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七王国時代

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建築

オファの防塁

「オファの防塁(Offa’s Dyke)」はブリテン島のワイ川河口からディー川河口まで、現在のイングランドとウェールズ地方との境界に沿って南北約240キロメートルのうち約132キロメートルに渡って築かれた中世の土塁の遺構である。八世紀後半、強勢を誇ったマーシア王国のオファ王(Offa of Mercia , 在位:757~796年)によって築かれたと言われるが、建設時期や建設目的については諸説あっ...
国・王朝・民族

バーニシア王国

バーニシア王国(Kingdom of Bernicia)は六世紀後半に誕生した、現在のイングランド北東部のノーサンバーランド州・ダラム州・ベリックシャー州とスコットランド南東部イースト・ロージアンにあたるフォース川からティーズ川にかけての一帯を領土としたアングル人の王国。エセルフリス王(在位593-616/617年)の頃に急成長してブリトン人諸王国を次々服従させ、ティーズ川の南に隣接する同じアング...
国・王朝・民族

ゴドジン王国

ゴドジン王国(Kingdom of Gododdin)は現在のスコットランド南東部ロージアン地方に六世紀頃存在したブリトン人の王国。首都はエディンバラ。アングル人勢力の拡大によって劣勢となり600年頃カトラエスの戦いの大敗で衰退、638年、バーニシア王国によってエディンバラを攻略され滅亡した。同時代の詩人アネイリンによる挽歌「ア・ゴドジン(Y Gododdin)」によってカトラエスの戦いの悲劇が知...
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人物

ペンダ(マーシア王)

ペンダ(Penda)は七世紀、ブリテン島中部ミッドランズ地方を支配したマーシア王国の王。即位時期については議論がある。655年11月15日没。633年、グウィネズ王カドワソンと同盟を結びハットフィールド・チェイスの戦いでノーサンブリアのエドウィン王を戦死させた。636年頃から640年頃の間にイースト・アングリア王エグリックと前王シグベルフトを殺害して後顧の憂いを絶ち、642年、マーサフェルスの戦い...
人物

キュネギリス(ウェセックス王)

キュネギリス(Cynegils)は七世紀初頭のウェスト・サクソン(ゲウィッセ)の王(在位611-642年頃?)。626年から636年の間息子または弟のクウィッチェルムと共同王であったとみられる。キリスト教へ改宗した最初のウェセックス王で、宣教師ビリヌスをドーチェスター・オン・テムズ司教に任命した。ノーサンブリアのエドウィン王やマーシア王国のペンダ王の勢力に圧迫され、ノーサンブリアのオスワルド王に従...
社会・法

エアルドールマン

エアルドールマン(古英語:Ealdorman,英語:Alderman)は中世前期のイングランドにアングロ・サクソン人が立てた諸王国で王家に次ぐ地方領主・豪族の首長や戦時の指導者を指して使われた人々の名称で、九世紀にイングランドのアングロ・サクソン諸王国がウェセックス王国の下で統一されると、大規模領主とあわせて国王直轄領の州(シャイア)の代官もエアルドールマンと呼ばれた。十一世紀、古ノルド語「ヤール...
国・王朝・民族

イースト・アングリア王国

イースト・アングリア王国(Kingdom of East Anglia)はブリテン島東部、現在のノーフォーク州とサフォーク州を併せた領域に六世紀から九世紀にかけて存在した七王国時代のアングル人の王国。初期の歴史は不明だが四代目の王とされるレドワルド王(在位599年頃-624年頃)の頃に強盛となった。八世紀に入ると台頭したマーシア王国に服属、794年、王統が絶えてマーシア王の直接統治下となり、825...
歴史的文書

「アングロ・サクソン年代記」

「アングロ・サクソン年代記(Anglo-Saxon Chronicle)」はアルフレッド大王治世下の九世紀末、当時、残っていた古い記録や文書、民間の伝承を集め、デーン人の侵攻を中心に同時代の記録を追加されて編纂が始められた年代記形式の歴史書。後に複数の写本が作られて各地の教会や修道院でそれぞれ書き継がれ、これらの写本類をあわせると、西暦0年から1154年までの記録が残されている。複数の写本で構成さ...
人物

