中世盛期、西ヨーロッパの農村で暮らす農民たちの姿を、イングランド東部ケンブリッジシャーのエルトン村を舞台に描く、講談社学術文庫の中世ヨーロッパを扱った本としてはロングセラーの一冊である。著者はアメリカの歴史作家ジョセフ・ギースとフランシス・ギース夫妻。同じく講談社学術文庫から出版されている同著者の「中世ヨーロッパの城の生活」「中世ヨーロッパの都市の生活」とぜひ合わせて読んでいただきたい。
中世の農村が誕生するのは中世盛期十~十一世紀頃のことである。高校世界史でも習うが、小家族を農業単位とする古典荘園制が崩れ、重量有輪犂や水車など農業技術の革新と人口増加による大開墾運動の開始、三年輪作システムの発明と三圃制への移行などが進行して、農民たちが集住して共同耕作を行う開放耕地制の村落共同体が誕生する。これらは修道院や世俗領主ら聖俗荘園領主層の強力な領主権(バン領主権)とセットで発展することになる。特に北フランスからイングランドにかけて典型的な農村が形成された。
本書では、前述の通りイングランド東部のエルトン村の十三世紀頃の様子が、豊富な史料とともに紹介されている。
本書によれば農民たちは『上から順に自由民、準自由民、農奴、小屋住農、奴隷』(96頁)の五つの階層に分かれている。自由民から農奴までは土地を保有し領主から様々な労役が課せられる点では変わらないが、領主直営地を除くと土地の大半は自由民で占められ、農奴は自活するには不十分な狭い土地を耕さざるを得なかったようだ。彼らの下にいる小屋住農が日本の農村でいう小作人で、土地保有農から土地を借りて耕し、あるいは村の雑務を請け負っている。村は自治が許されており、様々な役職が設けられ、役職に就くと領主保有地での賦役が免除されるが、その役職も大半が自由民の独占するところであった。
一方で、貨幣経済の浸透によって賦役の代わりに金銭を支払うことで免除されることが一般的になる。自由民はもちろんだが、十三世紀末になると農奴の中でも金銭を代納することで賦役を免除される例がみられるようになり、代わって小屋住農や貧農が農奴として賦役を担わされるという階層の上昇や流動化が起きていることが描かれていて興味深い。
面白かったのはエルトン村の史料からわかる、名字の誕生と名前の変遷だ。十二世紀半ば、多くの農民は名字を持たなかったが、出身地を示す名字や、クラーク(書記)、リーヴ(農奴監督官)、シューメーカー(靴職人)など村での役職や職業に由来する名字、父親の名前を示すものなどがまず現れ、十三世紀に入ると、農民のほとんどに名字がつくようになり、ラテン語と英語が使われているのだという。やはり職業に由来するもの、父親の名前や洗礼名を由来とするもの、出身地や村での居住地を由来とするもの、さらにはあだ名などが見られるようになる。父親の名を由来とする者の場合、例えばロバート・ソン・オブ・ジョン(ジョンの子ロバート)がまず「ソン・オブ」が脱落してロバート・ジョンになり、十四世紀後半になると接尾語の-ソンがついてロバート・ジョンソンになるという変遷をたどるのだそうだ。
また、男女での役割分担があり、男性は「外の仕事」、女性は「内の仕事」を原則として分けられていたという。農村での女性の仕事としては『糸紡ぎ、織物、縫い物、チーズ作り、料理、掃除に加え、馬にまぐさをやったり、庭の世話をしたり、雑草取り、干し草作り、運搬作業をしたり、動物の番をしたり』(211~212頁)していたという。そういえば、ジャンヌ・ダルクも羊飼いと呼ばれたりする。本人や関係者の証言を読むと、「羊飼い」というよりは羊の番をしたこともあるという程度であったが、確かに上記の糸紡ぎや縫い物、料理や掃除、家畜の番などを行っていたことを語っている。また、数少ない女性が就く村の役職としてエール検査官という、いわゆるお酒の製造管理の仕事があったというのも面白かった。
他にも中世の村で生きた人々を身近に感じるエピソードが次々と描かれていて何度でも読み返したい充実した内容の一冊であった。以下のくだりなどは、現代で働く我々も大いに共感するところだろう。
『一三世紀の農村では、誰もが豊かな生活をしていたわけではなかった。
(中略)
庶民は自由民であろうと不自由民であろうと、程度の差はあれ、必ず「欠乏」を経験していた。村が、少なくとも土地を保有する人――自由民にせよ、不自由民せよ――に提供できていたのは「休む間のない労働の見返りに与えられる、比較的安全な生活」に過ぎない。多くの人が、もう少し楽な生活、もう少しいい生活を望んでいたことだろう。中世の物語に出て来る逸楽の国は「たくさん寝て、たくさん稼ぐことができる」場所であり、「好きなだけ、安心して飲み食いできる」場所だった。』(222~223頁)
度重なる疫病や飢饉、領主の搾取に身分制社会と、「欠乏」の度合いや生活環境の劣悪さは確かに大きく違うが、「休む間のない労働の見返りに与えられる、比較的安全な生活」の中でささやかな望みを夢見て生きる人々の在り様はあまり大きく変わっているわけでもないのかもしれない。