歴代イギリス君主の一覧

ここでは1707年のグレート・ブリテン王国成立による政治的統合以来、2022年9月11日現在までに誕生した13人のイギリスの君主を一覧にしている。ここでいうイギリスとはグレート・ブリテン王国(1707年5月1日-1800年12月31日)、グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国(1801年1月1日-1922年12月6日1アイルランド自由国の建国)、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国(1922年12月6日2グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国への改称は1927年4月12日制定の「1927年王室と議会の称号法(Royal and Parliamentary Titles Act 1927)」-現在)

統合以前のイングランド王および前身のウェセックス王とスコットランド王の一覧は以下のリンク先の記事参照。

歴代ウェセックス王の一覧
ウェセックス王国の王の一覧 代数 王名 在位期間 主な事績 1 チェアディッチ() Cerdic 519-534年 建国者。495年にブリテン島に上陸し、519年にウェセックス王に即位した。 2 キンリッチ() Cynric 534-560年 チェアディッチの子。父とともに来訪し対ブリトン人戦争で活躍。 3 チェウリン ...
歴代イングランド君主の一覧
イングランドの君主を一覧にする際、どこまでさかのぼるか?については様々な考え方がある。第一は九世紀前半、七王国時代の諸国に君臨したマーシア王国を滅ぼしてウェセックス王国の優位を確立し、以後歴代ウェセックス王家=イングランド王家の直系の祖となったエグバート王(在位802-839年)から数えるもの、第二はヴァイキングの支配領域(デーンロー)と勢力を二分する唯一のアングロ・サクソン人の王国となったことで...
歴代スコットランド王の一覧
スコットランド王国は九世紀頃、ピクト人、スコット人、ブリトン人などの諸族が一つの王権の下に統合して成立したアルバ王国を起源としている。アルバはゲール語で元来ブリテン島を指す言葉だったが九世紀の終わりごろまでにこの統合王権を指すようになった。また、スコット人はアイルランド人を、スコウシア(スコットランド)もアイルランドを指した言葉だったが、十二世紀頃までに現在のスコットランド地方とそこに住む人々を指...

ステュアート家

王名
在位期間
主な事績
アン
Anne
1707年5月1日-1714年8月1日
メアリ2世の妹。イングランド女王・スコットランド女王(1702-1707)。1707年、合同法を施行しスコットランドとイングランドの議会を統合し初代グレート・ブリテン女王となった。持病の痛風と肥満で身動きがとれず、軍事外交はマールバラ公に、内政は大蔵卿ゴドルフィン伯爵に一任した。

ハノーヴァー家

王名
在位期間
主な事績
ジョージ1世
George I
1714年8月1日-1727年6月11日
ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストの子。母ゾフィーはジェームズ1世の孫。英語を話せなかったため議会に出席せずロバート・ウォルポールに政務を一任したことで「君臨すれども統治せず」の先例となり責任内閣制の発展を促した。
ジョージ2世
George II
1727年6月11日-1760年10月25日
前王の子。本領であるハノーファー選帝侯領と行き来し、父王を踏襲してウォルポールに政務を一任したため治世下で引き続き責任内閣制が発展した。オーストリア継承戦争、七年戦争に参戦、ジャコバイトの反乱の鎮圧など。
ジョージ3世
George III
1760年10月25日-1820年1月29日
前王の孫。大ピット・小ピット親子を重用して責任内閣制下における首相の地位を確立。アメリカ植民地を巡って失政を繰り返しアメリカ合衆国の独立を招く。1801年、アイルランドとの連合が実現し連合王国が成立。対ナポレオン戦争の勝利など。失政も多く専制的傾向が強かったため国民からは不人気だったが治世下で産業革命が始まるなど英国は大きく発展した。精神疾患の持病を繰り返し発病し晩年は王太子ジョージが摂政となった。
ジョージ4世
George IV
1820年1月29日-1830年6月26日
前王の子。1810年から病床の父王に代わって摂政として国務を執った。女性関係でスキャンダルが多く浪費と放蕩で国王の威信を大きく傷つけたとして多くの悪評がたてられた。治世の後半は放蕩生活による肥満と多くの持病で寝たきりとなった。
ウィリアム4世
William IV
1830年6月26日-1837年6月20日
ジョージ3世の三男。前王の弟。経歴から「船乗り王」と呼ばれる。青年時代は海軍に入って一般の兵士と同様の生活を送り、後にネルソン提督指揮下で活躍。1827年、カニング内閣で海軍卿として入閣した。即位時65歳と高齢だったが前王の治世を改め質素で勤勉な王となりグレイ内閣の選挙制度改革を後押しして自由主義改革の先鞭をつけるなど、短い治世ながら成果を残した。
ヴィクトリア
Victoria
1837年6月20日-1901年1月22日
ジョージ3世の四男ケント公エドワードの子。彼女の長い治世はヴィクトリア朝時代と言われる。治世初期首相メルバーン子爵の補佐を受けて立憲君主として成長した。「世界の工場」と呼ばれた卓越した工業生産力を背景に世界各地に植民地を獲得、1871年インド皇帝に即位し「パクス・ブリタニカ」と呼ばれる植民地帝国が築かれた。国内では工業化の歪みでチャーティスト運動など階級闘争が激化、慢性的な貧困・労働問題を抱えた。1851年、夫アルバート公の尽力でロンドン万国博覧会が開催された。子供たちを欧州諸国の王族と婚姻させ「ヨーロッパの祖母」と呼ばれた。

