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ヨーロッパ史(書籍)

「中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで」朝治啓三 編著

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現在の英国(イギリス)とフランスにあたる地域における十一世紀から十五世紀にかけての政治史を概観した本である。西洋史を学ぶ上で、手元に置いておくことで存分に役立つこと間違いなしの一冊だ。当サイトの中世西洋史関連記事の主要参考文献の一つで、もう本当に本書の詳細さはありがたいにも程がある。

「中世英仏関係史」というと、イングランド王国とフランス王国という二つの国家間の政治・外交・戦争の歴史と思うかもしれないが、中世のヨーロッパにおいて、現在我々が想像する「(国民)国家」は存在しない。当時、一つの王権の下に諸侯が連なる内部で完結した政体などは成立しておらず、『存在していたのは、王家を核とし、それを推戴する武装能力者=領主や、都市共同体=富裕者団体が構成する王国であった。』(2頁)

王家と領主との関係は流動的で、王家への臣従は一代限りで代替わりの際に更新しなければならない。また、領主間では利害を巡って日常的に争いが起こったため、王家はその仲裁や鎮圧と平和維持の機能が求められた。紛争解決の制度化をいかに進めるかが王家に課せられた使命であり、そのために同盟関係の構築やさらなる上級権力の模索が、例えば神聖ローマ皇帝という皇帝権の成立や、教皇権の強化へと帰結した。

現在の英仏にあたる地域において十二世紀に登場したのがブリテン諸島からフランスの西半分を支配したアンジュー帝国である。フランス中西部の諸侯であったアンジュー伯アンリがノルマンディー公、メーヌ伯、トゥレーヌ伯、ポワトゥ伯、アキテーヌ公そしてイングランド王などを兼ね、さらにブルターニュ公領やアイルランド、ウェールズなどを征服し、スコットランド王を臣従させた。このプランタジネット家の「帝国」は十三世紀初頭にアキテーヌ公領とイングランド王国を残して崩壊し、かわりにフランス王がその支配権を獲得。両王家の紛争は十五世紀末にイングランド王が大陸領土の総てを失うことで、現在の連合王国とフランスという国家へと至る枠組みが誕生する。

アンジュー帝国は突然誕生したわけではなく、その前段階としてノルマンディー公によるイングランド王位の獲得と征服がある。1066年のノルマン・コンクエストによってノルマンディー公ギヨーム2世はイングランド王ウィリアム1世となり、英仏海峡をまたぐ海峡国家アングロ・ノルマン王国(ノルマン朝)が成立した。この複雑性を表す表現として一般的にノルマンディー公がフランス王の家臣であったことが強調されることが多い。これはどういう関係なのだろうか。ノルマンディー公がフランス王の家臣であるなら、ノルマンディー公であるイングランド王もフランス王の家臣なのだろうか。いや、そもそもノルマンディー公はフランス王の家臣であったのだろうか。

十一~十二世紀のフランス王家の支配領域はパリとその周辺に限られた非常に弱体な王権であった。「家臣」であるはずのノルマンディー公とは激しく争い続けており、1054年、フランス王アンリ1世はノルマンディー公国に侵攻してギヨーム2世に大敗している。そもそもノルマンディー公国自体が十世紀初頭にヴァイキングの一派の侵攻によって誕生したものだ。ノルマンディー公とフランス王は時に同盟し、時に争い、時に臣従しつつ、フランス王の宗主権を前提とした独立勢力として強大化し、ついにイングランドを征服するに至った。ノルマンディー公がイングランドを支配する体制である。この関係は「イギリス」と「フランス」を主体としていてはとうてい理解できない。

『重要な点は、中世におけるこの地域の歴史はフランス王国とイングランド王国の歴史の単なる総和ではないということである。両王国は基本的に諸ランクの貴族や各種の境界所領のモザイク状の寄せ集めに過ぎず、彼らのあいだの激しい離合集散により、また変動きわまりない彼らと王権との関係に規定されて王国の領域はきわめて流動的であった。これらの離合集散と流動性の根底には王家を含む貴族家系・家門間の姻縁関係があり、それはきわめて広域的に展開していたのである。この次元において観察することにより、王国の枠組みを前提とする観察に比して、はるかに具体的かつダイナミックにこの地域で展開した政治史全体を捉えることができるのである。』(277頁)

つまり、本書は単なる英仏二国間の歴史としてではなくイングランド(プランタジネット)王家とフランス(カペー=ヴァロワ)王家を核とした諸王侯の関係史として描かれている点に特徴がある。本書は二部構成で第一部政治史と第二部分野史に別れ、第一部ではノルマン・コンクエストに始まり、アンジュー帝国、カペー王家の全盛期、百年戦争、フランス統一戦争と薔薇戦争までの十一世紀から十五世紀の政治史が概観され、第二部では教皇権、諸都市、フランドル、イベリア半島などと英仏地域との関係史および、この時代に成立した帝国的国制について論じられる。

