「桃源郷――中国の楽園思想」川合 康三 著

苦しみの無い世界=理想郷の希求は人類誕生以来の、いかなる時代も地域も国も人種も超えた普遍的な願いであった。キリスト教的なパラダイス(楽園)の概念は、十六世紀英国の作家トマス・モアによって名付けられたユートピアの誕生によって、苦しみの無い世界の社会・共同体のあり方がどのようなものかを描くことに軸足が移る。「ユートピア」の希求は清教徒革命、アメリカ独立、フランス革命と産業革命を通じて社会的平等と公正を重視した理想社会を浮かび上がらせて社会主義を胚胎し、やがて近代社会に大きな影響を与えた。

一方、日本にも大きな影響を及ぼしてきた中国では、楽園はどのような描かれ方をしてきただろうか。本書で描かれるのは、桃源郷を始めとする様々な中国の楽土=楽園思想である。

現実ではないもう一つの世界として、古代から不老長生を実現できる「神仙界」がどこかにあると考えられた。秦の始皇帝を始めとする帝王たちは不老長生の薬を求め、不老の仙人たちの伝説が語り継がれる。ただ、興味深いのは『仙界で得られる喜び、愉楽について記されることはほどんどな』く、『仙界が与えてくれるのは不死、それだけに集約される』(P16)ことだ。

多くの人々がどこかにある仙界への憧れを抱き続ける一方、不老不死はすでに古代中国でもファンタジーとして捉えられていたようで、三国時代魏の君主曹丕・曹植兄弟を始めとして、仙界の存在を否定的に詠んだ詩も少なくないという。

仙界に対して、現実的な楽園の希求として「隠逸」がある。中国の士大夫たちを中心として見られた、老荘思想や儒教の影響を強く受けて官僚としての生活を捨てて山中に籠もり隠遁生活を送るもので、政治の世界に対する拒絶、政治体制に対する批判的態度が強い。隠逸する場合、官職を退き、都市から離れて山の中に居を構えて清貧な生活を送る。このような『隠者には世間から離脱すること、精神の高潔さをもつこと』(P54)という二つの特徴があり、世間からの離脱の延長線上に「仙人」がおり、精神の高潔さを極限に高めると「高士」と呼ばれる。

「隠者」は、例えば漢の張良、蜀の諸葛亮なども隠者生活から政治の世界に戻って活躍したように、中国史上多数登場する。楽園の希求、政治への批判、社会からの離脱の欲求、の現実的な解として「隠逸」があったが、これを本当に実現させることはなかなか難しいため、多くの士大夫の理想の生活として思い描かれ続けた。

ところで、本書で描かれる詩人白居易のエピソードが面白い。白居易は詩人であると同時に唐の高級官僚であり、多少の紆余曲折はあったものの順調に出世して58歳からは太子の後見役という名誉職に就いた。給料はかなりもらえるが仕事は無いという最高の環境で、官職に付きながら隠逸生活を実現させることができた。こんな生活を「中隠」と名付け、「中隠」生活バンザイな詩を詠んでいる。

中隠
(前略)
似出復似處 非忙亦非閑 不勞心與力 又免飢與寒 終歳無公事 随月有俸銭
(後略)

出仕しているようでもあり隠棲しているようでもある。忙しくもないし閑でもない。心も体も労することはなく、衣食に不自由はない。一年中、役所の仕事はないのに、毎月の俸給はある。(P73-74)

こんな生活が出来るのも、白居易が熾烈な権力闘争を横目に自分だけの世界を作り上げつつ、巧みに政界を渡り歩くスーパーエリートだったからで、多くの人々には隠逸すら難しい。

