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人物

カンタベリーの聖アウグスティヌス

カンタベリーの聖アウグスティヌス(ラテン語Augustinus,英語Saint Augustine of Canterbury)は六世紀、ローマ教会に所属していた修道士。597年、ローマ教皇グレゴリウス1世の命でアングロ・サクソン人へキリスト教を布教すべく40名の宣教師団を率いてブリテン島へ上陸、ケント王エゼルベルフトを改宗させケント王国を中心としたイングランド南東部に布教した。597年から初代カ...
歴史的文書

「アングロ・サクソン年代記」

「アングロ・サクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicle)」はアルフレッド大王治世下の九世紀末、当時、残っていた古い記録や文書、民間の伝承を集め、デーン人の侵攻を中心に同時代の記録を追加されて編纂が始められた年代記形式の歴史書。後に複数の写本が作られて各地の教会や修道院でそれぞれ書き継がれ、これらの写本類をあわせると、西暦0年から1154年までの記録が残されている。複数の写本で構成さ...
文化・芸術

「アーダーの聖杯」

「アーダーの聖杯(Ardagh Chalice)」は八世紀半ば頃に制作された、聖杯(Chalice)としてカトリック教会の典礼で使われたとみられる銀製の杯。1868年、アイルランド南西部リムリック県アーダーのじゃがいも畑で四つのブローチや銅杯と一緒に発見され、精巧な装飾が施された豪華な作りの聖杯であったことから、当時盛り上がりを見せていたケルト復興運動(Celtic Revival)のアイコンとし...
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社会・法

ドゥームズデイ・ブック

ドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)とは、イングランド王ウィリアム1世(在位1066-87)の命によって1086年から行われたイングランドの土地調査(ドゥームズデイ調査(Doomsday Survey))に基づく、グレート・ドゥームズデイ・ブック(Great Domesday Book)とリトル・ドゥームズデイ・ブック(Little Domesday Book)の二冊組の調査記録で...
社会・法

民会(古ゲルマン)

「民会(ディング," Thing ")」は古ゲルマン人部族社会において意思決定を行った会議体。『武装能力を有する自由人男子が特定の期日に集まり、部族にとって重要な問題について協議した。』()。スカンディナビア半島を中心にアイスランド、ブリテン諸島、フリジア(現在のドイツからオランダにかけての北海沿岸地域)などで見られた。なお、歴史用語としては古代ギリシアのエクレシア(ギリシア語 “ἐκκλησία...
人物

ノーサンブリアのエドウィン(デイラとバーニシアの王)

エドウィン(英語:Edwin,古英語:Ēadwine,586年頃生-633年10月12日没)は七世紀始め、ノーサンブリア地方一帯を支配した君主。586年頃、デイラ王国のエッレ王の子として生まれたが、604年頃、バーニシア王エセルフリスによってデイラ王国が征服されたため亡命し、イースト・アングリア王国のレドワルド王に助けを求め、616年または617年、アイドル川の戦いでイースト・アングリア軍がバーニ...
人物

チェアディッチ(ウェセックス王)

チェアディッチ(Cerdic)は六世紀頃にブリテン島で活動していた人物。同時代史料がなく九世紀末以降の文献にしか登場しないため実在していたか否かはっきりしないが、のちにイングランド王国へ発展するウェセックス王国の建国者とされる。歴代のウェセックス王・イングランド王は彼の末裔であると主張した。 「アングロ・サクソン年代記」の記述 九世紀後半にウェセックス王アルフレッドの命で編纂が開始された「アングロ...
文化・芸術

「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」(ランブール兄弟)

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」(Les Très Riches Heures du duc de Berry)は十五世紀のフランスで製作された装飾写本。「時禱書」とは聖職者の日々の礼拝儀礼をまとめた「聖務日課書」を簡略化したもののこと。1411年頃から1416年の間の時期にベリー公ジャン1世の依頼でランブール兄弟によって作成が開始され、ベリー公およびランブール兄弟死後の製作中断期を経て1480...
人物

ピピン3世(フランク王)

ピピン3世(小ピピン,”Pipin III”, 714年生~768年9月24日没)はカール・マルテルの子。メロヴィング朝の王キルデリク3世を廃し、自らフランク王位に就いてカロリング朝を創始した。754年、イタリアに遠征しランゴバルド王アイストゥルフを破って、ランゴバルド王が占領していたラヴェンナ総督領を奪い教皇へ寄進した(ピピンの寄進)。以後、周辺諸国へ積極的な遠征を行ってフランク王国の版図を広げ...
ヨーロッパの城

ヘディンガム城

ヘディンガム城(Hedingham Castle)はイングランド・エセックス州キャッスルヘディンガム村にあるノルマン式天守塔(キープ)を持つ中世城塞。オックスフォード伯位を世襲した名門ド・ヴィア家の居城として知られた。ヨーロッパ随一のノルマン式アーチを持つ大ホールが有名。 築城 ヘディンガム城を築いたド・ヴィア家は、ノルマン・コンクエスト後、ノルマン貴族オーブリー・ド・ヴィア1世(Aubrey d...
人物

