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ブリテン諸島

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事件・軍事・戦争

ウィンウェドの戦い(655年)

ウィンウェドの戦い(Battle of the Winwaed)は655年11月15日、マーシア王ペンダ率いる諸国連合軍とバーニシア王オスウィウ(オズウィ)の間で戦われオスウィウ王が勝利した戦い。ペンダ王始め多くの君主諸侯が戦死した。戦後ノーサンブリア地方のバーニシア王国とデイラ王国という2つのアングル人国家が統合されて名実ともに統一ノーサンブリア王国が成立し、八世紀前半までノーサンブリア王国はブ...
人物

エゼルベルフト1世(ケント王)

エゼルベルフト(Æthelberht)はアングロ・サクソン諸王国の一つケント王国の王(在位:580年頃-616年)。エゼルベルト、エセルベルトとも。八世紀の同名のケント王と区別してエゼルベルフト1世と呼ばれる。フランク王国の王族ベルタとの結婚を通じて大陸との密接な関係を築いた。596年、ローマからの宣教団を受け入れてアングロ・サクソン諸王国としては最初にキリスト教に改宗、カンタベリーに司教座を置い...
歴史的文書

「アングル人の教会史」(ベーダの著作)

「アングル人の教会史(ラテン語” Historia ecclesiastica gentis Anglorum”,英語” Ecclesiastical History of the English People” )」は西暦731年、七王国時代のノーサンブリア王国の聖職者ベーダが著したブリテン島のアングロ・サクソン人がキリスト教に改宗し教会が発展していく布教の過程を描いた歴史書。 概要 著者のベー...
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人物

セント・ジョージのマスター・ジェイムズ

セント・ジョージのマスター・ジェイムズ(” Master James of Saint George ”,1230頃~1309)はサヴォワ地方(現在のフランスとスイスの国境付近)出身、石工の家に生まれ、サヴォワ伯フィリップ1世の下で多くの城を築いたあと、イングランド王エドワード1世に招かれて征服したばかりのウェールズ地方に次々と築城した。イングランド王国によるウェールズ支配の拠点城塞網「アイアンリ...
人物

ウィリアム1世(イングランド王)

ウィリアム1世(William I、1028年頃生-1087年9月9日没)はウィリアム征服王(William the Conqueror)の異名でも知られる十一世紀のイングランド王(在位1066年12月25日-1087年9月9日)、ノルマンディー公(ギヨーム2世、在位1035年-1087年9月9日)。北フランスの有力諸侯ノルマンディー公ロベール1世(在位1027-35)の庶子で、ノルマンディー公と...
社会・法

エアルドールマン

エアルドールマン(古英語:Ealdorman,英語:Alderman)は中世前期のイングランドにアングロ・サクソン人が立てた諸王国で王家に次ぐ地方領主・豪族の首長や戦時の指導者を指して使われた人々の名称で、九世紀にイングランドのアングロ・サクソン諸王国がウェセックス王国の下で統一されると、大規模領主とあわせて国王直轄領の州(シャイア)の代官もエアルドールマンと呼ばれた。十一世紀、古ノルド語「ヤール...
事件・軍事・戦争

ヴァイキング「大軍勢(大異教徒軍)」の侵攻(865-878年)

「大軍勢(英語"The Great Army"古英語"micel here")」または「大異教徒軍(英語"The Great Heathen Army"古英語"mycel hæþen here")」は複数の指導者に率いられたスカンディナヴィア半島出身の戦士による連合軍。865年からイングランドへ侵攻しノーサンブリア王国、イースト・アングリア王国を相次いで滅ぼしイングランドの東半分を征服、アルフレッ...
事件・軍事・戦争

エディントンの戦い(878年)

エディントンの戦い(Battle of Edington)またはエサンダンの戦い(Battle of Ethandun or Eðandun)は、878年5月上旬、アルフレッド大王が率いるウェセックス王国軍が、「大軍勢(または大異教徒軍)」の名で知られたヴァイキング連合軍に勝利した戦い。戦後、ウェセックス王国とヴァイキング勢力の指導者グスルムとの間で休戦と両国間の領土が画定され、イングランドはアン...
先史・考古学