というわけで、仙界、隠逸とも違う楽園思想として想像されたのが古代の楽園であった。一つには伝説上の君主堯の時代が想像され理想化された。そこで暮らす人々が為政者の存在を意識せずに平和に暮らしていたというエピソードが多く語られ、太古、理想的状況が実現されていたと考えられるようになった。堯の世の老人が興じていた遊び「撃壌」と同じく太古の理想世界と考えられた赫胥氏の世で人々がはらつづみを打って喜んでいたという「鼓腹」の二つの語を組み合わせて太平の世の人々の安楽な生活を表す「鼓腹撃壌」という四字成語が広く知られるようになった。

楽園は古代に求められるだけではなく、同時代のどこか遠くにも想定される。身分差が無く、そこで暮らす人々は喜怒哀楽がないことで苦しみも争いも無い「華胥氏の国」、愚直で無欲で人に与えてもお返しを求めず人々が支えあって生きている南越にあるという「建徳の国」など。

また、欧州のユートピアが都市と田園に収斂したように、中国では楽園の希求から理想的な空間の実現として庭園が構想されて次々と作られるようになり、日本の庭園建築にも多大な影響を与えた。地上世界に楽園を生み出そうという願いは庭園建築だけでなく、小規模な共同体の創設という動きも産んだ。例として前漢初期の田横、後漢末の田疇、唐の元結の共同体が紹介されている。このあたり、欧州と比較すると面白い。

このような様々な中国の楽園思想の代名詞となった陶淵明の桃花源記で描かれた「桃花源(桃源郷)」の特徴、誕生の背景、「桃花源(桃源郷)」から波及した様々な思想、楽園観についても整理されている。

「桃源郷」がどのように描かれていたのか、実は本書を読むまで知らなかったのだが、どこにでもあるようでどこにもない理想郷として非常に絶妙なバランスの上にある描かれ方をしていてとても興味深かった。

ある漁師が道に迷っているうちに桃の花が咲き誇る林を抜けて、山麓の狭い入り口を通ってある農村に出た。何の変哲も無い農村のように見えて、人々は笑顔を絶やさず、幸せそうに暮らしている。なんでも先祖は秦の戦乱から逃れてここに住み着いたらしい。為政者はなくそれぞれが自分のペースで暮らしている。漁師は数日滞在して村を去り、戻って以上のことを太守に報告、太守はその村に行こうとするが結局わからず仕舞いだった。

というシンプルな話だが、これががっちりと中国人の心を掴んだ。

中国の楽園思想は個人の幸福か社会全体の平穏かのどちらかに特化したものが多く、陶淵明の「桃花源記」はその両方を取り込んで『個人の幸福と集団の幸福とがともに実現された世界』(P202)を描いた点で画期的であったようだ。と同時に、『士大夫の関心はまず現実の政治にそそがれ、もう一つの世界を夢想するにしても、国家の泰平か個人の安楽かのいずれかに限られて、人間世界の根幹に触れるような楽園の夢想には向かわない』(P202)ことが、「桃花源記」後の桃源郷に代わる楽園を生み出し辛くさせた。

読んで思ったところとして、現実的な彼ら士大夫の手腕が巨大帝国を次々と築き維持させてきた反面、現実社会で実現させうるような『個人の幸福と集団の幸福とがともに実現された世界』の理念の乏しさはあったのかもしれず、そこに中国のかつての支配階級の限界を見ることも出来るかもしれない。そういえば中国史において農民反乱はいずれも何らかの楽土を夢見てはいなかったか。

黄巾の乱から太平天国の乱まで様々な農民たちが蜂起に際して夢見た楽土と、支配者層が現実的な思考という制約の中でも思い描いたあるべき統治の理想像とを、本書で描かれた楽園思想と結び付けつつ理解できると、中国史における一つの大きな流れが浮かび上がってきそうだ。

そして、近代以前のこれら中国の伝統的な楽園思想と、近代以後に人口に膾炙する共産・社会主義のユートピアニズムとがどのような化学反応を起こしたのか、イスラーム世界においても共産主義の拡大と融合(例えばスルタンガリエフ)は近代以降の大きな潮流となったが、比較をしてみるのも面白そうだと思う。

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