人類の文明はメソポタミアに都市を築いたことで始まった。では、その都市は如何にして誕生したのだろうか。「人類の起源」「農業の起源」と並ぶ考古学の三大テーマの一つ「都市の起源」を、最新の考古学の知見を踏まえて描く一冊である。
都市文明について描かれるとき、多くの書籍で参照されるのがゴードン・チャイルドの都市革命(Urban Revolution)論である。本書でもチャイルドが1950年に定義した最古級の都市の10の条件を紹介している。(16-17頁)
(1)大規模集落と人口集住
(2)第一次産業以外の職能者(専業の工人・運送人・商人・役人・神官など)
(3)生産余剰の物納
(4)社会余剰の集中する神殿などのモニュメント
(5)知的労働に専従する支配階級
(6)文字記録システム
(7)暦や算術・幾何学・天文学
(8)芸術的表現
(9)奢侈品や原材料の長距離交易への依存
(10)支配階級に扶養された専業工人
著者はチャイルドの定義を踏まえつつ、『西アジアの都市を一般的集落や都市的集落(都市的な性格をもつ集落)から区別するための必要十分条件として「都市計画」「行政機構」「祭祀施設」の三つ』(17-18)挙げ、『これらすべての指標を満たせば都市、一部に欠けるものが都市的集落、ほとんどないものが一般集落となる』(18頁)とする。
この条件に当てはまる最古の都市として、本書では「ウルク」とウルクからユーフラテス川を900キロメートルほど遡った地域にある「ハブーバ・カビーラ南」遺跡を挙げ、両都市を中心にメソポタミア諸都市に関する発掘調査の結果を踏まえ、七千年前から五千年前にかけての時期に始まった都市の誕生から成長、そして変容していく姿を追うことで『なぜ西アジアで最古の都市が誕生したのかというテーマを、考古学的に解き明かしていく』(5頁)。
著者は「ハブーバ・カビーラ南」は「ウルク」のコピー都市だという。「ハブーバ・カビーラ南」はウルクより銀山に近く、金属資源の開発に有利で、銀山で産出した銀をウルクに運ぶ上でもユーフラテス川を使うことができるなど利便性が高く、『銀の開発と輸送のために計画的につくられた都市である』(26頁)という。
『古代西アジアでは、銀の入手と安定的な供給のために、都市が計画的につくられていったともいえる。原料入手から製品流通に至るまでの一連の流れは都市になって具現化されていたのである。そして、都市の誕生後、都市国家の分立段階には、遠隔地から錫を輸入して、青銅が発明されていった。青銅の開発には、銀以上に、原料の確保から生産、流通にいたるまで複雑な工程と周到な人の配置を要する。そこには、政治的に組織化された仕組み、すなわち国家の姿や国家権力の影が見えてくる。』(37-38頁)
人々は農耕を開始して定住生活を送るようになるが、メソポタミア地域のような生活可能な適地が非常に少ない環境では、自ずと水利を生かした川沿いの一帯に集住するようになる。特徴的なのは日々の生活で出たゴミや建材などの瓦礫、使用済みの土器や石器などが堆積してテル(テペ)と呼ばれる丘状遺跡が形成されていくことで、川沿いに人工的に作られた高地を中心として居住地が広がっていった。そして周辺の集落とのネットワークが主に祭祀儀礼の浸透というかたちで形成され、都市や集落を結ぶ資源の物流網が張り巡らされるようになり、これらを高度に管理するために文字が生み出されて行政機構が整えられていく。
川沿いの高地への集住や舟運の活用、画一的な墓の登場、神殿など余剰生産物が集まる祭祀儀礼施設の建設などが都市化の前半段階で見られ、続けて特定の集落への「よそ者」の流入と共存が起こる。「よそ者」たちの流入による人口の増大の中で、工人、商人、軍人といった専門分化が起こり、一気に都市化が加速することになった。専門分化は同時に社会の階層化をもたらす一方、多様な価値観のぶつかり合いの中でこれを統治する仕組みがもとめられることになる。外敵の脅威から都市を守る城壁が造られ、広場や上下水道、庭園、街区などが計画的に建てられた。こうして約5000年前、「都市計画」「行政機構」「祭祀施設」の三つが出そろい、いよいよ都市が誕生した。
都市では神殿を頂点とした支配構造が誕生し、ジッグラトなど巨大なモニュメントが造られ、やがてウルクに限らずメソポタミアの各地に都市が誕生する中で、諸都市はいずれも巨大化を志向し、本格的な戦争が始まることになる。
『古代アジアの都市化とは、より快適な暮らしの追求そのものであった。生活環境の改善に向けた都市化のあゆみは、七〇〇〇年前に芽生え、二〇〇〇年をへて都市として開花した。
定住生活をもとに農耕牧畜が進み、土器の普及により生活範囲が拡大すると、日々の暮らしをより良くするために、物的にも心的にも快適さへのこだわりが強まっていった。余剰食糧の豊富な魅力ある集落で、多様な価値観をもつ人々が集住しながら、暮らしやすさの指向性が見事に結実して都市誕生につながった。』(208頁)
考古学的な調査からどこまで都市の起源が解き明かされているのか、本書を読むとその最前線がどれほどの深度まで進んでいるのかがとても良くわかる。