『古代オリエントの神々-文明の興亡と宗教の起源 (中公新書) 』小林登志子 著

現代を生きる我々が知る限りにおいて、最も古い宗教は紀元前四千年頃から三千年頃にかけて登場した古代メソポタミアの神々であった。岡田明子氏との共著となった前著『シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン』(書評)はその最初期、紀元前三千年紀のシュメール人の諸都市国家で栄えた神々について紹介されたが、本作では古代シュメール文明で登場した神々が古代オリエントの諸文明の興亡の中で展開し変容していく過程と、その多神教の時代がユダヤ教、キリスト教、イスラーム教といったセム系一神教の登場によって終焉を迎えるまでの約三千年の古代オリエント世界の宗教史をたどる。

日本の天照大御神のように多神教の神話体系で太陽神が最高神となることは少なくなく、古代オリエントでも後にアメン神と習合して国家神アメン・ラーとなるエジプトの太陽神ラー、後にゾロアスター教のアフラ・マズダーに敗れるがイランで勢力を誇り、一時はローマ帝国でも歴代皇帝の崇敬を集めたミトラス教の主神である太陽神ミスラなどが知られる。

一方メソポタミア神話の太陽神ウトゥ(シャマシュ)は「シュメール七大神」の一柱ではあったが月神ナンナ(シン)の下位に甘んじた。これはシュメールの社会の暦が月の満ち欠けの基づき閏月を挿入した太陰太陽暦を採用していたことによる。最高神ではなかったが、ギルガメシュ叙事詩でも主人公ギルガメシュの崇敬を受けるなど神話の名脇役として愛され、正義の神としてハンムラビ王など諸王から崇敬を集めた。

メソポタミア神話の最強ヒロインである女神イナンナ(イシュタル)がいかにして様々な女神と習合し、あるいは伝播して、後世登場する女神たちの祖型となっていったかも本書を読むとよくわかる。そもそもシュメール語での女神イナンナとアッカド語での女神イシュタルは別の女神で後に習合したものであったという。

イシュタルはミタンニ王国の女神シャウシュガ、シリアのイシュハラ女神、アシュタルト女神などとも習合する。イシュタルがイランの女神と習合したのがアナーヒター女神で、サーサーン朝時代までペルシアで信仰された。インドの河の女神サラスヴァーティーはアナーヒター女神と同起源であり、そのサラスヴァーティー女神は仏教の弁財天へとつながるという。またアラビア半島起源の女神とギリシア神話の女神アフロディテやエジプトのイシス女神とともにイシュタルが習合して形成されたのがアル・ウッザー女神で、そのアル・ウッザー女神を信仰し、後に排撃したのがイスラーム教の創唱者ムハンマドであった。

本書で紹介されるブランコの起源はとても興味深い。現在遊具として親しまれているブランコ、実はかなり古くから史料に登場してくるそうだ。その最古の例と考えられているのがメソポタミアのマリ遺跡で前三千年紀中ごろと思われる、高い背もたれのある、二つの穴が貫通した椅子に座った小像で、その穴にひもを通すことでブランコのように揺さぶられるように作られていた。クレタ島イラクリオン博物館には前1600年頃、ミノア文明期の「ブランコに乗る女性小像」が展示されている。古代ギリシアの豊饒の祭り「アンテステーリア祭」では女性がブランコに乗る儀礼が存在していて、その起源となる伝承は葡萄と酒の神ディオニューソス神からの贈り物で酔った酔客に殺害された人々を弔いぶどうの豊作を祈るために始められたのだと伝える。『首くくりの遺骸やぶどうの房が揺れる様子とブランコが重なる』(146頁)からだと言われる。

現在のブランコの直接的な起源はインドで、女性がブランコに乗ることで聖婚儀礼とされ、ブランコの上下運動が太陽と大地との交わりをあらわした。ロシアでもブランコは豊穣を祈る儀礼として復活祭に催された儀礼的遊戯であったという。タイでも同様に二月にブランコの儀礼が行われブランコを漕いで高く上がれば上がるほど稲が育つと信じられた。中国でも春秋時代から鞦韆の名でブランコが登場、やはり冬至後にブランコの競技が行われた。女性が乗ることとされており、豊穣や子孫繁栄を表していた。これがおそらく西暦1200年頃、日本に伝わったと考えられている。

『ブランコをこぐのは多くは女性で、かたわらの男性が補助をするか、見物する。ブランコにのってゆれる女性の姿がエロティックでもあって、このことが豊作を招くという類感呪術である。』(148頁)

メソポタミアからギリシア、インド、ユーラシア、中国そして日本と、宗教儀礼としてのブランコが各地で見られるのはとても興味深い。

古代オリエント世界で栄えた多神教の神話たちはやがてユダヤ教、キリスト教、イスラーム教という「アブラハムの宗教」の誕生によって姿を消していくが、その豊饒さと地域と時代を超えて伝播していく様子がよくわかる面白い一冊であった。

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