目次
総説 王国史から関係史へ

第I部   政治史
 第一章  ノルマン征服とアングロ・ノルマン王国(一〇六六~一一五四年)
 第二章  カペー家フランス王国とアンジュー帝国(一一五四~一二〇四年)
 第三章  ルイ九世とヘンリ三世の英仏関係(一二〇四~一二五九年)
 第四章  一二五九年パリ条約とその結果(一二五九~一三〇三年)
 第五章  ガスコーニュ戦争終結から百年戦争開戦へ(一三〇三~一三三七年)
 第六章  百年戦争前半(一三三七~一四〇〇年)
 第七章  百年戦争後半(一四〇〇~一四五三年)
 第八章  ルイ一一世治世とバラ戦争期の英仏関係(一四五三~一五〇〇年)

第II部   分野史
 第九章  王家と都市の関係から見た英仏関係
 第十章  教皇権と地域諸権力の関係
 第十一章 フランドルと英仏
 第十二章 アイルランドと英仏
 第十三章 スコットランドと英仏
 第十四章 イベリア半島と英仏
 終章   帝国的国制とは何か

本書は、プランタジネット王家とフランス王家という『二つの帝国的権力構造が、西欧世界各地の現地小権力体を帰属させて、勢力争いをしながら、全体として平和を維持していた状況を歴史的に説明することをめざしている』(1頁)

フランク王国が東西に分裂し東フランク王国に神聖ローマ帝国が成立、十二世紀に入って皇帝フリードリヒ1世がイタリア遠征など積極的外征を行い、西欧の諸侯に臣従を求めてまわった。一方ヘンリ2世によるアンジュー帝国が西フランスからブリテン諸島にかけての一帯に成立する。この二つの帝国的権力に対抗して、西フランク王権を継承して宗主権を主張する立場にあったフランス王もブリテン諸島、イベリア半島、地中海周辺地域にかけて支配を及ぼす「帝国」を目指すことになった。神聖ローマ帝国を除く二つの帝国的権力構造の関係の中で諸王侯や諸都市、その他の勢力がいかに動いたのかというダイナミックな歴史として概観されるのである。

神聖ローマ帝国も含めた三つの帝国的権力構造と諸勢力の関係については本書の続編にあたる同じ編著者による論文集『〈帝国〉で読み解く中世ヨーロッパ (MINERVA西洋史ライブラリー) 』が出ていて、こちらもとても勉強になるのでお勧めである。

また、何かと話題になりがちなジョン欠地王によるアンジュー帝国の大陸領土失陥について、以下の部分を紹介しておこう。

『同年代の年代記作家たちはノルマンディ喪失の要因をジョン王がリチャードのような勇気を持ち合わせていなかったこと、あるいは彼の怠惰に求める傾向がある。今日ではノルマンディの喪失の原因をフランス王権の急激な財政的拡大に求め、一二〇〇年前後にはプランタジネット家の収益を凌駕していたと見なす見解が有力である。ある試算によればその収入はカペー家の八六または八二パーセント程度と見積もられている。フィリップがそれ以前から財政の改革を図っており、他方で一二〇二年以降の相次ぐ敗北と領地の喪失が、ジョンの大陸側における収入の極度の減少とフランスの収入の一層の増加をもたらしたことは否定できない』(51-52頁)

アンジュー帝国の権力構造が基本的に個々の領主がプランタジネット王家に直接臣従した独立領主の集まりであった点も重要で、その支配の深度は遥かに狭い領域しか支配していなかったフランス王と比べて非常に浅く緩い体制であった。この王権支配をいかに強化するかがアンジュー帝国の課題であり、その軋轢こそが弱点であった。ゆえに封建関係に基づく軍事力の動員には限界があり。傭兵を中心とせざるを得ないが、そうすると財政的限界が立ちはだかることになり、そこに戦略・戦術レベルでの失敗が重なることになる。ジョン王の失敗を人格でのみ理解する見方は未だに語られることが多いが、アンジュー帝国の支配構造の特質やフランス王家の支配構造との比較から、ジョン王の失地を理解するという観点を本書は与えてくれる。

以上のように、最新の学説を踏まえた中世ヨーロッパの政治史を理解する上で必読の一冊である。特に百年戦争の展開については、個々の戦いや特定の時代にスポットを当てたものは他にあるが、勃発から終戦までの戦史・政治史の記述のバランスは日本語文献の中で随一と思うので、流れを押さえるなら本書が随一ではないだろうか。

ところで、タイトルが「百年戦争まで」となっているのに、目次では本書の記述は1500年までとなっていることにおや?と思った人もあるかと思うが、政治史の最後の章「第八章  ルイ一一世治世とバラ戦争期の英仏関係(一四五三~一五〇〇年)」の最後の第三節は「百年戦争の終結時期をめぐって」である。というわけで百年戦争の終期をめぐる議論についても整理されているので注目である。