

前十三世紀、トゥクルティ・ニルヌタ1世(前1243年~前1207年)の治世下で強大化したアッシリアはバビロニアに攻め込みカシュ・ティリアシュ4世(在位1232~前1225年)をアッシリアへ連行する事件が起こった。

続くアダド・シュマ・ウツル王(前1216年~前1187年)の治世下で盛り返すが、その死後、今度はエラムの侵攻が相次ぎ、前1155年、エラム王クティル・ナフンテによってエンリル・ナディン・アヒ王(前1157年~前1155年)とバビロンの守護神マルドゥク神像がともにエラムに連れ去られ、カッシート王朝は滅亡した。

カッシート王朝滅亡後、イシン第2王朝が成立、ネブカドネザル1世時代にエラムからマルドゥク神像を奪還するなど最盛期を迎えるが短命に終わり「海の国第2王朝」などいくつかの王朝が乱立したのち、アッシリアがメソポタミアを支配下に置くことになった。

滅亡後のカッシート人は前九世紀頃まで行政上のポストに就いていた。後にアレクサンドロス大王の侵攻を迎え撃ったアケメネス朝ペルシアの部隊に編制され、アレクサンドロス大王は山岳地帯に籠るカッシート人へ討伐軍を送った。

カッシート王名表

1.ガンダシュ
2.アグム1世
3.カシュ・ティリアシュ1世
4.不詳
5.不詳
6.ウルジグルマシュ
7.ハルバ・X
8.不詳
9.不詳
10.ブルナ・ブリアシュ1世
11.不詳
12.不詳
13.不詳
14.不詳
15.カラインダシュ
16.カダシュマン・ハルベ1世
17.グリガルズ1世
18.カダシュマン・エンリル1世
19.ブルナ・ブリアシュ2世
20カラハルダシュ
21.ナジ・ブガシュ
22.グリガルズ2世
23.ナジ・マルッタシュ
24.カダシュマン・トゥルグ
25.カダシュマン・エンリル2世
26.クドゥル・エンリル
27.シャガラクティ・シュリアシュ
28.カシュ・ティリアシュ4世
29.エンリル・ナディン・シュミ
30.カダシュマン・ハルベ2世
31.アダド・シュマ・イッディナ
32.アダド・シュマ・ウツル
33.メリ・シバク
34.メロダク・バルアダン1世
35.ザババ・シュマ・イッディナ
36.エンリル・ナディン・アヒ(12「王名一覧」(日本オリエント学会(2019)『古代オリエント事典 4 付録・索引』岩波書店)

参考文献

脚注

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