「バイユーの綴織(タペストリ)を読む―中世のイングランドと環海峡世界」鶴島 博和 著

1066年、ノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王位を狙って侵攻、ヘースティングズの戦いハロルド2世を破り、イングランド王ウィリアム1世となった。いわゆるノルマン・コンクエスト(ノルマン人の征服)と呼ばれる事件を描いた長さ68.58メートルにもなる長大な綴織(タペストリ)のことだ。ノルマンディ地方バイユーのオドという司教によって作られたという説が有力なことから「バイユーのタペストリ」と呼ばれる。

本書はその「バイユーのタペストリ」を徹底的に解説した決定版的な専門書である。

第1部「絵解き」ではこの長いタペストリを八幕に分けたうえで伝統的に番号が振られた1場~58場のシーンごとに同時代史料の該当箇所を参照しつつ逐次解説を加えている。主要史料として使われているのは以下の8点。
1) ウィリアム・ジェミエージュ「ノルマン人の諸公の事績録」(1070年頃)
2) アミアン司教ギー「ヘイスティングズの戦いの詩」(1067年頃)
3) 著者不明「エドワード王伝」(1065~67年頃)
4) 著者不明「アングロ・サクソン年代記(9世紀後半~1154年)
5) エアドマ「イングランドにおける新しい歴史」(1120年代頃)
6) オルデリック・ヴィターリス「教会史」(1110~42年頃)
7) ウィリアム・マームスベリ「イングランド人の国王たちの事績録」(1125年頃)
8) ウェイス「ロロの物語」(1155年頃)

これらの史料の該当箇所が抜粋、比較検討されつつ、タペストリの絵解きが行われていくので、バイユーのタペストリを楽しく読み解くことができると同時に史料読解の非常によいテキストにもなっている。バイユーのタペストリで有名な凶兆・ハレー彗星登場シーンでは注釈で同年の中国や日本のハレー彗星目撃の文献史料まで参照されるのでトキメキがすごい。

第2部「『綴織』の制作とその歴史」ではいつだれがどこで製作したのか製作過程の謎に迫り、その後現代までのバイユーのタペストリがどのようにして受け継がれてきたのか、フランス革命やナチスの侵攻など数奇な運命をたどる様子が描かれる。

第3部「歴史的背景」ではバイユーのタペストリ誕生の時代が瑞々しく描かれる。おそらく、ノルマンディー公ギヨームとイングランド、さらに周辺諸国までを含めた同時代史としては、日本語文献では最も詳細かつ最新の研究成果を盛り込んだ記述になっているように思う。これまでやられ役的認識が一般的だったゴドウィン家台頭の過程が熱い。ハロルドも強敵だ。またブルターニュ公の動向に触れていてくれるのもありがたい。他の文献だとノルマンディとアンジュー伯やフランス王どまりなのでノルマン軍の侵攻にブルターニュ軍が一翼を担うことになった過程など知りたい情報がずばり書かれていて感動した。あと、ウィリアム1世の武将たちも多数紹介されている。侵攻作戦の是非の議論で怖気づく諸将に向かって「諸君らは何を言い争っているのか」と叱咤し渡海へと意見をとりまとめるウィリアム・フィッツ・オズバーンさんかっこよすぎる・・・ウィリアム1世の小説や漫画書きたい人はこれ読めば想像の翼が広がりまくること必至。

エピローグでは紛失した59場以降について、諸史料を読み解きながら推測される絵図をまとめている。

イングランドのナショナル・ヒストリーの枠を超えてフランス・ノルマンディ地方とその周辺、北欧、ブリテン諸島にまたがる同時代の人々の移動のダイナミズムを体感することができる一冊となっている。

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