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トゥルッフ・トゥルウィス

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トゥルッフ・トゥルウィスまたはトゥルッフ・トルウィス(ウェールズ語” Twrch Trwyth”1中野節子(2000)『マビノギオン―中世ウェールズ幻想物語集』JULA出版局ではトゥルッフ・トゥルウィス、森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房ではトゥルッフ・トルウィスと表記される。)はウェールズの伝承「マビノギオン」収録の最古のアーサー王物語「キルフーフとオルウェン」に登場する猪の怪物。アルスル(アーサー王)戦士団と激しい戦いを繰り広げた。

「ウェールズ地方カマーゼンシャー州アンマンフォード市の入り口にある鉄のリングで組まれたトゥルッフ・トゥルウィスの像』

「ウェールズ地方カマーゼンシャー州アンマンフォード市の入り口にある鉄のリングで組まれたトゥルッフ・トゥルウィスの像』
© Nigel Davies / Detail of Twrch Trwyth sculpture CC BY-SA 2.0 / wikimedia commonsより

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「ブリトン人の歴史」の豚トロイント

ネンニウス著と伝わる九世紀の歴史書「ブリトン人の歴史” Historia Brittonum”」の73章に、アルトゥールス(アーサー)が猟犬カヴァスを連れて豚トロイント(ラテン語” porcum Troynt”)狩りを行ったという記述がある(2ラテン語:Wikipedia contributors, ‘ Historia Brittonum’, Wikipedia, The Free Encyclopedia, 13 May 2020 09:32 UTC, https://la.wikisource.org/w/index.php?title=Historia_Brittonum&oldid=130161 , 英語:Giles,J. A.(2013)’ History of the Britons (historia Brittonum), by Nennius‘Project Gutenberg, February 4 2013. /” Historia Brittonum”(ブリトン人の歴史)の日本語訳、伝ネンニウス著/瀬谷幸男訳(2019)『ブリトン人の歴史ー中世ラテン年代記』論創社では「豚トロイント」が訳出されておらず、「猪狩り」と意訳されている(69頁)。)。

この「豚トロイント」とは何か?森野聡子によれば、十三世紀後半のウェールズ語写本「アネイリンの書」に収録されている「カンヴェリンの歌」の中に「トゥルッフドルウィッドのトルク”torch trychdrwyt”」という文言があり、トゥルッフはウェールズ語で猪を意味することなどから判断して、トルウィッド” Trwyd”が猪の本来の名前で、このトルウィッドのラテン語化がトロイントと考えられている(3森野聡子(2019)381頁)。

トルク” torch”は首に飾る装身具の意味で、『神々や戦士の像の多くがトルクをつけた姿であることから、トルクは聖性、身分の高さの象徴であるとされる』(4森野聡子(2019)381頁)。このことから、『「トルクをつけた猪」は(中略)、神格化された猪、あるいは猪の王者を表すと考えられる』(5森野聡子(2019)381頁)という。一方、アイルランド語にもトルク”torc”という「種豚」を意味する単語があり、こちらはウェールズ語のトゥルッフ” Twrch”(猪)の語源となったと見られている(6ヴァルテール、フィリップ(2018)『アーサー王神話大事典』原書房、263頁)。

また、このラテン語の豚トロイント” porcum Troynt”をアイルランド語にすると”orc tréith”となるが、900年頃にアイルランドで編纂された『コルマクの語彙集』には”orc tréith”が「王の息子」を意味するとされており、アイルランド語”triath”は「王」「猪」「海/波」の三つの意味があるとされている。このような共通点などから、トゥルッフ・トゥルウィスの伝承は、元々アイルランドの猪の王トレートスの伝承がウェールズ南部へもたらされたものと考えられている(7森野聡子(2019)396-397頁)。

以上のように、トロイントが他の文献に登場する猪の名前のラテン語化であるという点を前提にして、この「豚トロイント狩り」はブリテン島の伝統的な「猪狩り」に関する記述と見られている。後にトゥルッフ・トゥルウィスの名で登場する猪の王はアルスル(アーサー)伝承の最初期から非常に関係が深く、また、「猪狩り」というケルト文化圏の伝統的な狩猟文化を象徴する神話的な怪物であった。

猪の王トゥルッフ・トゥルウィス

「マビノギオン」の代表的な初期のアーサー王物語「キルフーフとオルウェン” Culhwch ac Olwen”」(1100年頃成立)にアルスル(アーサー)戦士団と激しい戦いを繰り広げる猪の王トゥルッフ・トゥルウィスが登場する。「キルフーフとオルウェン」は継母の呪いにより巨人の姫オルウェンを妻にせねばならなくなった青年キルフーフが親族であるアーサー(アルスル)へ助力を求め、オルウェンの父である巨人アスバザデン・ペンカウルから結婚の条件として出された様々な難題を解決するため、カイ(後のケイ卿)、ベドウィール(後のベディヴィア卿)らを始めとするアルスル戦士団の仲間とともに冒険の旅に出る物語である。