アフィントンの白馬

アフィントンの白馬(Uffington White Horse)はイングランド南部オックスフォードシャー州バークシャー・ダウンズにある丘陵ホワイトホース・ヒルの傾斜地に表土を掘って白い石灰岩を露出させることで描かれた白亜(チョーク)の馬の姿のヒル・フィギュア(地上絵の一種)。青銅器時代後期、紀元前1400年から前600年頃の間に作られたとみられている。 アフィントンの白馬とは ヒル・フィギュア(H...
歴史的文書

「アルフレッド王の生涯」(アッサーの著作)

「アルフレッド王の生涯(英語:The Life of King Alfred,ラテン語: Vita Ælfredi regis Angul Saxonum(アングロ・サクソン王アルフレッドの生涯))」はウェセックス王アルフレッドに仕えた司祭アッサーが893年頃に書いたとみられるアルフレッド大王の伝記。日本語訳は「アルフレッド大王伝」のタイトルで出版されている。九世紀頃のイングランドの歴史を知る重要...
宗教・神話・伝承

トゥルッフ・トゥルウィス

トゥルッフ・トゥルウィスまたはトゥルッフ・トルウィス(ウェールズ語” Twrch Trwyth”)はウェールズの伝承「マビノギオン」収録の最古のアーサー王物語「キルフーフとオルウェン」に登場する猪の怪物。アルスル(アーサー王)戦士団と激しい戦いを繰り広げた。 「ブリトン人の歴史」の豚トロイント ネンニウス著と伝わる九世紀の歴史書「ブリトン人の歴史” Historia Brittonum”」の73章...
ヨーロッパの城

カーナーヴォン城

カーナーヴォン城(またはカナーヴォン城/英語” Caernarfon Castle”/ウェールズ語カステス・カエルナルヴォン” Castell Caernarfon”)はウェールズ北部グウィネズ州にある中世の城。イングランド王エドワード1世がウェールズ地方を征服した後、1283年から1292にかけて城塞建築家マスター・ジェイムズに命じて築かせた。コンウィ城、ハーレック城、ビューマリス城とともにユネ...
政治・経済

モーマー(Mormaer)

モーマー(Mormaer)はゲール語で「偉大な」を意味する”mor”と「執事」または「廷臣」を意味するmaerまたはmaorからなる語で、十世紀初頭から十三世紀にかけてのスコットランドで各地に割拠していた自立した地方勢力の支配者を意味し、その支配領域はMormaerdomと呼ばれた()。 Dauvit Brounによれば、 史料に初めて登場するのは918年で、言語学的な一致からピクト人の王国の行政...
文化・芸術

「ケルズの書」

「ケルズの書(Book of Kells)」は西暦800年前後アイルランドのケルズ修道院で完成した代表的な中世装飾写本の一つ。アイルランド・ダブリン大学トリニティ・カレッジ図書館(The Library of Trinity College Dublin)収蔵(Trinity College Dublin MS 58)。「リンディスファーン福音書」「ダロウの書」とともに三大写本の一つに数えられる。...
国・王朝・民族

カトゥウェッラウニ族

カトゥウェッラウニ族(Catuvellauni)はローマ帝国によるブリテン島征服時(西暦43年)に抵抗した部族連合の中心となった部族。紀元前一世紀後半頃から、テムズ川以北、現在のハートフォードシャー州周辺に勢力を持ち、クノベリヌス王(在位:西暦9年頃-40年頃)のころに周辺に支配を拡大して強勢を誇った。最後の王カラタクス(在位:43年頃-50年頃)はローマ軍の侵攻後、各地でゲリラ戦を展開し激しく抵...
人物

カルティマンドゥア(ブリガンテス女王)

