西アジア史

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人物

ハンムラビ王

ハンムラビ王(前1792年~1750年)はバビロン第一王朝六代目の王。ウル第3王朝以来約250年ぶりにメソポタミアを統一して、『ハンムラビ「法典」』の編纂や大規模な運河開削・灌漑事業の実施など古バビロニア王国の草創者となった。 「ウル第三王朝」滅亡後のメソポタミア メソポタミアでは紀元前三千年頃からシュメール人都市国家が群雄割拠した「初期王朝時代」、アッカド人による統一王朝「アッカド王朝時代」、シ...
文化・芸術

「ウルクの大杯」

「ウルクの大杯(英語 “ Warka Vase ” )」はウルク市の遺跡から発見されたウルク期(前3500~3100年頃)後期からジュムデト・ナスル期(前3100~2900年頃)にかけての時期に作られたとみられるアラバスター製の大きな容器。1933~34年のドイツ隊による発掘調査で、ウルク市の女神イナンナを祀る神殿を中心としたエアンナ聖域地区のジュムデト・ナスル期の宝物庫で発掘された。 高さ約一・...
国・王朝・民族

海の民(古代西アジア)

「海の民(英語” Sea Peoples”,フランス語” Peuples de la mer”」は紀元前十三世紀から十二世紀にかけて、東地中海地域を移動した様々な民族集団の総称。古代の史料には一括して表すような言葉はなく、十九世紀フランスの考古学者・エジプト学者ガストン・マスペロ(1846年生~1916年没,” Gaston Camille Charles Maspero”)が名付けた。 「海の民...
国・王朝・民族

海の国(古代メソポタミア)

「海の国”sealand”」とは、海の国第1王朝(前1740年頃~前1475年)、海の国第2王朝(前1025年~前1005年)の二度に渡ってバビロニア王朝を樹立したメソポタミア南部を地盤とする独立勢力の総称およびメソポタミア南部一帯のこと。その後も紀元前七世紀頃まで新アッシリア王国のバビロニア支配に対抗した()。八世紀以降、新アッシリア王国の支配体制下ではカルデア人が中核となった。 「海の国第1王...
国・王朝・民族

カッシート朝バビロニア王国

カッシート人は紀元前十八世紀頃に登場し、メソポタミア東方ザグロス山岳地帯のディヤラ川上流地帯を越えてバビロニアに侵入、ヒッタイト王国によって滅ぼされた古バビロニア王国に代わって、カッシート朝バビロニア王国(バビロン第3王朝、前1595年~前1155年)を開いた。前1155年、エラムの侵攻によって滅ぼされた。 カッシート人の侵攻 ハンムラビ王死後、子のサムス・イルナ(前1749~前1712年)がバビ...
国・王朝・民族

ミタンニ王国

ミタンニ(ミッタニ)王国("Mitanni or Mittani")は前二千年紀後半、紀元前十五世紀頃から前十三世紀半ば頃までイラク北部から地中海東岸にかけての地域を支配下に置いていた古代帝国。住民の大多数は系統不明のフリ(フルリ)人であったと考えられている。現在のシリア北東部にあったといわれる首都ワシュカニが未発見のため、建国の経緯などは不明。前1440年頃から強国となりエジプト新王国、ヒッタイ...
地理・地域

「肥沃な三日月地帯」

「肥沃な三日月地帯(Fertile Crescent)」とは古代オリエント史において、ペルシア湾からメソポタミア、シリア、エジプトにかけての南側に開いた、農耕に適した地理的・気候的条件を満たして人類最初の農耕に基づく都市文明が築かれた三日月状の地域を指す。 「元来はメソポタミアからシリア・パレスティナ、そしてナイル川流域にかけての古代都市文明が栄えた地帯をさしていた。農耕文化の起源に関する調査が進...
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