トゥルッフ・トゥルウィス討伐戦あらすじ

「キルフーフとオルウェン」によれば、トゥルッフ・トゥルウィスはタレッズ公(タレッズ・ウレディク)の子で、王であったが邪悪さゆえに、神によって猪に変えられたのだという。巨人アスバザデン・ペンカウルがキルフーフに出した難題として、トゥルッフ・トゥルウィスの両耳の間にさしてある、巨人の髭を整えるために必要な櫛とはさみの入手があったことから、アルスル戦士団の討伐を受けることになった。

トゥルッフ・トゥルウィスと同じく猪の怪物アスギスルウィン・ペンバエズを討伐し、本拠ケスリ・ウィッグへ戻ったアルスルは、配下のタイルグワエズの息子メヌーへ偵察を命じ、実際にトゥルッフ・トゥルウィスの両耳の間に宝があるか調べさせた。メヌーは鳥に姿を変え、トゥルッフ・トゥルウィスが支配するアイルランドへ向かうが、巣穴でトゥルッフ・トゥルウィスから宝の一つを奪おうと試みて反撃にあい、毒を受けた。

アルスルはブリテン諸島だけでなくフランス、ブルターニュ、ノルマンディー、夏の国(サマセット)などから軍を招集し大挙してアイルランドへ上陸、猟犬が放たれ、アイルランド人が猪と戦い、その結果アイルランドの五つの地方の一つが荒れ地となる。翌日アルスル親衛隊が戦いを挑むが敗退、三日目からアルスル自身がトゥルッフ・トゥルウィスとその七匹の子猪と交戦して九夜九日に渡って戦いが繰り広げられたが、配下の子猪一匹を倒すにとどまった。アルスルは使者を遣わして櫛と剃刀とはさみの三つの宝物の引き渡しを求める(8巨人アスバザデン・ペンカウルから課せられたのは櫛とはさみの二品だが、アルスルは剃刀も加えて櫛と剃刀とはさみの三品の宝物を要求している。)が、応対するトゥルッフ・トゥルウィス配下の銀毛のグリギンは強く拒否し、アルスルの国に入って荒らしてやると挑発してみせる。

翌日。密かにアイルアンドを発ったトゥルッフ・トゥルウィスはウェールズ地方ダヴェッドのポルスクライス(” Porthclais”)港からウェールズへ上陸、各地を襲撃・掠奪してまわり大きな犠牲が出た。その翌日、アルスル軍はトゥルッフ・トゥルウィスに追いつき激しい戦いとなる。この戦いでアルスル軍はフランス王グウィレニン(9ノルマンディー公・イングランド王ウィリアム1世がモデル。トゥルッフ・トゥルウィスがブリテン島へ上陸したセント・デイヴィッズ近郊ポルスクライス港は、1081年、アイルランドへ亡命していたグウィネッズ王グリフィズ・アプ・カナンが帰国した際の上陸地であり、同年、ウィリアム1世がセント・デイヴィッズ大聖堂を訪れており、これらのエピソードを反映したものと見られている(森野聡子(2019)376-377頁)。)を始め多数の犠牲を出したが、トゥルッフ・トゥルウィスらは戦場からの離脱に成功、姿をくらませる。

アルスルは行方の知れないトゥルッフ・トゥルウィス一味を探すため、異界アヌーヴンに縁が深いニーズの息子グウィンを頼るがグウィンは知らないという。その直後、狩人らがスラフールの谷間で猪狩りをしているところに、銀毛のグリギンと殺し屋スルウィドウグが姿を現して彼らに襲いかかり、一人を残してみな殺される事態となったため、アルスル自ら軍を率いてグリギンらを追い詰めると、部下たちを助けるためトゥルッフ・トゥルウィスが姿を現し激しい戦闘となる。ここでトゥルッフ・トゥルウィスらに大きな損害を与えたが、トゥルッフ・トゥルウィス、銀毛のグリギン、殺し屋スルウィドウグの三匹は取り逃がした。

トゥルッフ・トゥルウィスの腹心銀毛のグリギンは他の二匹から離れて、おそらく囮となって包囲を受け壮絶な戦死を遂げた。またもう一匹の配下である殺し屋スルウィドウグはブルターニュ軍の包囲を受けて奮戦し、ブルターニュ王ヒール・ペイソウグ、アルスルの叔父スラガッドリーズ・エミスらを殺すなど激しい抵抗の末に戦死する。

