百年戦争を理解する上で最も重要な一冊である。百年戦争の終結までに中世の主役だったフランス諸侯の領邦国家はことごとく姿を消し、騎士階級に代わって職業軍人・傭兵が戦争の中心へと躍り出て、イングランドとフランスという二大王権は百年戦争とその後の変革の過程で国制を大きく転換させ、封建制国家からやがて登場する絶対王政国家への第一歩を標した。
百年戦争をいかに理解するべきか。著者は本書において「戦史ではなく、戦争の政治的環境の解明をめざし」(4頁)、従来「フランス史の文脈で説かれるのが通例」(4頁)だった百年戦争史を「イギリス側からみるとどう見えたか、この戦争のイギリスへの影響」(4頁)という観点から「海峡を挟んだイングランドとフランスおよびフランス領邦君主諸侯の間の関係史」(4頁)として描く。ゆえに「百年戦争史叙述の定番ともいうべきジャンヌ・ダルクやベルトラン・デュ・ゲクランの活躍、勅令軍隊の創設などについてはほとんど触れるところがない。」(4頁)
百年戦争は1337年5月24日フランス王フィリップ6世によるイングランド王エドワード3世(フランス諸侯としてはポンティユ伯)のアキテーヌ公領をはじめとするフランス全領地の没収を宣言し、これに対してエドワード3世が10月7日、フランス王位請求権の復活を宣言、1340年1月26日、フランドルの都市ガンにおいてエドワードがフランス国王として戴冠、以後イングランド軍のフランス侵攻によりフランス王とイングランド王との間で戦闘状態に入ったことに始まり、断続的な休戦期間を挟みつつ、1453年10月19日のボルドー陥落で終結するあしかけ116年に渡る戦争のことである。
しかし、イングランド王とフランス王の戦争は1337年に始まったものではなく、1066年、すでにフランス王と戦闘状態にあったノルマンディー公ギヨームのイングランド王位獲得にまで遡り、また1453年のボルドー陥落以後も繰り返しイングランド王のフランス侵攻は行われている。なぜこの時期を百年戦争という時代区分にして特別視するようになったか、その19世紀以降の研究史がひもとかれる。
「現代の歴史学では、百年戦争という表現はかならずしも歓迎されてはいない。その理由は一つにはこの表現が中世末期の王家の争い、王朝的な争点を強調することになり、この戦争をあたかも王位継承戦争であるかのように見せかけることになり、この戦争の真の性質を誤解させることになるからである。すなわち現代の歴史学は、この時代が英仏関係史において一つのまとまった時代であることに疑問を呈し、一方では百年戦争がもっと長期にわたる、それ以前からの英仏関係のうちに胚胎したことを指摘し、他方ではまた、この戦争の時代そのものも一続きの時代ではなく、その中にいくつかの段階を含むものであることを主張するのである。」(10頁)
以上のように百年戦争という歴史術語の問題点を指摘した上で、百年戦争を1337年から1453年までの一つのまとまった時代として扱う理由として「これ以前には両国間に戦争状態が発生しても、ある年月の経過ののちには必ず和議が結ばれたのに対し、これ以後両国の各々の側の主張(中略)によって、どちらも歩み寄る余地を失い、これが一四九二年にいたるまで実に一五五年にわたって正式の平和条約の締結を不可能にしていたということ」(10頁)を挙げる。
このような従来の戦争と違った形式の戦争が開始された1337年から実際の戦闘が終わった1453年までを百年戦争としつつ、その百年戦争的な譲歩の余地無き戦争状態の遠因として1259年のヘンリ3世とルイ9世との間で締結されたパリ条約を挙げるとともに、1453年のボルドー陥落から1492年11月3日にイングランド王ヘンリ7世とフランス王シャルル8世によって締結されたエタープル平和条約までの期間を両国間の「根本的な変貌をとげた」(12頁)期間として、1492年をより重視している。
