「第九軍団のワシ」ローズマリー・サトクリフ著

「第九軍団のワシ(“The Eagle of the Ninth”)」(1954)は英国を代表する児童文学作家・歴史小説家ローズマリー・サトクリフ(1920~1992)がローマ帝国時代のブリテン島の歴史を題材にして描いた、サトクリフ初期の代表作である。続く「銀の枝(”The Silver Branch”)」(1957)、「ともしびをかかげて(”The Lantern Bearers”)」(1959)、「辺境のオオカミ(”Frontier Wolf”)」(1980)はいずれも本作の主人公マーカス・フラビウス・アクイラの末裔たちを主人公にして描いており、あわせて「ローマ・ブリテン四部作」と呼ばれている。

サトクリフは本作を執筆する上で二つの歴史をもとにしたという。第一に、ブリテン島に配置されたローマ帝国の第九軍団ヒスパナの消滅である。第九軍団はカエサルによって創設され、ブリテン島が支配下に入ってからは現在のヨークに本拠を置きボウデッカの反乱(60年)の鎮圧などで活躍したが二世紀前半、消滅したと伝わっている。第二に、シルチェスターで1866年に発見され、現在レディング博物館に収蔵されている古代の青銅製のワシの飾りである。古代ローマ帝国が鷲の紋章を国章としていたことでかつてはローマ帝国の軍団にかかわるものと考えられていたが、実際には皇帝または神像に取り付けられていた宗教的な飾りであったと考えられている。

この二つの史実をもとに、サトクリフは丁寧な歴史考証の上で負傷した若きローマ軍人が元剣闘士の解放奴隷の男とともに、消えた第九軍団章のワシの飾りを探しに当時のローマ帝国辺境となる現在のイングランド北部へと冒険の旅に出て、軍団消滅の謎を探る歴史冒険小説を作り上げた。それが本作「第九軍団のワシ」である。

主人公マーカス・フラビウス・アクイラは十八歳で百人隊長となりイングランド南西部イスカ・ダムニオルム(現エクセター)に配属されるが、彼の部隊は現地住民の大規模反乱に遭い、彼自身足を負傷して退役を余儀なくされてしまう。戦傷の痛みを抱えながらの退役後の生活の中で、亡き父が属し部隊ごと行方不明となった第九軍団のワシの紋章が辺境の氏族の手にあると聞き、父の名誉を回復させるべく、その奪還を志願し、解放奴隷のエスカとともに辺境ヴァレンシア(現イングランド北部)へと旅に出るのだった――というあらすじになる。

若くして負傷によって将来を失った青年の成長と再生の物語であり、また当時のブリタニアの文化や風俗が丁寧に描かれて古代ヨーロッパへと誘ってくれる作品でもある。若ければマーカスとエスカの友情や冒険に胸躍らせることができるだろうが、四十過ぎて読んだ自分としては狩人グアーンの生き様に深く共感させられた。かつて第九軍団の百人隊長であり今は現地の氏族に溶け込んで狩人を生業とする男。かつて失ったものへの悔恨、取り戻せないとわかっているが、その過去と向き合い、そしてまた今の生活へと戻る、そのありようは、非常に胸を打つ。

古傷の痛みをこらえながらワシの奪還を成し遂げ、その冒険の帰結として軍人ならざる己の将来を見出していく若者の姿が情緒あふれる古代ブリタニア世界の描写の中で見事に浮かび上がってくる、とても良質な歴史小説である。

参考書籍・論文
・川崎明子「ローズマリ・サトクリフの『第九軍団のワシ』における傷と痛み」(2013)
・小柳康子「ローズマリ・サトクリフの『第九軍団のワシ』と『イーグル』― 映画は何を伝えなかったか」(2012)

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