ここで、アルスルはブリテン島の戦士たちにむけてこう宣言した。

『トゥルッフ・トルウィスはわが手の者を多く殺めた。武士の誉れにかけて、この命ある限りコーンウォールには入らせぬ。ここからは追撃はやめ命と命をかけた一騎討ちとする。そなたたちも思い通りにするがよい。』(10森野聡子(2019)61頁

このあと、個々に戦士たちがトゥルッフ・トゥルウィスへ戦いを挑んで追い詰め、モドロンの息子マボンが剃刀を、野人カレディルがはさみを奪うことに成功するが、櫛は手に入れられなかった。そしてアルスルがコーンウォールでトゥルッフ・トゥルウィスに追いつき、ここでようやく櫛を奪うことに成功する。その後トゥルッフ・トゥルウィスはコーンウォールから海へ追われて姿を消した。戦いを終え、アルスルは風呂に入って疲れを癒したという。

アルスル戦士団の主な戦死者

  • アルスル配下の四勇者(カウの息子グワルセギズ、クルウィッドの山のタロウグ、アドヴェール・エリの息子フレイズウン、アスゴヴァン・ハエル)
  • アルスルの息子グウィドレ(11アーサー王の子というとモードレッド(メドラウド)が有名だが、初期の伝承ではモードレッドは甥。「キルフーフとオルウェン」でトゥルッフ・トゥルウィスに殺されたグウィドレや「ブリトン人の歴史」73章に記されている父アルトゥールス(アーサー)によって殺された息子アニルなどがいる。
  • ガルセリード・ウィゼル
  • アスゴットの息子グレウ
  • バノンの息子アスガヴン
  • 剛腕のグレウルウィドの三人の家来(ヒアンダウ、ゴギグール、ペンピンギオン)
  • アルスルの石工頭グラジン・サエル
  • テイシオンの息子マドグ
  • トリンガッドの息子グウィン
  • エイリオン・ペンスロラン
  • カナンの息子カンラス
  • フランス王グウィレニン(12ノルマンディー公・イングランド王ウィリアム1世がモデル。トゥルッフ・トゥルウィスがブリテン島へ上陸したセント・デイヴィッズ近郊ポルスクライス港は、1081年、アイルランドへ亡命していたグウィネッズ王グリフィズ・アプ・カナンが帰国した際の上陸地であり、同年、ウィリアム1世がセント・デイヴィッズ大聖堂を訪れており、これらのエピソードを反映したものと見られている(森野聡子(2019)376-377頁)。
  • たくましい足のイヘル
  • グウィゾウグ・グウィールの跡取りアルウィリ
  • フリーズヴュウ・フリース
  • ブルターニュ王ヒール・ペイソウグ
  • アルスルの叔父スラガッドリーズ・エミスとグールヴォズー・ヘーン

トゥルッフ・トゥルウィス一味

  • トゥルッフ・トゥルウィス
  • 銀毛のグリギン
  • 殺し屋スルウィドウグ
  • トゥルッフ・スラウィン
  • グウィス
  • バヌー
  • ベンウィグ

銀毛のグリギンは人語を解し、交渉に立ってアルスル側の要求を拒絶するなどトゥルッフ・トゥルウィスの腹心的な役割の猪である。本作の主人公キルフーフは豚小屋で生まれたことから豚に由来する名がつけられているが、この名前の起源とみられているアイルランドの伝承はアイルランド大王エオヒ・フェドレフの娘デルブレンが預かっていた男三人と妻三人が赤い豚に変えられたというものである。その中の一匹コイルヘスがキルフーフの名前の起源とみられているが、その六匹の豚の他の一匹フロイハーンがこのグリギンの名前の由来と考えられている(13森野聡子(2019)396-397頁)。

殺し屋スルウィドウグはトゥルッフ・トゥルウィスに次ぐ高い攻撃力を持っており、アルスル戦士団の犠牲者のうち、ブルターニュ王ヒール・ペイソウグ、アルスルの叔父スラガッドリーズ・エミスとグールヴォズー・ヘーンの三人を殺害した。他の犠牲者はみなトゥルッフ・トゥルウィスによって殺されており、アルスル戦士団の死者はこの二匹による。他の四匹はトゥルッフ・トゥルウィスの七匹の子猪たちの名で、スラフールの谷間での戦いに続くアマヌーの谷間での戦いで殺された。