実際、個人的にだが、1453年というのは百年戦争全体からみても中途半端な印象を持っている。ただたんにプレイヤーの最も主要ではあるが唯一ではないイングランドがフランス領土を喪失しただけであって、百年戦争の過程で登場した二つの有力領邦国家ブルゴーニュ公国とブルターニュ公国は健在で、引き続きフランス王権と対峙し続けるからである。1492年のエタープル条約まで視点を広げることで、ブルゴーニュ公国の瓦解(1477年)、ブルターニュ公国の併合(1491年)まで視野に入り、フランス・ヴァロワ王権によるフランスの統一と、ブルゴーニュ公国の継承によるハプスブルク家の台頭、英仏関係の正常化によるイングランド・テューダー王権の確立、百年戦争の主戦場の一つとなったイベリア半島のカトリック両王による統一の結果としてのスペイン複合王政の登場と、西ヨーロッパ世界の近世的枠組みが一通り姿を見せる。
その上で、本書は百年戦争(1337-1453)を以下の四つの時期に分けて概説する。
第一期:開戦からブレティニ=カレーの和約まで(1337~1360)
第二期:ブレティニ=カレーの和約からヘンリ4世の死まで(1360~1413)
第三期:ヘンリ5世の即位からアラス和約まで(1413~1435)
第四期:アラス和約からボルドー陥落まで(1435~1453)
個人的に抱いていた時期区分のイメージは1337年の開戦から1380年のシャルル5世の死までを第一期、1380年のシャルル6世即位から1415年のアザンクールの戦いまでを第二期、1415年から1453年のボルドー陥落までを第三期とする三分割だったが、英仏王権・諸侯の関係史としてみるとなるほどこうなるのかと目からうろこだった。
まぁ、百年戦争の「百年」が文字通り100年ではなく「たくさん」「長期の」以上の意味をなさなくなっていきそうな感じではあるが。
「百年戦争」原因論を巡る通説と歴史学の差
ところで、著者が本書で問題視していることの一つに教科書・概説書の説明が百年戦争研究であきらかにされてきた説明と大きく食い違っている点がある。城戸は教科書等の説明が「エドワード三世のフランス王位請求とフランドルの帰趨をめぐる両国の対立に帰されている」(46頁)点に異議を唱え、このような説明が1934年の百年戦争研究者ではないジョゼフ・カルメットによる概説書に端を発する、「欧米学界では全く孤立した説」(46頁)として批判している。これについては、堀越宏一が本書の書評(参照)で、「このような百年戦争原因論はさらに古い」としてさらに遡った説明を寄せているが、城戸・堀越ともに王位継承やフランドル争奪が主要因とする見解はすでに学界の主流ではないとして退け、最大の原因がアキテーヌ公領の主権獲得である点を学界の主流意見であると指摘している。
本書による百年戦争の要因はパリ条約にさかのぼるアキテーヌ公領の上訴権をめぐる対立である。上訴権を獲得してフランス諸侯全体に支配権を拡大したいフランス王と、アキテーヌ公領の統治からフランス王の介入を排除し自己の主権下におき続けたいイングランド王の思惑がぶつかり合った結果、フランドルを味方につけてより有利に進めるべくフランドルを巡る対立がおこり、大義名分として王位継承請求がなされるようになった。しかし、王位継承はエドワード3世自身全く重視しておらず、1360年のプレティニ=カレーの和約でもアキテーヌ公領の確保を最優先にして王位継承権については留保するにとどまっている。
