「春画の色恋 江戸のむつごと『四十八手』の世界」白倉敬彦 著

九月から東京都文京区の永青文庫で開催されている春画展(2015年9月23日~12月23日)が大盛況なのだという。猥褻か芸術かという議論を巻き起こしつつ春画の再評価が進んできて、江戸時代の性文化の多様性を示すものとして一定の地位を確立してきたのだろう、僕も江戸時代の文化を調べる上で非常に興味をもっていた。

本書は、2014年に亡くなられた、春画の再評価を牽引した春画研究の第一人者である白倉敬彦氏による、春画の二大先駆者菱川師宣と西川祐信の作品から見る春画の変遷と特徴を通して江戸の性愛ならぬ「色恋」の姿を浮き彫りにした春画入門書である。

本書の第一部では浮世絵の始祖にして春画の父である菱川師宣(?~1694)の代表作の集大成「恋のむつごと四十八手」を一枚一枚丁寧に解説しつつ、春画草創期の特徴を、第二部では菱川師宣に続いて春画中期の隆盛を牽引した西川祐信(1671~1750)の作品から第一部を補完する意味で著者が作品を選び「色恋拾遺四十八手」と題して同じく一枚一枚解説することで、江戸時代の春画の初期から中期にかけての展開を描いている。

江戸時代の「色恋」と春画の変遷

江戸時代の性意識として、色と恋とが分かちがたく結びついていた点がある。「色のうちにも恋があるように、恋にも当然色が伴うのだ」(P3)。ゆえに、性愛という言葉で表現されるような近代以降の性と愛との分離がおきていないし、そもそも色と恋とを分ける必要性を江戸時代の人々は感じていなかった。そのような江戸の「色恋」の表現手法の一つとして春画は発展してきた。

しかし、江戸時代を通じて「色恋」が常に不分離で一体のものであったかというとそうではない。著者が大きな転換期としてあげるのが享保七年(1722)、享保の改革での好色本の禁止である。

「好色本の禁止という事実は、逆にその好色なるものへの人々の意識を先鋭化させた。いわば禁止というのは、その禁止した対象を内面化させるということであり、それがひとたび方途を示せば、たとえそれが徐々にでは会っても知らず知らずの内にでも深化する。春画にとっては、享保の改革がその第一歩だった。」(P349)

詳しくは本書を読んでいただきたいが、菱川師宣の色恋から西川祐信の色遊びへという変化がその取締りによる色と恋の分離志向をソフトランディングさせて春画の色恋を延命させ、むしろ大きく発展させる。続く寛政二年(1790)、寛政の改革ではさらに進んで春画だけでなく美人画に遊女や芸者の名を出すことを禁じたことで、色恋から色遊び色が強まっていた春画をむしろ色事に集中させ、先鋭化させることになった。十九世紀に入ると情愛や遊戯的なものが減少して趣向競争が激化、性暴力的だったり差別的だったり過激な春画が多くなるのだという。

「都市化、近代化、そして内面化は、禁止によって育まれて行く、といってもよかろう。なかでも性愛についての意識は、そのようである。江戸文化の変質、とくに性愛に関する部分は、別に春画に限らず、遊郭でも、そこを基にした文学でも、寛政の改革によって大きな変化をこうむったことだけは確かである。」(P350)

「色恋」から「性愛」へ、そして「性」と「愛」とが分離していくプレ近代化の過程として捉えればいいのかもしれない。確かに明治維新以降脱亜入欧、文明開化の名のもとに性規範の劇的な変革が行われ、それが現代日本の性規範を大きく規定することになったが、春画の変遷はその前段階として非常に興味深い展開をたどっていることが本書から伺える。

性表現の創造者菱川師宣

本書で紹介される菱川師宣の春画の特徴は非常に興味深い。師宣以前にも春画は存在しいていたので、春画の創始者というわけではないが、「彼はそれまでの春画の図柄、趣向を集大成しつつ」「色恋のかたち、その趣向の多くを創始した」(P19)という。特徴的なのが交合図だけでなく非交合図も多く含んでいることで、それまで寝具の上という構図でしか描かれなかった春画を、様々なシチュエーションで、「日常空間のなかに繰り広げ」、「表現領域を拡げたと同時に、色恋を日常の場に侵入させた」(P21)ことにあるとされる。

