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ヨーロッパ

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ヨーロッパの城

コニスバラ城

コニスバラ城(Conisbrough Castle)は英国サウスヨークシャー州にある中世城塞。十一世紀、木造のモット・アンド・ベイリー式城塞が築かれ、十二世紀末に石造城塞として築城された。後にヨーク家の主要城塞の一つとなり、特に薔薇戦争でヨーク派の拠点として活用された。高さ27メートルの特徴的な歯車型の城塔(シェル・キープ)が名高い。 築城 コニスバラはアングロ・サクソン七王国(ヘプターキー)時代...
社会・法

エアルドールマン

エアルドールマン(古英語:Ealdorman,英語:Alderman)は中世前期のイングランドにアングロ・サクソン人が立てた諸王国で王家に次ぐ地方領主・豪族の首長や戦時の指導者を指して使われた人々の名称で、九世紀にイングランドのアングロ・サクソン諸王国がウェセックス王国の下で統一されると、大規模領主とあわせて国王直轄領の州(シャイア)の代官もエアルドールマンと呼ばれた。十一世紀、古ノルド語「ヤール...
政治・経済

モーマー(Mormaer)

モーマー(Mormaer)はゲール語で「偉大な」を意味する”mor”と「執事」または「廷臣」を意味するmaerまたはmaorからなる語で、十世紀初頭から十三世紀にかけてのスコットランドで各地に割拠していた自立した地方勢力の支配者を意味し、その支配領域はMormaerdomと呼ばれた()。 Dauvit Brounによれば、 史料に初めて登場するのは918年で、言語学的な一致からピクト人の王国の行政...
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人物

ソールズベリーのロジャー(ソールズベリー大司教)

ロジャー・オブ・ソールズベリー(Roger of Salisbury,?-1139)はヘンリ1世(在位1100-1135)によって新設された国政を統括する行政長官(”Chief Justiciar” 在任1101-1139)に抜擢され、中世イングランドの行政機構の土台を築いた。ソールズベリー大司教(在任1102-1139)。 ヘンリ1世による抜擢 元はノルマンディー地方カーンの近くにある小さな礼拝...
社会・法

従士制

従士制とは何か 古ゲルマン社会の部族には王制と共和制のものがあり、前者は一名の王が、後者は複数の首長(プリンケプス)が指導的立場に立ち、世襲貴族の下に貴族の子弟や自営農民などからなる自由民、奴隷などの非自由民の諸身分が存在する社会を構成していた。自由民男子は武装を認められて、王・首長や貴族の統率下に入り従士団を形成した。シュルツェによれば従士団は以下のように定義される。 『歴史学でいう従士団とは、...
人物

マンドゥブラキウス

マンドゥブラキウス(Mandubracius)は紀元前一世紀半ば頃のブリテン島の部族トリノウァンテス族の王。カッシウェッラウヌスに圧迫され、ユリウス・カエサルの第二次ブリテン島侵攻(前54年)の際はカエサルに庇護を求めた。 生涯 ユリウス・カエサルの「ガリア戦記” De Bello Gallico”」によれば、カッシウェッラウヌスによって父王()が殺されたため、カエサルの下に逃れていた。紀元前54...
建築

モット・アンド・ベイリー式城塞

「モット・アンド・ベイリー式城塞(英語” Motte-and-bailey castle”,フランス語” Motte castrale”」は十世紀から十三世紀にかけて北フランスからブリテン島、さらにヨーロッパ各地に広まった築城形式。土・木製または石造の居館となる城塔を自然の丘陵地あるいは人工の盛り土(モット” Motte”)の上に築き、その周囲に木製の防御壁で囲まれた城庭(ベイリー” Bailey...
人物

オスウィウ/オズウィ(ノーサンブリア王)

オスウィウ(Oswiu)またはオズウィ/オスウィ(Oswy)、オスウィグ(Oswig)は七世紀半ば、ノーサンブリア地方一帯を支配した君主。612年頃生-670年2月15日没。バーニシア王(642-655年)、初代ノーサンブリア王(655-670年2月15日)。アイドル川の戦い(616/617年)で父エセルフリスが戦死したため兄オスワルドとともにアイオナ修道院に避難して幼少期を過ごす。エドウィン王体...
人物

コンミウス

コンミウス(Commius)はフランス北東部アルトワ地方に居住していたベルガエ人部族アトレバテス族の王。紀元前57年、カエサルがアトレバテス族を征服したあとカエサルによって王に推挙された。ブリタンニア遠征(紀元前55~54年)などカエサルの同盟者として活躍しアトレバテス族の勢力を拡大したが、紀元前52年、ウェルキンゲトリクスの反乱に協力してローマ軍に敗北、ブリテン島へ逃亡した。ブリテン島で再起しハ...
歴史的文書

「アグリコラ」(タキトゥスの著作)

「アグリコラ(ラテン語 ” De vita et moribus Iulii Agricolae” アグリコラの生涯と性格について)」は西暦98年頃、ローマの歴史家タキトゥスが自身の妻の父にあたるローマ帝国の軍人・政治家グナエウス・ユリウス・アグリコラについて著した伝記である。グナエウス・ユリウス・アグリコラは属州ブリタンニア総督としてスコットランド南部まで領土を拡大した華々しい軍事的成功を収めた...
事件・軍事・戦争

ワット・タイラーの乱(1381年)