サクス=コバーグ・ゴータ家(1901-1917)/ウィンザー家(1917-現在)

王名
在位期間
主な事績
エドワード7世
Edward VII
1901年1月22日-1910年5月6日
ヴィクトリア女王と王配サクス=コバーグ・ゴータ公子アルバートの間の子。60歳で即位。王太子時代の素行と女性関係から不人気だったが、即位後は第一次世界大戦前の緊張した国際情勢下で日英同盟、英仏協商、英露協商などを相次いで締結し「ピースメーカー」と呼ばれた。
ジョージ5世
George V
1910年5月6日-1936年1月20日
前王の次男。長男クラレンス公の死で後継者へ。第一次世界大戦と戦間期の危機の時代に立憲君主としての立場を守り敬愛を集めた。1917年、国民感情に配慮しドイツ由来の家名をウィンザーに改めた。1931年ウェストミンスター憲章で帝国のコモンウェルス(イギリス連邦)化を進めた。他アイルランド共和国の成立や労働党に初組閣を命じる等
エドワード8世
Edward VIII
1936年1月20日-1936年12月11日
ジョージ5世の子。王太子時代、派手な女性関係で知られたが、1930年以降米国人女性ウォリス・シンプソンとの恋愛一筋となった。即位後ウォリスとの関係破棄を求められたが拒否して退位し、ウィンザー公としてウォリスと結婚、余生を送った。
ジョージ6世
George VI
1936年12月11日-1952年2月6日
ジョージ5世の次男、前王の弟。兄王の退位で急遽即位。生来の吃音症の克服に努める。第二次世界大戦中、国民の苦難に寄り添う姿勢を示し人気を博した。チャーチルによる戦争指揮に信任。戦後、旧植民地の相次ぐ独立の中でイギリス連邦の君主としての立場を示した。自身は保守的だったが福祉国家化を推進した労働党アトリー政権の政策にも立憲君主として節度ある態度を守る
エリザベス2世
Elizabeth II
1952年2月6日-2022年9月8日
前王の子。在位期間70年214日は英国君主としては歴代最長。即位にともない英国女王およびコモンウェルスの首長に就任。冷戦、北アイルランドの紛争、アフリカの脱植民地化、連合王国の欧州共同体への加盟とEUからの離脱、経済的衰退、スコットランド独立運動と分権化、家族の様々なトラブルと王室への批判など国内外の諸問題と現代社会の大きな政治的変化の中で立憲君主として君臨し、国民からの敬愛も強かった。
チャールズ3世
Charles III
2022年9月8日-現在
前王の子。母エリザベス2世の死に伴い即位。74歳の即位は英国君主としては歴代最高齢。

参考文献

脚注

  • 1
    アイルランド自由国の建国
  • 2
    グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国への改称は1927年4月12日制定の「1927年王室と議会の称号法(Royal and Parliamentary Titles Act 1927)」
タイトルとURLをコピーしました