『守護聖者 人になれなかった神々 (中公新書)』植田 重雄 著

キリスト教は一神教だと言われる。しかし唯一の神と呼ばれる存在が天上に君臨しているだけでは、人々の日々の祈りとの間に距離が開きすぎる。父と子と聖霊という三位一体論が確立して神とキリストの働きが聖霊となって人間に宿るとされると、続いて『神とキリストの精神に則ってその教えに殉じた人』(はじめにiv)への崇敬が高まった。人々は日々の悩みや贖罪を、聖人を通じて神にとりなしてもらおうとするようになる。これが聖者(聖人)信仰である。

聖人とされた人たちは何らかの人々の悩みや苦しみ、例えば病気や災害、貧困などを救う誓いを立てて殉教したものも少なくなかったから、その聖人たちが立てた誓いに基づいた守護聖人として信仰を集めることになった。また、その聖人にまつわるエピソードに由来して、例えば岩を割ったので鉱山の守護聖人となったり、動物の言葉を介したので牧畜の守護聖人となるなど、職業や権能、ゆかりのある地域などの守護聖人として崇められた。

さらにキリスト教布教の過程で聖人信仰は、その先々の民間信仰の神々と習合してキリスト教化にも効果を発揮する。聖人にまつわる言い伝えには、ケルトだったりゲルマンだったりギリシア・ローマだったりの異教の影響が少なくない。

というわけで、そのような守護聖人たちについて、有名な聖クリストフォルス、聖ゲオルク(ゲオルギウス、ジョージ、ジョルジュ)、聖マルチン(マルタン、マルティヌス)、聖バルバラ、マグダラのマリアこと聖マグダレーナ、サンタ・クロースとして知られる聖ニコラウス、守護天使ミカエル、聖ヴァレンタイン、そして様々なワインの守護聖人と、後に信仰の対象となっていったイエス・キリストの家族(聖家族)について、信仰のありようやエピソードを紹介した一冊である。なお、本書の表記は守護聖者だが、これを指す”Saint”は聖人と訳されるのが通例なので、本記事でも聖人と表記した。

この中から聖ゲオルクと聖ニコラウスのエピソードを簡単に紹介しよう。

竜殺しの聖ゲオルク

聖ゲオルク(聖ゲオルギウス)は竜殺しの伝承で日本でもよく知られる守護聖人だ。もちろん架空の人物であったと考えられている。七世紀頃の伝承では聖ゲオルクは「家畜を守護する者」「葡萄を実らせる者」と呼ばれ、『三〇三年頃、暴虐のローマ皇帝ディオクレティアヌスに仕えていたローマの軍人であったが、ひそかにキリスト教に帰依し、皇帝の迫害に抵抗し、その非を敢然と公言したため、捕えられ、拷問を受け、最後に首を刎ねられ、殉教を遂げたと伝えられる』(34頁)。またカッパドキアの領主の子であったともいう。

おそらくビザンツ帝国で誕生した聖者像であったともいわれる。軍人であったという伝承に次第にエピソードが付け加えられて竜殺しの勇者になっていったようだ。竜殺しなどゲオルク伝説は十三世紀にまとめられた。ゲオルク崇拝は十一世紀の第一次十字軍で大いに盛り上がり、聖ゲオルクが軍を率いて天上から駆け下りてイスラーム軍を蹴散らした、といった逸話も語られ、やがて騎士の崇拝対象となって、フランスの騎士はサン・ジョルジュを掛け声に突撃し、イングランドは百年戦争で名高いクレシーの戦いでの戦勝を記念して聖ジョージを祀り、後に英国の守護聖人とした。日本でいうと武士の崇敬を集めた八幡神のような位置づけといえようか。