「ワット・タイラーの乱(Wat Tyler's Rebellion)」は1381年6月、イングランド王国で人頭税導入に反対して元兵士のワット・タイラーや聖職者ジョン・ボールらに率いられた農民たちが蜂起した事件。英語ではシンプルに"Peasants' Revolt"(農民の反乱)の名で呼ばれることが多い。同時期フランスでおきたジャックリーの乱(1358年)などとともに、中世後期を代表する農民反乱であ...
宗教・神話・伝承

公会議主義

「公会議主義(Conciliarism)」とは公会議が教会における至上権を持つとする思想である。公会議(ラテン語” Concilium Oecumenicum”,英語” Ecumenical council”)は『カトリック教会において全世界の司教が教会の最高指導者として集まり、信仰とキリスト教生活に関して規範となるような議決を行う教会の最高会議。教皇が召集・主宰し、決議を承認すると規定されている...
ヨーロッパの城

ファレーズ城

ファレーズ城(Château de Falaise)はフランス・ノルマンディー地域圏カルヴァドス県ファレーズ市にあるモット・アンド・ベイリー式の城塞。イングランド王ウィリアム1世の生誕地として知られ、「征服王ギヨーム(ウィリアム)の城(Château Guillaume-le-Conquérant)」という別名がある()。 征服王の城 ファレーズ城の史料上の初出は1027年頃、兄のノルマンディー公...
人物

マクベス(スコットランド王)

マクベス(英語”Macbeth”,スコットランド・ゲール語” MacBheatha”, 中世ゲール語“Mac Bethad”)は十一世紀に実在したアルバ(スコットランド)王(在位1040-1057)。ウィリアム・シェイクスピアの代表的戯曲「マクベス」の主人公としてその名を知られる。歴史上のマクベスに関する史料は少なく分かっていることは限られているが、シェイクスピアによる創作上のキャラクターとは大き...
事件・軍事・戦争

ノルマン・コンクエスト(1066年)

「ノルマン・コンクエスト(Norman Conquest)」は、1066年、ノルマンディー公ギヨーム2世率いるノルマンディー公国軍がイングランドへ侵攻、ヘースティングズの戦い(1066年10月14日)の勝利によってイングランド王位を獲得し、以後1070年代半ばにかけてイングランド全土を征服していった一連の軍事行動、および、征服の過程でアングロ・サクソン人からノルマン人へと支配層が入れ替わることで生...
国・王朝・民族

アトレバテス族

アトレバテス族(Atrebates)は紀元前一世紀頃フランス・アルトワ地方にいたベルガエ人部族。紀元前50年代、コンミウス王がユリウス・カエサルのガリア戦争に協力して勢力を拡大したが、紀元前52年、ウェルキンゲトリクスの反乱に際してローマ軍と戦い敗北、ブリテン島へ逃れてブリテン島南部に勢力を確立した。西暦40年代、カトゥウェッラウニ族の圧迫を受けたウェリカ王がクラウディウス帝の下へ亡命したことがロ...
人物

リチャード・ド・ルーシー

リチャード・ド・ルーシー(”Richard de Lucy”または” Richard de Luci”,1089頃/1098頃-1179年7月14日)は中世イングランドの政治家。ヘンリ1世、スティーヴン王、ヘンリ2世三代のイングランド王に仕え、1154年から死の直前まで宰相にあたる行政長官(Chief Justiciar)としてアンジュー帝国運営の実務を統括した。 ヘンリ1世、スティーヴン王時代 ...
歴史的文書

「ゲルマーニア」(タキトゥスの著作)

『ゲルマーニア"Germania"』は古代ローマ帝国の歴史家・政治家だったプブリウス(またはガイウス)・コルネリウス・タキトゥス(” Publius (or Gaius) Cornelius Tacitus ” 、55頃~120頃)が古ゲルマン人社会の風俗、習慣について西暦97~98年頃に記した著作。以下引用は特に断りない限りタキトゥス著/泉井久之助 訳註(1979)『ゲルマーニア (岩波文庫 青...
国・王朝・民族

ウェセックス王国

ウェセックス王国(Kingdom of Wessex)は六世紀から十世紀にかけてブリテン島に存在したサクソン人の王国。七王国の一つ。六世紀後半、テムズ川上流域で勃興し七世紀始め頃からブリテン島南部・南西部を支配下におさめ強国として台頭、マーシア王国、ノーサンブリア王国を始めとする諸王国と覇を競った。825年、エグバート王時代にマーシア王国を撃破してブリテン島に覇権を確立、アルフレッド大王治世下でデ...
政治・経済

アルマニャック派

アルマニャック派(Armagnacs)は1410年のフランスで台頭するブルゴーニュ公ジャンへの対抗としてオルレアン公シャルル、アルマニャック伯ベルナール7世、ベリー公ジャンら有力諸侯が結成した反ブルゴーニュ公派同盟。イングランド軍の侵攻後は、王太子シャルル(のちのシャルル7世)を擁してブールジュを本拠地とした勢力の総称となった。名称の由来は主力となった南フランスの有力諸侯アルマニャック伯から。14...
ヨーロッパの城

キャリクファーガス城

キャリクファーガス城(Carrickfergus Castle,またはキャリックファーガス城/アイルランド語”Carraig Ḟergus”)は、アイルランド島北東部、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国を構成する北アイルランドのアントリム県の主要都市キャリクファーガスにある城である。キャリクファーガスはアイリッシュ海を臨むベルファスト湾の北岸に位置し軍事・交通の拠点となる古都で、その名はダ...
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