歴史上の様々な古代文字の中から主要な十三種類について、それぞれ専門分野としている研究者を執筆者として「ふくろうの本」シリーズらしい豊富な図版で解説した入門書。編著者はお馴染み古代エジプト史の良書を次々世に送り出してくれている大城道則氏。コンパクトな厚さだが読み始めたらついつい時間を忘れて精読させられるので、大体この厚さならこれぐらいの時間で読み終えるかな・・・という事前の予想を大きく上回ってしまう、充実の内容の一冊となっている。「ふくろうの本」はよくこういうスマッシュヒット的な本を出すのが流石。
古代エジプトの「ヒエログリフ」、古代メソポタミアの「楔形文字」、古代トルコの「アナトリア象形文字」、古代ギリシア・ミケーネ文明の「線文字B」、古代フェニキアの「フェニキア文字」、古代スーダン・クシュ王国の「メロエ文字」、イスラーム誕生以前のアラビア半島で使われた「古代南アラビア文字」、北アフリカ・ベルベル人の間で使われた「ティフィナグ文字」、北欧の「ルーン文字」、古代インドの「ブラーフミー文字」、古代中国の「甲骨文」、南米マヤ文明の「マヤ文字」の十三種類についてそれぞれ章立てされて、その文字の概要、解読の歴史、そして例題に基づく読解まで解説されている。
さらに最終章では未解読文字として古代インドの「インダス文字」、ギリシアの「ファイストスの円盤」、古代ギリシア・ミケーネ文明の「線文字A」、古代イランで使われていたと思われる「原エラム文字」、北アフリカの「ワディ・エル=ホル刻文」、南米「インカのキープ」、イースター島の「ロンゴロンゴ」について概要と解読状況や解読に向けた課題や限界などが簡潔に紹介される。
複数の古代文字について一冊にまとめられていることで様々な発見がある。特に解読の歴史、すなわち研究史が俯瞰できるというのはやはり面白い。読解に向けた研究者のドラマは勿論だが、どれも読解に向けて近隣の言語と比較したり、碑文同士を突き合わせて一致する文字がないか精査したりしていて、同一文字や他言語との比較の重要性に改めて気づかされる。また、あたりをつけて例えばギリシア語で読んでみようかとかラテン語で読めないかとか試してみたり、いざ解読出来たと言われて解読方法が研究者間でも共有されるようになっていても本当に解読出来ているのか確証が持てず新しく発見された文章を複数の研究者に送って解読結果を比較させてみたり、文字は読めるようになったが元の言語がわからないので意味がわからないとか、実に様々な苦労が見えて来る。
実は取り上げられている中で「メロエ文字」、「古代南アラビア文字」、「ティフィナグ文字」については恥ずかしながら存在自体知らなかったのだがそれぞれ興味深かった。
「メロエ文字」は紀元前1000年頃から後四世紀ごろまで栄え古代エジプト第二十五王朝を建てたことでも知られるクシュ王国で使われた文字で、古代エジプトのヒエログリフとデモティックを借用した文字であったらしい。面白いのはこのメロエ文字はデモティックから作られた草書体とヒエログリフから作られた絵文字からなる、表音文字なのだそうだ。ヒエログリフやデモティックという表意(表語)文字を借用して表音文字として使うあたり、筆者も書いているがどことなく漢字を借用して作られた古代日本語の成り立ちと似ている。ただ、『メロエ文字の基本的な解読はすでに済んでいるものの、その碑文読解が先に進んでいない理由は、メロエ語がいまだ解読されていないからである』(60頁)のだという。
「ティフィナグ文字」は北アフリカのベルベル人がかつて使っていた古代文字で、かつてはベルベル語には文字がないというのが通説だったが、二十世紀に入って発見され紀元前三世紀から後三世紀にかけて北アフリカからカナリア諸島に至る広い範囲で使われていたことが明らかになった。興味深いのは、現在ティフィナグ文字の復興運動が盛んになり、古代ティフィナグ文字に基づく「新ティフィナグ文字」が考案、「ベルベル言語・文化王宮アカデミー(IRCAM)」がこれをさらに整えて32文字の公式ティフィナグ文字を公認し、モロッコなどベルベル人が多数を占める国でもベルベル語の学校教育で教えられるようになり、また、標識などに使われるようになっているという。日本語がそうであったように、現代の諸言語が辿ったのと同様、古代文字が復興して整備され「民族の言語」として確立していく様子が描かれていて、とても興味深い事例だった。
あとはみんな大好き「ルーン文字」や、梵字・梵語としてお馴染み日本にも多大な影響を及ぼした古代インドの「ブラーフミー文字」ももちろん興味深く読んだし、また、未解読文字たちのミステリーにも胸躍らされる。果たしてインダス文字は解読される日が来るのか。また、ロンゴロンゴ、インカのキープなどはそもそも文字なのか?という話や、第二次大戦中の暗号解読技術の飛躍的向上が古代文字解読にも大きく貢献していた話など、様々な知見が得られる読書体験だった。
各章読み終えるとなんとなく古代文字の理解が深まったような気分になれるので満足度が高い。本当は沼の淵にすら近づいていないのだろうけども、ほーらここが沼ですよー綺麗な景色でしょうーたのしいでしょうーと巧みに古代文字の世界へと案内してくれる一冊だ。