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イングランド

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事件・軍事・戦争

バドン山(モンス・バドニクス)の戦い

バドン山の戦い(Battle of Mount Badon)またはモンス・バドニクスの戦い(Battle of Mons Badonicus)、あるいはモンス・バドニスの戦い(Battle of Mons Badonis)は五世紀後半から六世紀前半の間のある時期、ブリテン島でブリトン人の軍勢とサクソン人の軍勢が戦いブリトン軍が勝利した戦い。この戦いの結果サクソン人の侵攻は一時停滞したとされるが、史...
人物

トマス・モンタギュ(第四代ソールズベリー伯)

第四代ソールズベリー伯トマス・モンタギュ(” Thomas Montagu, 4th Earl of Salisbury ” )は百年戦争後期イングランドの貴族・軍人。1388年6月13日生-1428年11月3日没。「イギリス軍の武将きっての戦さ巧者、熟練者、それに幸運児」()として著名だった。アジャンクールの戦いを始めとする1415年から始まるイングランドによる北フランス征服の立役者となったが、...
人物

ウィリアム2世(イングランド王)

ウィリアム2世(William II、1056年頃/1060年以前生-1100年8月2日没)はウィリアム赤顔王(William Rufus、ウィリアム・ルーファス)の異名でも知られる()十一世紀のイングランド王(在位1087年9月26日-1100年8月2日)。イングランドを征服したノルマンディー公ギヨーム2世ことウィリアム1世の子。ウィリアム1世死後、遺言に基づきアングロ・ノルマン王国の領土は長子...
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歴史的文書

「アングロ・サクソン年代記」

「アングロ・サクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicle)」はアルフレッド大王治世下の九世紀末、当時、残っていた古い記録や文書、民間の伝承を集め、デーン人の侵攻を中心に同時代の記録を追加されて編纂が始められた年代記形式の歴史書。後に複数の写本が作られて各地の教会や修道院でそれぞれ書き継がれ、これらの写本類をあわせると、西暦0年から1154年までの記録が残されている。複数の写本で構成さ...
事件・軍事・戦争

アッシュダウンの戦い(871年)

アッシュダウンの戦い(Battle of Ashdown)は、871年1月8日、ウェセックス王エゼルレッドと弟アルフレッドが率いるウェセックス王国軍が、「大軍勢(または大異教徒軍)」の名で知られたヴァイキング連合軍に勝利した戦い。 前段階 八世紀末から始まるヴァイキングの活動は九世紀半ばから本格化した。850年代までは個々の集団がブリテン諸島から大陸沿岸にかけて襲撃や略奪を行っていたが、865年、...
事件・軍事・戦争

ノルマン・コンクエスト(1066年)

「ノルマン・コンクエスト(Norman Conquest)」は、1066年、ノルマンディー公ギヨーム2世率いるノルマンディー公国軍がイングランドへ侵攻、ヘースティングズの戦い(1066年10月14日)の勝利によってイングランド王位を獲得し、以後1070年代半ばにかけてイングランド全土を征服していった一連の軍事行動、および、征服の過程でアングロ・サクソン人からノルマン人へと支配層が入れ替わることで生...
宗教・神話・伝承

ロビン・フッド伝説

ロビン・フッド(Robin Hood)は中世イングランドの伝説的なアウトローで、現代でも児童文学や映画、ドラマ、ゲーム、アニメなど多岐に渡るジャンルで親しまれている。 中世のロビン・フッド ロビン・フッドはまず中世のバラッドで唄われることで民衆の間に広まった。バラッドは中世ヨーロッパに広くみられた、吟遊詩人などを介して口伝えで広がる「物語唄」である。特に中世バラッドで人気を博したのが十五世紀前後に...
社会・法

ドゥームズデイ・ブック

ドゥームズデイ・ブック(Domesday Book)とは、イングランド王ウィリアム1世(在位1066-87)の命によって1086年から行われたイングランドの土地調査(ドゥームズデイ調査(Doomsday Survey))に基づく、グレート・ドゥームズデイ・ブック(Great Domesday Book)とリトル・ドゥームズデイ・ブック(Little Domesday Book)の二冊組の調査記録で...
文化・芸術

「バイユーのタペストリー」

「バイユーのタペストリー(英語 “Bayeux Tapestry”,仏語 “Tapisserie de Bayeux” 」は1066年10月14日、ノルマンディー公 ギヨーム2世(のちのイングランド王ウィリアム1世)とイングランド王ハロルド2世(ハロルド・ゴドウィンソン)とが戦ったヘースティングズの戦いの様子を描いた、長さ68.58メートル、幅45.7センチメートルから53.6センチメートルのリネ...
人物

ラヌルフ・ド・グランヴィル

ラヌルフ・ド・グランヴィル(” Ranulf de Glanville”,?-1190)はイングランド王ヘンリ2世に仕えた政治家・法律家で、宰相にあたる行政長官(Chief Justiciar)を務めた。法制史上重要なコモン・ロー成立初期の裁判手引書「イングランド王国の法と慣習(Tractatus de legibus et consuetudinibus regni Angliae)」の著者と見...
国・王朝・民族