カンタベリーの聖アウグスティヌス

カンタベリーの聖アウグスティヌス(ラテン語Augustinus,英語Saint Augustine of Canterbury)は六世紀、ローマ教会に所属していた修道士。597年、ローマ教皇グレゴリウス1世の命でアングロ・サクソン人へキリスト教を布教すべく40名の宣教師団を率いてブリテン島へ上陸、ケント王エゼルベルフトを改宗させケント王国を中心としたイングランド南東部に布教した。597年から初代カ...
人物

キンリッチ(ウェセックス王)

キンリッチ(Cynric)は第二代ウェセックス王(在位534-560年)。父または祖父のチェアディッチとともにブリテン島へ上陸、ウェセックス王国を建国したと伝えられている。 事績 キンリッチは495年、チェアディッチとともに五隻の船団を率いて現在のハンプシャー州南部に上陸したという。「アングロ・サクソン年代記」によればキンリッチはチェアディッチの子、アルフレッド王に仕えた修道士アッサーが著した「ア...
人物

チェアディッチ(ウェセックス王)

チェアディッチ(Cerdic)は六世紀頃にブリテン島で活動していた人物。同時代史料がなく九世紀末以降の文献にしか登場しないため実在していたか否かはっきりしないが、のちにイングランド王国へ発展するウェセックス王国の建国者とされる。歴代のウェセックス王・イングランド王は彼の末裔であると主張した。 「アングロ・サクソン年代記」の記述 九世紀後半にウェセックス王アルフレッドの命で編纂が開始された「アングロ...
歴史的文書

「アングル人の教会史」(ベーダの著作)

「アングル人の教会史(ラテン語” Historia ecclesiastica gentis Anglorum”,英語” Ecclesiastical History of the English People” )」は西暦731年、七王国時代のノーサンブリア王国の聖職者ベーダが著したブリテン島のアングロ・サクソン人がキリスト教に改宗し教会が発展していく布教の過程を描いた歴史書。 概要 著者のベー...
事件・軍事・戦争

ハットフィールド・チェイスの戦い(633年)

ハットフィールド・チェイスの戦い(Battle of Hatfield Chase)は633年10月12日、サウスヨークシャーのドンカスター近郊のハットフィールド村あるいはノッティンガムシャーのカックニー近郊でノーサンブリアのエドウィン王がグウィネズ王カドワソンとマーシア王ペンダの連合軍に破れた戦い。エドウィン王が戦死して彼の覇権が崩壊した後、エドウィン王によって追放されていたバーニシア王エセルフ...
国・王朝・民族

マーシア王国

マーシア王国(Kingdom of Mercia)は七王国時代、イングランド中央部、現在のミドランズ地方に存在したアングル人の王国。首都はタムワース。王家の系譜は六世紀初め頃から始まるが成立初期の歴史は定かではなく、七世紀前半、ペンダ王時代に台頭してノーサンブリア王国を始めとする諸国と争い、八世紀に入るとブリテン島南部諸国を次々と服属させ、オファ王の時代に後のイングランドにあたる領域すべての諸王国...
国・王朝・民族

デイラ王国

デイラ王国(またはディアラ王国、Kingdom of Deira)はティーズ川を北限、ハンバー川を南限とした現在のヨークシャー州東部にあたる地域に六世紀頃登場したアングル人の王国である。七世紀以降首都はヨークに置かれた。ティーズ川の北に登場したバーニシア王国と争い、604年頃バーニシア王エセルフリスに征服されたが、エドウィン王の頃にバーニシア王国を併合してノーサンブリア地方全体を支配した。エドウィ...
国・王朝・民族

