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ヨーロッパの城

コルチェスター城

コルチェスター城(Colchester Castle)は英国エセックス州の主要都市コルチェスターにある中世の城塔。コルチェスター市にかつてあった古代ローマ属州時代の都カムロドゥヌムの遺構の資材を再利用して、イングランド王ウィリアム1世の命で1076年から1100年頃にかけて方形の天守塔(キープ)が築かれた。現在はコルチェスター博物館となっている。 ローマ帝国ブリタニア属州の都カムロドゥヌム コルチ...
地理・地域・都市

「肥沃な三日月地帯」

「肥沃な三日月地帯(Fertile Crescent)」とは古代オリエント史において、ペルシア湾からメソポタミア、シリア、エジプトにかけての南側に開いた、農耕に適した地理的・気候的条件を満たして人類最初の農耕に基づく都市文明が築かれた三日月状の地域を指す。 「元来はメソポタミアからシリア・パレスティナ、そしてナイル川流域にかけての古代都市文明が栄えた地帯をさしていた。農耕文化の起源に関する調査が進...
人物

ルーラッハ(スコットランド王)

ルーラッハ(Lulach, 1058年3月17日没)は十一世紀半ばのアルバ(スコットランド)王・マリ王(Mormaer of Moray)。在位1057年8月15日-1058年3月17日。マクベス王死後、王位を継いだが七か月余りの短い治世で暗殺されて生涯を終えた。異名は「不運な者(スコットランド・ゲール語“Tairbith”)」。母は後のマクベス夫人グロッホ、父はマリ王ギラコムガン(Gille C...
人物

カラタクス

カラタクス(Caratacus)はカトゥウェッラウニ族のクノベリヌス王の子で最後のカトゥウェッラウニ王。西暦43年のローマ帝国軍によるブリテン島侵攻に抵抗し、属州成立後もゲリラ戦を展開して対抗したが、西暦51年、ローマ軍との決戦に敗れ、ブリガンテス族の女王カルティマンドゥアによりローマへ送致された。 前史 ガリア戦争の過程でユリウス・カエサルはブリテン島からガリア人を支援する動きがあることを把握し...
人物

ルイ1世・ド・ブルボン(ヴァンドーム伯)

ヴァンドーム伯ルイ1世・ド・ブルボン(” Louis I de Bourbon-Vendôme”,1376年生-1446年12月21日没)はブルボン家の傍流ブルボン=ヴァンドーム家初代。アジャンクールの戦いでは左翼軍の指揮を執った。「フランス王宮長」(在任1413-15,1425-1446)。ジャンヌ・ダルクの戦友の一人として知られ、ブルボン王家の直系の祖にあたる。 アルマニャック派の中心メンバー...
先史・考古学

パヴィランドの赤い貴婦人(The Red Lady of Paviland)

「パヴィランドの赤い貴婦人(The Red Lady of Paviland)」は英国ウェールズ地方南部ガワー半島のパヴィランド洞窟で発見された3万3000年前の男性の骨。骨を覆っていた赤土()によって赤く染まっており、発見当時は女性とみられていたことからこの名前が付けられた。 ウィリアム・バックランドの発見 「パヴィランドの赤い貴婦人(The Red Lady of Paviland)」は182...
建築

オファの防塁

「オファの防塁(Offa’s Dyke)」はブリテン島のワイ川河口からディー川河口まで、現在のイングランドとウェールズ地方との境界に沿って南北約240キロメートルのうち約132キロメートルに渡って築かれた中世の土塁の遺構である。八世紀後半、強勢を誇ったマーシア王国のオファ王(Offa of Mercia , 在位:757~796年)によって築かれたと言われるが、建設時期や建設目的については諸説あっ...
地理・地域・都市

アルビオン

アルビオン(Albion)はグレート・ブリテン島の古名・別名。紀元前四世紀以前の文献に見え、古代ギリシアでアイルランド島と区別してグレートブリテン島を指す地名として使われ始めた。ローマ時代にブリソン諸語に由来する言葉"Pritanī"のラテン語化ブリタンニア(Britannia)/ブリタニア(Britania)という地名が定着したことで一般的に使われることは少なくなる。スコットランド・ゲール語のア...
人物