カルティマンドゥア(Cartimandua)は一世紀半ば、ローマ帝国支配下のブリテン島でイングランド北部を領土としたブリガンテス族の女王(在位:43年頃-69年頃)。有力な被護王国の一つとしてローマ帝国の属州支配に忠実で、親ローマ派の代表的存在となった。ローマ軍に抵抗して敗れたカトゥウェッラウニ族の王カラタクスが助けを求めて逃げ延びてくると、彼を捕らえてローマ軍に引き渡した。69年頃、前夫ウェヌテ...
事件・軍事・戦争

アイドル川の戦い(616年)

アイドル川の戦い(Battle of the River Idle)またはアイドル河畔の戦いは616年(または617年)、イングランド中部ノッティンガムシャーを流れるアイドル川の東側で、レドワルド王率いるイースト・アングリア王国軍とエセルフリス王率いるバーニシア王国が戦った戦い。バーニシア王エセルフリスが戦死し、イースト・アングリア軍が勝利した。この結果、レドワルド王は大きく名声を高めてブレトワル...
文化・芸術

「ダロウの書」

「ダロウの書(Book of Durrow)」は七世紀後半に作成された装飾写本で、十六世紀までアイルランドのダロウ修道院に保存されていたことからこの名で呼ばれている。インシュラー体で書かれた福音書の装飾写本の中では現存する最古のものと考えられ、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書から構成されている。トリニティ・カレッジ・ダブリン収蔵。 歴史 島嶼芸術(Insular Art)の誕生 装飾写本...
人物

カラタクス

カラタクス(Caratacus)はカトゥウェッラウニ族のクノベリヌス王の子で最後のカトゥウェッラウニ王。西暦43年のローマ帝国軍によるブリテン島侵攻に抵抗し、属州成立後もゲリラ戦を展開して対抗したが、西暦51年、ローマ軍との決戦に敗れ、ブリガンテス族の女王カルティマンドゥアによりローマへ送致された。 前史 ガリア戦争の過程でユリウス・カエサルはブリテン島からガリア人を支援する動きがあることを把握し...
人物

ラヌルフ・ド・グランヴィル

ラヌルフ・ド・グランヴィル(” Ranulf de Glanville”,?-1190)はイングランド王ヘンリ2世に仕えた政治家・法律家で、宰相にあたる行政長官(Chief Justiciar)を務めた。法制史上重要なコモン・ロー成立初期の裁判手引書「イングランド王国の法と慣習(Tractatus de legibus et consuetudinibus regni Angliae)」の著者と見...
人物

チェウリン(ウェセックス王)

チェウリン(Ceawlin)は三代目のウェセックス王(在位560-591/592年)。後にウェセックス王国となるゲウィッセ族の勢力を拡大し、ブリテン島に覇権を確立した八人のブレトワルダの一人に数えられる。 初期のウェセックス王国 大陸からブリテン島へのゲルマン系の人々の大規模な移住はローマ帝国のブリテン島支配体制が崩れた五世紀半ばから六世紀前半にかけての時期に本格化した。ウェスト・サクソン人もこの...
人物

エグバート(ウェセックス王)

エグバート(Ecgberht)は九世紀前半、ブリテン島南部を支配したウェセックス王国の王(在位802-839年)。ケント王国の王子だったがマーシア王国の脅威から逃れてフランク王国のカール大帝を頼って亡命。帰国後、ウェセックス王に即位して七王国時代の分裂を収拾し、ブリテン島の諸勢力を従え、ヴァイキングを撃退、後のイングランド王国に繋がるブリテン島におけるウェセックス王権の優位を確立した。ブレトワルダ...
先史・考古学

ペントレ・イヴァン(Pentre Ifan)

「ペントレ・イヴァン(Pentre Ifan)」は英国ウェールズ地方ペンブルックシャー州にある紀元前3500年頃の支石墓(ドルメン)遺跡である。ペントレ・イヴァンはウェールズ語で「イヴァン(ジョン)の村」を意味()し、近郊にある同名の村から名前が取られている。ウェールズ政府歴史遺産管理組織Cadw(カドゥ)の管理下にある。 ドルメン(Dolmen) 新石器時代の紀元前4000年代頃から紀元前300...
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