そう考えると確かに騎士たちみんな「欧州八幡大菩薩聖ゲオルク!厭離穢土欣求アヴァロン!」とか掲げて戦っていた気がする。

聖ゲオルギウスについては以下の書籍が詳しい。以下の書籍の内容と本書の説明は違いも大きいのであわせて読むとより理解が深まるだろう。

404 NOT FOUND | Call of History 歴史の呼び声

聖ニコラウス「わるいごはいねがー!?」

サンタ・クロースとしてすっかりみんなに愛されるキャラクターへと変貌した聖ニコラウスだが、聖ニコラウスの古い祭りは結構こわもてである。

小アジアで六世紀頃から始まった聖ニコラウス崇拝は九世紀に入ってローマや南イタリアへ広まり、十~十一世紀にビザンツ出身の神聖ローマ皇帝オットー2世の皇后テオファヌ(独語” Theophanu “、ギリシア語ではテオファノ)を通じてドイツ、フランス、さらに英国まで広がっていった。十三世紀、12月6日の聖ニコラウスの日に恵み深い聖者が三人の娘に金塊を与えるというニコラウス劇の上演がされるようになり、これに影響を受けて各地で聖ニコラウスに扮した人物が町で子供のいる家を訪れてまわる習俗が広まったという。以下聖ニコラウスの習俗については91~92頁を抜粋・要約。

12月5日の夕方、白髭で大きな本を抱えた聖ニコラウスが、大きな包み袋をかついで顔に煤を塗ったルプレヒトとクランプス、顔を真っ黒に塗り腰に鎖を巻いて鞭を鳴らすシュヴァルツというお供を連れて、子供のいる家にやってくる。ところによっては馬の仮面をかぶって牛のように吠えるビッグ・エーゼルという者が加わることもあるという。

家の中に入った一行はまずルプレヒトとクランプスが子供たちに向かって
「ニコラウス様に嘘をついてはいかんぞ!」
「はっきり、イエス、ノーをいうのだぞ!」
と怒鳴り、続いてニコラウスが本を開いて「お前はお菓子ばかり食べてパンをきちんと食べないな」とか「隣の娘をいじめたな」などと問い詰める。はっきり答えられないとシュヴァルツが鞭を振るって威嚇する。そして、子供たちがきちんと返事をしたら、パパやママのいうことをよくきき、よいこになるよう約束させられて、ルプレヒトとクランプスが抱えた大きな袋の中からお菓子などプレゼントが与えられる。

この日本のなまはげを彷彿とさせる習俗は現在でもバイエルン地方やオーストリアの山間部、アルプス地方などに残る習俗だそうだ。お供の者たちは冬の眠りから呼び覚まされた森の精、川の精で、ゲルマン信仰の名残が色濃く残っている。

フィリップ・ヴァルテール著(渡邉浩司,渡邉裕美子 訳)『中世の祝祭―伝説・神話・起源』(原書房,2007年,原著2005年)によるとこのような聖ニコラウスに付き従うものたちは「鞭打ちおじさん(ペール・フェッタール ” Père Fouettard ”)」などと呼ばれ、半人半獣で、異界に属し、『妖精のような人食い鬼であると同時に、豊穣と富をつかさどる存在だったが、自分よりも力の強い聖ニコラに肯定的な特徴を奪われてしまった』(ヴァルテール97頁)という。

また、本書および同著者の『ヨーロッパの祭と伝承 (講談社学術文庫) 』(講談社,1999年,原著1985年)によれば、ドイツのベルヒテスガーデンではこの聖ニコラウスの集団に12~13歳ぐらいの籠を手にして白いエプロンをつけた少女が先導するという。彼女はニッコロヴァイブル――ニコラウスの妻と呼ばれる。男神と女神を対で考えるゲルマン信仰に基づき、聖ニコラウスとゲルマンの主神ウォーダン、ニッコロヴァイブルと女神フライヤとが結びつけられたことで、キリスト教とゲルマンとの習合がみられているのだという。

他の聖人たちについても興味深いエピソードが多く語られている。キリスト教信仰と非キリスト教信仰とが混淆する過程で多様な信仰を結び付ける存在として守護聖人が人々の崇拝を集め、ヨーロッパの文化や社会に根付いて民衆の心性を形作っていく一端が見えてきて面白い一冊である。

参考書籍

・植田 重雄 著『守護聖者 人になれなかった神々 (中公新書)』(中央公論新社,1991年)
・植田 重雄 著『ヨーロッパの祭と伝承 (講談社学術文庫) 』(講談社,1999年,原著1985年)
・フィリップ・ヴァルテール著(渡邉 浩司,渡邉 裕美子 訳)『中世の祝祭―伝説・神話・起源』(原書房,2007年,原著2005年)

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