ジャン・ドーロン

ジャン・ドーロン(Jean d’Aulon,1390年生-1458年8月から9月頃没)は、百年戦争後期フランスの軍人。副官としてジャンヌ・ダルクを支え、オルレアン包囲戦からコンピエーニュの戦いまで最も長く側にいた代表的な戦友である。1415年にミシュレット・デジュルサン(Michelette des Ursins)と結婚、1428年にエレーヌ・ド・ムーリオン(Hélène de Mauléon)と...
国・王朝・民族

ピクト人

ピクト人(英語:Picts、ラテン語:Picti)はフォース川以北のスコットランド東部から北部にかけてローマ帝国のブリテン島侵攻以前から先住していた諸部族の総称で、ローマ帝国に対抗した先住諸部族の連合体から発展して政治的文化的統一を果たしたと考えられている。ピクト人の名称は三世紀頃からローマ人が用いるようになったもので「彩色された(刺青のある)人々」の意味。七世紀頃、有力部族の一つフォルトリウ族を...
国・王朝・民族

海の民(古代西アジア)

「海の民(英語” Sea Peoples”,フランス語” Peuples de la mer”」は紀元前十三世紀から十二世紀にかけて、東地中海地域を移動した様々な民族集団の総称。古代の史料には一括して表すような言葉はなく、十九世紀フランスの考古学者・エジプト学者ガストン・マスペロ(1846年生~1916年没,” Gaston Camille Charles Maspero”)が名付けた。 「海の民...
人物

ラヌルフ・ド・グランヴィル

ラヌルフ・ド・グランヴィル(” Ranulf de Glanville”,?-1190)はイングランド王ヘンリ2世に仕えた政治家・法律家で、宰相にあたる行政長官(Chief Justiciar)を務めた。法制史上重要なコモン・ロー成立初期の裁判手引書「イングランド王国の法と慣習(Tractatus de legibus et consuetudinibus regni Angliae)」の著者と見...
ヨーロッパの城

エディンバラ城

エディンバラ城(Edinburgh Castle)はスコットランドの首都エディンバラ市にある中世の城。スコットランド王歴代の居城であり天然の要害に立つ堅固な要塞である。「翼の生えた岩の城」「乙女の城」()とも呼ばれ、「英国史上最も包囲を受けた城」と評される()。ユネスコ世界文化遺産「エディンバラの旧市街と新市街(Old and New Towns of Edinburgh)」を構成する建造物の一つ...
人物

ボウディッカ/ブーディカ

ボウディッカ(Boudica)は一世紀半ば頃、現在のイングランド東部ノーフォーク地方を支配下ブリトン人部族イケニ族の女性君主。ボウディッカの他、ブーディカ、ボアディケアなどの名で知られる。夫はイケニ族の王プラスタグス。西暦60年または61年、他のブリトン人部族と連合してローマ帝国に対して反乱を起こした。ローマ植民市を相次いで焼き払い、ローマ軍を撃破して一時ブリテン島南部を席巻するが、属州総督スエト...
人物のリスト

歴代イギリス君主の一覧

ここでは1707年のグレート・ブリテン王国成立による政治的統合以来、2022年9月11日現在までに誕生した13人のイギリスの君主を一覧にしている。ここでいうイギリスとはグレート・ブリテン王国(1707年5月1日-1800年12月31日)、グレート・ブリテンおよびアイルランド連合王国(1801年1月1日-1922年12月6日)、グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国(1922年12月6日-現...
人物

アンリ1世(フランス王)

アンリ1世(Henri 1er、1008年頃生-1060年8月4日没)はカペー朝三代目のフランク(フランス)王(在位1031年7月20日-1060年8月4日)。ロベール2世の次男で兄ユーグの死後、父の存命中にランスで共治王として戴冠した。しかし、母コンスタンスが弟ロベールを王位に推したためロベール2世死後内乱となる。内乱を平定した後、ノルマンディー公、ブロワ伯、アンジュー伯、フランドル伯などの強力...
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