破壊と戦争の象徴としての猪

「ケルト文化事典」の狩猟の項によれば『ケルト人にとっての狩猟は気晴らしのために行われたもの、おそらく軍事訓練を兼ねた有力者の娯楽として行われたものであろう』(14木村正俊 , 松村賢一(2017)『ケルト文化事典』東京堂出版、164頁)という。猟犬を使って獲物を追い込み、弓矢や投げ槍、投石など飛び道具を使って仕留めた。トゥルッフ・トゥルウィス狩りでもアルスルの愛犬カヴァスを始め多くの猟犬が活躍している。

森野は「キルフーフとオルウェン」のトゥルッフ・トゥルウィス討伐戦について、ブリテン島南岸の防衛戦争の構図を見出している。

『アイルランドからブリテン島に侵入してきたトゥルッフ・トルウィスをウェールズの南の海岸線からブリストル海峡、そしてコーンウォールから海の彼方へと狩り立てるエピソードは、ブリテン島の南の防衛線を固める呪術的儀礼の観がある。』(15森野聡子(2019)384頁

ケルト文化圏において、猪は攻撃性の高さや多産な特徴から聖獣として剣や盾に猪の紋章が描かれ、兜に猪の像が飾り付けられるなど戦争と結びつけられ、戦いの御守りとなる神獣として信仰されていた。トゥルッフ・トゥルウィスも猪の姿に変えられ異界の力を得て激しい破壊と戦いを巻き起こすなど、破壊と戦争の象徴としての神話的な猪を表している。

参考文献

脚注

  • 1
    中野節子(2000)『マビノギオン―中世ウェールズ幻想物語集』JULA出版局ではトゥルッフ・トゥルウィス、森野聡子(2019)『ウェールズ語原典訳マビノギオン』原書房ではトゥルッフ・トルウィスと表記される。
  • 2
    ラテン語:Wikipedia contributors, ‘ Historia Brittonum’, Wikipedia, The Free Encyclopedia, 13 May 2020 09:32 UTC, https://la.wikisource.org/w/index.php?title=Historia_Brittonum&oldid=130161 , 英語:Giles,J. A.(2013)’ History of the Britons (historia Brittonum), by Nennius‘Project Gutenberg, February 4 2013. /” Historia Brittonum”(ブリトン人の歴史)の日本語訳、伝ネンニウス著/瀬谷幸男訳(2019)『ブリトン人の歴史ー中世ラテン年代記』論創社では「豚トロイント」が訳出されておらず、「猪狩り」と意訳されている(69頁)。
  • 3
    森野聡子(2019)381頁
  • 4
    森野聡子(2019)381頁
  • 5
    森野聡子(2019)381頁
  • 6
    ヴァルテール、フィリップ(2018)『アーサー王神話大事典』原書房、263頁
  • 7
    森野聡子(2019)396-397頁
  • 8
    巨人アスバザデン・ペンカウルから課せられたのは櫛とはさみの二品だが、アルスルは剃刀も加えて櫛と剃刀とはさみの三品の宝物を要求している。
  • 9
    ノルマンディー公・イングランド王ウィリアム1世がモデル。トゥルッフ・トゥルウィスがブリテン島へ上陸したセント・デイヴィッズ近郊ポルスクライス港は、1081年、アイルランドへ亡命していたグウィネッズ王グリフィズ・アプ・カナンが帰国した際の上陸地であり、同年、ウィリアム1世がセント・デイヴィッズ大聖堂を訪れており、これらのエピソードを反映したものと見られている(森野聡子(2019)376-377頁)。
  • 10
    森野聡子(2019)61頁
  • 11
    アーサー王の子というとモードレッド(メドラウド)が有名だが、初期の伝承ではモードレッドは甥。「キルフーフとオルウェン」でトゥルッフ・トゥルウィスに殺されたグウィドレや「ブリトン人の歴史」73章に記されている父アルトゥールス(アーサー)によって殺された息子アニルなどがいる。
  • 12
    ノルマンディー公・イングランド王ウィリアム1世がモデル。トゥルッフ・トゥルウィスがブリテン島へ上陸したセント・デイヴィッズ近郊ポルスクライス港は、1081年、アイルランドへ亡命していたグウィネッズ王グリフィズ・アプ・カナンが帰国した際の上陸地であり、同年、ウィリアム1世がセント・デイヴィッズ大聖堂を訪れており、これらのエピソードを反映したものと見られている(森野聡子(2019)376-377頁)。
  • 13
    森野聡子(2019)396-397頁
  • 14
    木村正俊 , 松村賢一(2017)『ケルト文化事典』東京堂出版、164頁
  • 15
    森野聡子(2019)384頁
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