ウェセックス王国

ウェセックス王国(Kingdom of Wessex)は六世紀から十世紀にかけてブリテン島に存在したサクソン人の王国。七王国の一つ。六世紀後半、テムズ川上流域で勃興し七世紀始め頃からブリテン島南部・南西部を支配下におさめ強国として台頭、マーシア王国、ノーサンブリア王国を始めとする諸王国と覇を競った。825年、エグバート王時代にマーシア王国を撃破してブリテン島に覇権を確立、アルフレッド大王治世下でデ...
人物

ゴドウィン(ウェセックス伯)

ウェセックス伯ゴドウィン(” Godwin, Earl of Wessex”、生年不明-1053年4月15日没)はクヌート大王によってウェセックス伯(在位:1020-53)に抜擢され、クヌート、ハロルド1世、ハーザクヌート、エドワード証聖王の四代のイングランド王の下で権勢を誇った新興の有力貴族。エドワード証聖王の妃エディス、イングランド王ハロルド2世の父。 ゴドウィン家の起源 ゴドウィンが史料に初...
事件・軍事・戦争

ワット・タイラーの乱(1381年)

「ワット・タイラーの乱(Wat Tyler's Rebellion)」は1381年6月、イングランド王国で人頭税導入に反対して元兵士のワット・タイラーや聖職者ジョン・ボールらに率いられた農民たちが蜂起した事件。英語ではシンプルに"Peasants' Revolt"(農民の反乱)の名で呼ばれることが多い。同時期フランスでおきたジャックリーの乱(1358年)などとともに、中世後期を代表する農民反乱であ...
ヨーロッパの城

チリンガム城

チリンガム城(Chillingham Castle)は、イングランドのノーサンバーランド州北部チリンガム村にある十三~十四世紀頃に築かれた城塞。幽霊伝説の城として有名で、心霊スポットとして人気となっている。 Social Media Chillingham Castle from EC Media on Vimeo. 築城 イングランド王国の北辺、スコットランド王国との境界近くに位置するチリンガム...
事件・軍事・戦争

ブルナンブルフの戦い(937年)

ブルナンブルフの戦い(Battle of Brunanburh)は、937年秋、イングランド王アゼルスタン率いるイングランド軍がダブリン王国・アルバ(スコットランド)王国・ストラスクライド王国連合軍を撃破した戦い。アゼルスタン王の全イングランド統一(927年)によって成立したばかりのイングランド王国を脅かす脅威が排除され、以後のイングランドにおける統一王国体制確立を決定づけた画期となった戦い。また...
事件・軍事・戦争

エレンダンの戦い(825年)

エレンダンの戦い(Battle of Ellendun)またはエランドン/エランダンの戦い(Battle of Ellandun)は、825年、ウェセックス王国とマーシア王国の間で行われた戦い。ウェセックス王国の勝利に終わり、ブリテン島南部のアングロ・サクソン諸王国に対するマーシア王国の覇権を終わらせてウェセックス王国の優位を確立した。このあとマーシア王国を占領したウェセックス王エグバートはブレト...
ヨーロッパの城

コニスバラ城

コニスバラ城(Conisbrough Castle)は英国サウスヨークシャー州にある中世城塞。十一世紀、木造のモット・アンド・ベイリー式城塞が築かれ、十二世紀末に石造城塞として築城された。後にヨーク家の主要城塞の一つとなり、特に薔薇戦争でヨーク派の拠点として活用された。高さ27メートルの特徴的な歯車型の城塔(シェル・キープ)が名高い。 築城 コニスバラはアングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)時代...
ヨーロッパの城

ヘースティングズ城

ヘースティングズ城(Hastings Castle)は英国イースト・サセックス州ヘースティングズにあった城。ノルマン・コンクエストに際し、後のイングランド王ウィリアム1世がブリテン島に最初に築いた城である。現在は廃城となり遺構の一部が残るに留まっている。 ノルマン・コンクエストと築城 1066年、イングランド王エドワード証聖王死後、ハロルド・ゴドウィンソンの王位継承に異を唱えるノルマンディー公ギヨ...
事件・軍事・戦争

エディントンの戦い(878年)

エディントンの戦い(Battle of Edington)またはエサンダンの戦い(Battle of Ethandun or Eðandun)は、878年5月上旬、アルフレッド大王が率いるウェセックス王国軍が、「大軍勢(または大異教徒軍)」の名で知られたヴァイキング連合軍に勝利した戦い。戦後、ウェセックス王国とヴァイキング勢力の指導者グスルムとの間で休戦と両国間の領土が画定され、イングランドはアン...
歴史的文書

「アングル人の教会史」(ベーダの著作)

「アングル人の教会史(ラテン語” Historia ecclesiastica gentis Anglorum”,英語” Ecclesiastical History of the English People” )」は西暦731年、七王国時代のノーサンブリア王国の聖職者ベーダが著したブリテン島のアングロ・サクソン人がキリスト教に改宗し教会が発展していく布教の過程を描いた歴史書。 概要 著者のベー...
社会・法

御猟林法/御猟林憲章(イングランド)

イングランドを征服したウィリアム1世は国内の森林や狩猟地を王家の直轄地「御猟林(Royal Forest)」()として定め、御猟林指定地域での狩猟と樹木の伐採を禁じ、身体刑を含む厳罰を科した。ヘンリ1世によって法制化され、1217年、マグナ・カルタの調印に伴い「御猟林憲章(Forest Law)」という独立した憲章として公布された。以後、1971年に廃止されるまで754年間、英国史上最も長く効力を...
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