ちなみに最近の教科書等だが、手元の山川出版社の「世界史用語集」(2015年)によると「フランドルとギエンヌの争奪を背景とし、エドワード3世のフランス侵入により開戦した」として王位継承については消される一方でフランドルとギエンヌ(アキテーヌ)を同様の重要性に置いている。また、世界史小辞典では「羊毛工業地帯フランデレンにおける対立に加えて1328年フランスでカペー朝が絶え、ヴァロワ朝のフィリップ6世が継いだのに対し、イングランド王エドワード3世は母がカペー家出身であることを口実に王位継承権を主張して開戦した」として主要因であるはずのアキテーヌ公領の上訴権問題を省き、フランドル問題と王位継承問題を要因として挙げていて、城戸の批判に合致する記述となっている。あとともに始期を1339年としているのは、アキテーヌ公領没収宣言ではなく実際の戦闘(イングランドの侵攻開始は1339年)を基準としているからか。しかし、年号まで歴史学と違うのはいろいろさしさわりがありそうなので1337年に統一した方がいいのでは。
一方で、フランス王位継承権の獲得が全く主目的でなかったかというと、前半と後半でがらりと変わるのが面白いところだ。むしろ、1413年以降はまさにフランス王位の争奪こそが百年戦争再開の原因だったからである。
「百年戦争とは、プランタジネット家のイングランド王がフランス王位継承権を主張して戦った戦争である、というこの戦争についての流布した観念は、このヘンリ五世治世に始まる戦争の後半期にきわめて的確にあてはまる」(113頁)
シャルル6世の発狂によって統治能力を失った結果、その支配権をめぐる内乱が発生し、ブルゴーニュ派とアルマニャック派がフランスを二分、これにクーデターによる政権獲得と大規模反乱を抑えたイングランド王ヘンリ5世が介入して、イングランドとフランス王権から離反して独立したブルゴーニュ公国(フランドル含)、南フランスに逃れたフランス王太子シャルル7世率いるアルマニャック派亡命政権の三勢力と百年戦争前半戦で事実上の独立を勝ち取って巧みな中立外交を行うブルターニュ公国を主要プレイヤーとして、スコットランドや神聖ローマ帝国、カスティーリャやアラゴンなどのイベリア半島諸国と教皇まで含めた国際戦争の様相を呈していく。
これら百年戦争の様相を巧みに描いた何度でも読み返したい一冊であり、実際なんどとなく読み返しては様々な発見がある本である。ヨーロッパ中世史を学ぶ上で必ず読んでおきたい名著であろう。
ところで、百年戦争史に関する邦語文献については本書と朝治啓三ほか「中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで」が関係史から、山瀬 善一 著「百年戦争―国家財政と軍隊 (教育社歴史新書 西洋史 A 19)」が経済史から、フィリップ・コンタミーヌ著「百年戦争 (文庫クセジュ)」は概略史として、佐藤賢一著「英仏百年戦争 (集英社新書)」が読み物として、それぞれ描いているが、何気に軍事史が無いので翻訳なり日本人による執筆なりを期待したい。マシュー・ベネットほか「戦闘技術の歴史2 中世編」やマーティン J.ドアティ「図説中世ヨーロッパ武器・防具・戦術百科」、あとはジャンヌ・ダルク関連書籍から該当する戦闘を拾い集めながら読むことしかできないのはやはり悲しい。あと、イングランド側からの視点としてトレヴァー・ロイル「薔薇戦争新史」もある。ばら戦争といいつつ前半が百年戦争に注力されている。また、人物史も重要であるが、こちらもジャンヌ・ダルク関連ぐらいしか無いのが寂しい。シャルル7世の伝記が一冊(短いがなかなか面白い)とせいぜいデュ・ゲクランについて数冊、ジル・ド・レやリッシュモンのずいぶん昔に出たっきり絶版なのがあるぐらいだ。他、百年戦争期の分野史は最近佐藤猛著「百年戦争期フランス国制史研究 」上田耕造「ブルボン公とフランス国王―中世後期フランスにおける諸侯と王権」ベルナール・グネ「オルレアン大公暗殺――中世フランスの政治文化」など良書が出てきたのと、同時代のブルゴーニュ公国史研究が今ヨーロッパ中世史界隈で最も熱いので注視している。