本書で紹介される師宣の「恋のむつごと四十八手」はとても多様だ。一夜明けて玄関先で名残惜しげにキスをするカップルだったり、初めての情事で恥じらう女性だったりと叙情的なものもあれば、のぞきや老人同士、喧嘩したあとの仲直りとしての交接、男女三人で男色・女色入り交じるもの、三味線のリズムにあわせてのもの、さらにはお互いの首に紐をかけたものなどバラエティに富む。また、女性の膝枕でくつろぐ男性というほっこりさせられるシチュエーションもある。膝枕は良いものだと世に広めた功績は大きい。接合部を見えやすくするため描き方に工夫を凝らしているのは現代にも通じる。「女のきらふ事なれど、をのこのすきなればあるわざと見へたれ」、すなわち男性は好きだけど女性は嫌う体勢と書き加えられたものもあり、現代同様、当時も春画を真似て女性に嫌がられる男性が多かったのだろうななどと想像させられたりもする。

師宣が得意とし、後に喜多川歌麿に至る様々な絵師の春画にポピュラーなデザインとして受け継がれることになるのが「両足じめ」というポーズであったという。これは「若衆好みの女たちが、かわいい若衆を両手両足を以て抱きしめる」(P118)という図柄で、非常に情愛深い様子を表したものだ。三百年の時を経てスタンダードとして確立、おそらくどこかで再発明があったのかもしれないが、現代成人漫画で俗に「だいしゅきホールド」などと呼ばれることになる。

師宣に思わず唸らされたのが、それまでバラエティに富む様々なエロティックな交合図を並べた果てに大トリとして第四十八手目に「火燵隠」、すなわち「同じ火燵にはいっている年配者の眼を盗んで若い二人が恋のやりくりをくわだてる」(P227)というシチュエーションの図をもってきていることだ。そして師宣はその図に「火燵を恋の仲立といふは、ことはりかなヽ。物いわずしても、ことの首尾かなふことあり」と書き添えている。現代まで脈々と語り継がれ、繰り返し描かれることになるこたつを通じた男女のドキドキ感を「火燵は恋の仲立」と表現し、様々な色恋の最後に持ってくるのは見事としか言いようが無い。

興味深いのが、師宣の春画に平安時代の王朝文化に特徴的な恋語りが色濃く表現されていることで、支配的な「武家の儒教精神に対する一つの抵抗意識」(P40~41)として江戸庶民文芸において、「王朝ルネッサンスとも呼ぶべき文化現象」(P40)が起きていたと著者は指摘している。

「春画の聖師」西川祐信と葛飾北斎

第二部の西川祐信の作品についてだが、祐信は京都を中心にして活躍し、主にオーラル、アナルというシチュエーションを中心に道具を使ったものなども含め現代まで受け継がれる様々な構図を考案した、色恋から色遊びへと、春画の幅を非常に拡大した師宣と並ぶ江戸時代の性表現の多様化を成し遂げた絵師である。師宣が考案した曲茶臼、夜這い、三人取組などの様々な図柄を広く普及させただけでなく、「祐信が開発した絵のスタイル、色恋を描くための趣向が後世に与えた影響ははかり知れない」(P237)と、高く評価されている。著者いわく「春画の聖師」(P239)である。

第二部では西川祐信だけでなく、多くの春画絵師、喜多川歌麿や葛飾北斎の絵も多く取り上げられているが、本書を読んであらためて北斎の後世に与えた影響の大きさを思い知らされた。例えば、春画において、女性に無体を働く男の特徴として笑いものとされる定番となっていくのが「皮かぶり」であるという。包茎は恥ずかしいものという男性のコンプレックスとして現代まで受け継がれる性規範の一つだが、本書によれば「この通念なり手法なりを大々的に普及させたのは、葛飾北斎であった」(P339)という。またおまえか(笑)。北斎以前にも同様のシチュエーションの作品も無いことはないが殆ど見られないか少年の特徴として描かれるに留まったが、「絵本つひの雛形」「富久寿楚宇」などの作品でいい年をして若い女性に無理を強いる無体な男の特徴として「皮かぶり」を描き、また同時に、そのような「悪を働く者は身分の低い奴」(P341)という差別意識の固定も見られるという。「皮かぶりは笑い者で、川柳などの格好の材料になって」(P341)いく。

あらためて、本書の特徴は、現代日本において特に強い性と愛を分離したものとして捉える性愛観とは違った、色と恋が一体の江戸の色恋文化を春画を通して見出そうとしているところにあり、読者が春画を「和やかに笑って眺め」(P370)ることができるように豊富な図版と的確な解説で描かれた春画入門書である。

春画とはなにか、春画を知りたいという入門的な用途だけでなく、近年議論が白熱している表現規制の問題への理解の一助ともなるし、性文化を通した江戸時代を垣間見ることもできる。また、マンガやイラスト、絵画など創作に関わる人々にとっても非常に多くのインスピレーションを与えることになるだろうことは疑い得ない。非常に面白くも奥深い一冊だ。

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