ウェセックス王国

ウェセックス王国(Kingdom of Wessex)は六世紀から十世紀にかけてブリテン島に存在したサクソン人の王国。七王国の一つ。六世紀後半、テムズ川上流域で勃興し七世紀始め頃からブリテン島南部・南西部を支配下におさめ強国として台頭、マーシア王国、ノーサンブリア王国を始めとする諸王国と覇を競った。825年、エグバート王時代にマーシア王国を撃破してブリテン島に覇権を確立、アルフレッド大王治世下でデ...
人物

ノーサンブリアのエセルフリス(バーニシアとデイラの王)

エセルフリス(Æthelfrith)は六世紀後半、イングランド北東部にあったバーニシア王国の王(在位:593年頃-616/617年)。エアドフェレド(Eadfered)とも。ブリトン人からは「フレサウルス("Flesaurs"ブリトン語で狡猾な、詐欺師などの意味)」の異名で呼ばれる()。非キリスト教の神を信仰していたという。周辺諸国との戦いで勢力を拡大し、604年、デイラ王国を征服、のちにノーサン...
事件・軍事・戦争

エレンダンの戦い(825年)

エレンダンの戦い(Battle of Ellendun)またはエランドン/エランダンの戦い(Battle of Ellandun)は、825年、ウェセックス王国とマーシア王国の間で行われた戦い。ウェセックス王国の勝利に終わり、ブリテン島南部のアングロ・サクソン諸王国に対するマーシア王国の覇権を終わらせてウェセックス王国の優位を確立した。このあとマーシア王国を占領したウェセックス王エグバートはブレト...
人物

ベーダ

ベーダ(英語:Bede,Beda/古英語:Bæda)は七世紀後半から八世紀前半にかけて活躍したイングランド北部ノーサンブリア王国の修道士、歴史家。673年生-735年5月26日没。「尊者ベーダ」(ラテン語:Beda Venerabilis)とも呼ばれる。同時代のノーサンブリア王国で興った文化・芸術活動の隆盛期「ノーサンブリア・ルネサンス」を代表する知識人で、「アングル人の教会史」を始めとする多数の...
政治・経済

ブレトワルダ

「ブレトワルダ(古英語Bretwalda,ほかに bretenanwealda, brytenwalda, brytenweald などの表記もある)」は七王国時代のブリテン島において諸王国に対し宗主権を持った強力な君主を指した称号のこと。覇者、覇王、上王とも訳される。 八人のブレトワルダ アルフレッド大王の命で九世紀後半に編纂が開始された「アングロ・サクソン年代記」の827年(829年)の条、マ...
人物

エゼルベルフト1世(ケント王)

エゼルベルフト(Æthelberht)はアングロ・サクソン諸王国の一つケント王国の王(在位:580年頃-616年)。エゼルベルト、エセルベルトとも。八世紀の同名のケント王と区別してエゼルベルフト1世と呼ばれる。フランク王国の王族ベルタとの結婚を通じて大陸との密接な関係を築いた。596年、ローマからの宣教団を受け入れてアングロ・サクソン諸王国としては最初にキリスト教に改宗、カンタベリーに司教座を置い...
人物

チェウリン(ウェセックス王)

チェウリン(Ceawlin)は三代目のウェセックス王(在位560-591/592年)。後にウェセックス王国となるゲウィッセ族の勢力を拡大し、ブリテン島に覇権を確立した八人のブレトワルダの一人に数えられる。 初期のウェセックス王国 大陸からブリテン島へのゲルマン系の人々の大規模な移住はローマ帝国のブリテン島支配体制が崩れた五世紀半ばから六世紀前半にかけての時期に本格化した。ウェスト・サクソン人もこの...
社会・法

エゼルベルフト法典

エゼルベルフト法典(Law of Æthelberht)は六世紀末頃にケント王エゼルベルフトが編纂したとされる法典。ゲルマン部族法典の一つに位置づけられるが同時代に編纂された諸法典がラテン語で書かれたのに対し、古英語で書かれている点が特徴で、現存する中ではゲルマン諸語で書かれた最古の法典である。初期のアングロ・サクソン社会における社会慣習、女性の地位、身分の分化など当時の社会を窺い知ることが出来る...
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