「アジアのなかの戦国大名: 西国の群雄と経営戦略」鹿毛 敏夫 著

戦国時代を戦国大名の分立的状況から天下統一へと至る過程として捉える一国史的立場に対して、東アジアの中に日本の戦国時代を位置づける見方も、近年非常によく見られるようになってきている。本書では、天下統一という志向とは一線を画した、大内、大友、松浦、島津、相良など西国大名のアジア志向について、彼らの交易と人々の流れの中で描こうとした一冊である。

室町時代に行われた日明貿易、合計十九回の遣明船が送られたが明応の政変(1493)以後幕府権力が弱体してからは、細川氏と大内氏の主導権争いを経て遣明船は大内氏が独占、大内氏の滅亡以後日明貿易は絶えた、ということになっているが、本書ではこれを「狭義の遣明船」とし、十六世紀以降、細川・大内氏だけでなく有力西国大名が次々と遣明船を送っていることを明らかにする。

各大名、とりあえず遣明船を送り、現地で明政府から朝貢貿易・公貿易として認められれば良し、そうでなければ周辺海域で倭寇船として私貿易(密貿易)を行って帰国しており、大内氏の滅亡による勘合貿易の終了以後も、他の大名たちによる遣明船の派遣が行われ、日明間の貿易が盛んだった。

「サルファー(硫黄)ラッシュ」

著者は、日明貿易で日本側の主要輸出品であった硫黄に注目する。

例えば宝徳三年(1451)の遣明船にはあわせて三九万七五〇〇斤(238.5トン)の硫黄が積まれており、最大の輸出品であった。このときが特別だったのではなく、硫黄はその後の日明貿易でも最大の輸出品であり続けて、莫大な利益をもたらしている。中国への硫黄輸出は十世紀末から始まり、十一世紀から本格化、十五世紀から十七世紀にかけて最盛期を迎え、後に銀と並んで中世日本最大の輸出品となった。

宋代以降、中国歴代王朝は火薬の利用が拡大、その原料としての硫黄の需要が拡大し、その調達を輸入に頼ることになった。「日本産硫黄のみならず、朝鮮半島や東南アジア、そして紅海やペルシア湾岸ルートを介した西アジア地域から大量の硫黄を調達する流通システムを確立していたのである」(P55-56)。

このような硫黄需要に対応して、国内では豊後と薩摩が二大硫黄産地として栄えた。大分県、現在九州を代表する温泉観光地の由布院からくじゅう(九重・久住)連山にかけての一帯と、鹿児島県大隅半島の南端佐多岬沖の硫黄島である。両地域では硫黄関連産業が栄え、さながら「サルファー(硫黄)ラッシュ」の様相を呈していたという。特に日明・南蛮・朱印船貿易で硫黄需要が著しく高まった十五世紀から十七世紀始めを「サルファーラッシュ」期としている。

アジアのなかの戦国大名

西国大名による積極的な対外貿易とその貿易による西国大名領国内産業の活性化とともに、東アジア諸地域から多くの渡来人が西日本を中心として各地に移住してきた。特に中国からの技術者や商人らを中心とした「唐人」コミュニティーは西日本の地域社会に溶け込んで、西日本の中世社会には独特の文化が形成される。

大友氏や島津氏、松浦氏などは東南アジアまで中国商人の力を介して進出し外交・交易関係を結んで、アジアの中に自国を位置づけた。キリスト教に改宗した戦国大名はキリシタン大名と呼ばれるが、著者は、彼らの改宗の背景として「中世西国社会のアジアへの志向性の強さと、その伝統に裏付けられた他者受容の開放性」(P183-184)をみて、特に大友氏を「日本国内の一地域公権力の定義の枠組みをはるかに越え、大陸に近い九州の地の利を活かして、アジア史の史的展開のなかにみずからの領国制のアイデンティティを追求」(P187)した特徴から「アジアン大名」と呼んでいる。

「アジアン大名」という響きはちょっとダサい気がしないでもないが(笑)、本書からは日本という枠組みから逸脱した、まさに「アジアのなかの戦国大名」の姿が浮かび上がってきて、非常にアツい。個人的に、戦国時代は、戦国乱世の天下取りより、海域世界を縦横無尽に行き来する越境者の生き様の方が格段に面白いと思うので、こういう本が最近次々出てきているのは喜ばしい限りなんである。引き続き、アジアの中の、世界史の中の戦国日本を捉える書籍の登場に期待していきたい。

ちなみに、前回紹介した「天下統一とシルバーラッシュ: 銀と戦国の流通革命」は本書で著者があわせて読んでね、と紹介していることから知って読んだもの。「サルファーラッシュ」と「シルバーラッシュ」、硫黄と銀という中世日本の二大輸出品を巡るアジアと日本の変動を二冊で一望できるのでセットで読むことをおすすめする。

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