セント・ジョージのマスター・ジェイムズ

セント・ジョージのマスター・ジェイムズ(” Master James of Saint George ”,1230頃~1309)はサヴォワ地方(現在のフランスとスイスの国境付近)出身、石工の家に生まれ、サヴォワ伯フィリップ1世の下で多くの城を築いたあと、イングランド王エドワード1世に招かれて征服したばかりのウェールズ地方に次々と築城した。イングランド王国によるウェールズ支配の拠点城塞網「アイアンリ...
事件・軍事・戦争

エディントンの戦い(878年)

エディントンの戦い(Battle of Edington)またはエサンダンの戦い(Battle of Ethandun or Eðandun)は、878年5月上旬、アルフレッド大王が率いるウェセックス王国軍が、「大軍勢(または大異教徒軍)」の名で知られたヴァイキング連合軍に勝利した戦い。戦後、ウェセックス王国とヴァイキング勢力の指導者グスルムとの間で休戦と両国間の領土が画定され、イングランドはアン...
社会・法

従士制

従士制とは何か 古ゲルマン社会の部族には王制と共和制のものがあり、前者は一名の王が、後者は複数の首長(プリンケプス)が指導的立場に立ち、世襲貴族の下に貴族の子弟や自営農民などからなる自由民、奴隷などの非自由民の諸身分が存在する社会を構成していた。自由民男子は武装を認められて、王・首長や貴族の統率下に入り従士団を形成した。シュルツェによれば従士団は以下のように定義される。 『歴史学でいう従士団とは、...
人物

ラヌルフ・ド・グランヴィル

ラヌルフ・ド・グランヴィル(” Ranulf de Glanville”,?-1190)はイングランド王ヘンリ2世に仕えた政治家・法律家で、宰相にあたる行政長官(Chief Justiciar)を務めた。法制史上重要なコモン・ロー成立初期の裁判手引書「イングランド王国の法と慣習(Tractatus de legibus et consuetudinibus regni Angliae)」の著者と見...
建築

アイオナ修道院

アイオナ修道院(Iona Abbey)はスコットランドのヘブリディーズ諸島の一つアイオナ島にあった修道院。563年、アイルランド出身の修道士コルンバによって創建され、以後、各地に築かれたコルンバ派修道院の中心として栄えたが、九世紀頃から始まったヴァイキングの侵攻と破壊によって衰退した。十三世紀初頭、ベネディクト派修道院となるが、十六世紀、スコットランド宗教改革にともない解体された。二十世紀に信徒の...
人物

アルフレッド大王(ウェセックス王)

「アルフレッド大王( ” Alfred The Great ” 古英語 “Ælfrēd ”)」はウェセックス王エゼルウルフと王妃オズブルフの第四男として849年に生まれた。いずれも短い在位期間となった三人の兄に続いて871年4月23日、ウェセックス王に即位。デーン人の侵攻を撃退して、彼らをカトリックに改宗させ、その勢力範囲をイングランド東北部「デーンロー」に留めた。軍制改革、行政機構の整備、「アル...
ヨーロッパの城

ジゾール城

ジゾール城(Château de Gisors)はノルマンディー地域圏ウール県にあるアングロ=ノルマン王国時代に築かれた城塞。1097年、イングランド王ウィリアム2世の命で築城された。1193年、フランス王フィリップ2世に占領されて以降フランス王の支配下に入り、後に刑務所として利用された。1314年、テンプル騎士団最後の総長ジャック・ド・モレーが収監されたことで名高い。その形状から代表的なモット・...
国・王朝・民族

ノルマンディー公国

ノルマンディー公国(英語” Duchy of Normandy”,フランス語” Duché de Normandie”)は西暦911年から1204年まで現在ノルマンディー地方と呼ばれるフランス北東部コタンタン半島周辺に存在した諸侯国家。ノルマン人の国。911年、ヴァイキングの首長ロロが西フランク王シャルル単純王によってルーアン周辺を与えられてから、1204年にフランス王フィリップ2世によって征服さ...
人物

トルフィン・シグルドソン(オークニー伯)

オークニー伯トルフィン・シグルドソン(Thorfinn Sigurdsson ,1009頃-1065)はヴァイキングである。祖父の代にオークニー諸島に渡り一族でオークニー諸島を征服し、スコットランド王によってオークニー伯に叙された。一族の内紛を鎮めオークニー諸島の他ケイスネス地方などハイランド北東部の北海沿岸地域を実効支配しケイスネス王(Mormaer of Caithness )を称した。「豪腕...
人物

ルーラッハ(スコットランド王)

ルーラッハ(Lulach, 1058年3月17日没)は十一世紀半ばのアルバ(スコットランド)王・マリ王(Mormaer of Moray)。在位1057年8月15日-1058年3月17日。マクベス王死後、王位を継いだが七か月余りの短い治世で暗殺されて生涯を終えた。異名は「不運な者(スコットランド・ゲール語“Tairbith”)」。母は後のマクベス夫人グロッホ、父はマリ王ギラコムガン(Gille C...
歴史的文書

「ブリタニアの破壊と征服について」(ギルダスの著作)

「ブリタニアの破壊と征服について(ラテン語: De Excidio et Conquestu Britanniae,英語: On the Ruin and Conquest of Britain)」、通称「ブリテンの荒廃について(On the Ruin of Britain)」はブリテン島の修道士ギルダスが540年頃にラテン語で書いた、同時代のブリテン島の君主や聖職者らを批判する説教集。ローマ帝国...
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