『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)』青木直己 著

幕末、大老井伊直弼が暗殺された直後の万延元年(1860年)。江戸勤務を命じられた紀州和歌山藩士酒井伴四郎が江戸滞在中に記した日記がある。そこには国元に妻娘を残して江戸で単身赴任する下級武士の食生活や遊興、仕事の様子など日常が描かれていた。

以前、これの原著となった2005年発売の新書版を読んで面白い史料取り上げているなぁと思って感心していたのだが、すでに品切れとなっていた。新たに新史料も見つかり翻刻が進んだことで、2016年、新史料を元に加筆修正された増補版としてちくま学芸文庫入りしたものだ。今や、この原史料である酒井伴四郎日記を原案に漫画化やテレビドラマ化もされるなど、ブームを巻き起こしている。

日記の主である紀州和歌山藩士酒井伴四郎は万延元年(1860)当時28歳、25石の下級武士で、上司にあたる叔父・宇治田平三、同僚の大石直助らとともに、装束に関する着用の指導にあたる衣紋方として同年から一年七カ月の江戸勤務についた。日記は万延元年(1860)五月十一日から十一月三十日までの約七カ月である。

直前に大老井伊直弼は暗殺されるわ、紀州藩内も政争で重臣が失脚するわ、アメリカ公使ハリスらをはじめ外国人が来日しはじめるわ、攘夷の嵐が吹き荒れるわで、幕末の江戸は大わらわ・・・なはずだが、下級武士の彼にはそんな激動は特に関係なく、毎日の食生活とか、倹約生活とか、江戸観光でどこ行ったとかの話で占められているのが、実に等身大という感じで面白い。

本書で紹介されるのも大半が彼らが何食ったかである。紀州から江戸への道中だけでもあんころ餅だうなぎだわらび餅だ柏餅だ葛餅だ栗餅だ力餅だと餅ばっかりだけど道中の名産品を次々と食い倒し、江戸に着いたら着いたで江戸といえば蕎麦だろうと蕎麦二膳平らげている。

江戸での酒井の生活は基本自炊である。料理上手であったらしい。通俗的な男子厨房に入らずイメージとは正反対だが、実際単身赴任の武士だし男性でも料理をするものであったようだ。大分遡るが、ルイス・フロイスが戦国時代の日本人の様子を記した『ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)』でも『ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。そして貴人たちは料理を作るために厨房に行くことを立派なことだと思っている。』と記していて、案外、日本の伝統は男子厨房に入る、であったのかもしれないと思わされる。

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週休五日・低所得の幕末の武士

下級武士である酒井伴四郎の勤務体系が興味深い。万延元年六月の出勤は六日だけで勤務時間も四つ時から九つ時、つまり午前十時から正午までの二時間だけで、七月は出勤なし、八月は月十三日出勤で勤務時間も伸びて午前八時から正午と一日四時間も働いている。三か月で19日、週休五日という感じだ。で、お給料だが、本書の参照文献に挙げられている島村妙子「幕末下級武士の生活の実態 : 紀州藩一下士の日記を分析して」(1972,史苑32 (2) ,pp.45-77)によると江戸詰の手当が年三十九両。本書で参考値として挙げられている文化文政期(1803~1830)の現在貨幣価値への換算表によれば一両が128,800円ということなので、5,023,200円ということになる。ただ、当時ハイパーインフレの真っただ中ということも考えると実価値はこれより大分少ないはずである。伴四郎が食べた天ぷらそばが六十四文(文化文政期の換算で一文20円、1280円)ということだそうなので、やはり物価がかなり高そうだ。まぁ三百万円台後半ぐらいのイメージだろうか。これで国元の妻と娘も養わなければならないし、伴四郎もこまめに収支を記録して倹約生活を送っており、低所得で安定した下級武士の地味生活が垣間見えてくる。

また、著者も指摘するところだが、とにかく彼らは朝だ昼だと関係なく酒を飲んでいる。風邪ひいたら体温めないといかんと飲み、江戸観光に出ては蕎麦と一緒に流し込み、今日は(も)暇だからとつまみと一緒にぐいっとやり・・・と『居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化』で描かれていたそこら中酔っ払いだらけだった江戸の姿を見事に裏付ける資料といえそうな気がする。同書紹介記事でも書いたが昼間っから泥酔してふらふらしている刀もった武士があちこちいる江戸、微笑ましいが怖すぎるぞ。

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几帳面な酒井伴四郎、仕事はできるが私生活はだらしなく食い意地張った叔父・宇治田平三、伴四郎よりさらに貧乏で料理下手な同僚大石直助の三人長屋暮らしのドタバタが日記からも垣間見えて、風邪ひいたので薬鍋と称して豚鍋食べに行くのとか、叔父が食い過ぎてお腹が痛いと言いながらさらにつまみ食いするのとか、これは上質なコメディ原作・・・感がひしひし伝わってくる。四〇歳の女性とその娘でやっている三味線教室に通いつめたり、そして吉原で花魁行列見物に行ったり、アメリカ公使ハリス来日ということで異人見物に行ったり、両国でちょっとエッチな見世物小屋に行ったりと食って飲んで遊んでと江戸を満喫している。

伴四郎らが飛鳥山から王子権現へと観光して近くの茶屋に立ち寄るとロシア、アメリカ、フランス、イギリス四か国の人々がいたので一緒に呑み食いした、というエピソードがさらりと語られているの、面白すぎるでしょう。さらに片言の日本語で茶屋の女性を口説いていたとか。この日はインターナショナルに飲み食いして帰りにさらに寿司食って風呂入って帰ったとかで、彼らにしてみれば、「攘夷(笑)」ぐらいのものだったのかもしれない。

そんな伴四郎だが一年七カ月の江戸勤務を経て帰国、その後、激動の幕末情勢の中、紀州藩が第二次長州征討で先鋒となったため、伴四郎も戦闘に参加して死を覚悟した旨書き記しているという。維新後、妻の病死にともない再婚、長男誕生まではわかっているようだがその後どうなったかは史料が残っていないそうだ。

英雄偉人たちの幕末維新とは違う平凡な武士からみた幕末の生活史を楽しく知れる、とても面白い一冊である。

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