『デゾルドル』は2017年5月から2018年6月まで「講談社モーニングtwo」で連載されていた百年戦争後期のフランスを舞台にジャンヌ・ダルクと傭兵の少女ルーヴを主人公とした歴史漫画です。2018年2月に発売された単行本第一巻の売上が思わしくなく、二巻で打ち切られてしまいましたが、早すぎる打ち切りが惜しまれる作品でした。遅ればせながら、全二巻の感想をまとめます。

あらすじ
百年戦争期、フランスでは長期の戦争による王権の弱体化とあわせて、戦乱や飢饉、黒死病に代表される疫病によって農村が荒廃し、食うに困った者たちが武装勢力と化して暴力の応酬が始まりました。戦時には傭兵として戦場で活躍し、平時には山賊として村々を荒らし、力を蓄えたものの中には城や砦を奪って周辺を支配して独立勢力と化す集団も現れます。
そんな猖獗を極めた傭兵たちの中でも特に著名なのが、百年戦争後期に実在したフランスの傭兵隊長ラ・イル(憤怒)ことエティエンヌ・ド・ヴィニョルです。主人公ルーヴはそのラ・イルの娘という設定です。十一歳という幼さゆえにまだ甘さが残る彼女が出会うのが、イングランド軍に包囲されたオルレアン市を救うため、故郷ドンレミ村を出てシャルル7世の居城シノン城へと向かう途上のジャンヌ・ダルクでした。

一巻ではひたすら残酷な世界が描かれます。強い者が奪い、弱い者は奪われ、かけがえのない仲間は無残な最期を遂げる、そんな渾沌(デゾルドル)な世界で暴力の化身として屹立するラ・イルと、全てを超越して無謬にすらみえるジャンヌ・ダルク、その二人の狭間で立ち尽くすルーヴ、相容れない三者が対決に至るというのが一巻です。そのタイトル通り渾沌として、今後どうなるのかは未だ見えない始まりでした。
これが明確に見えて来るのが二巻で、ラ・イルとジャンヌはともに認め合い、シノン城でまずは王母ヨランド・ダラゴン、続いてシャルル7世との会談を経てオルレアンに出陣するわけですが、この前半部分の連載中で打ち切りが決まったようで、二巻後半は非常に窮屈な展開となっていきます。二巻の120ページまででようやくオルレアンへ向けて出発し、残り100ページでオルレアン包囲戦を終わらせて、一気に十年余り時間が飛んで1440年のプラグリーの乱をエピローグとして終わりです。後半のバタールとの無理な対立や唐突なルーヴとの精神世界での対話での作品テーマの提示など急ぎすぎはどうしても作品を歪な形で終わらせることになりました。
百年戦争の暴力の応酬は如何にして終わったか
一巻では見えてこなかった本作が目指そうとしていた着地点は二巻を読むことで見えてきます。それは自立した傭兵たちによる無差別の暴力の応酬が繰り返される渾沌(デゾルドル)の世界が、ジャンヌ死後、プラグリーの乱とフランス王直属の常備軍「勅令隊」の設立を経てフランス王の下で暴力装置として一元化され暴力が管理されていく、近世的な国家形成のプロセスを描こうとしていたということではないでしょうか。

ジャンヌ・ダルクの死までが序章で、そこからジャンヌの死という大きな犠牲を経てルーヴの目を通して暴力の応酬が一時的ではあっても収束していく過程を見つめる本編が始まるはずだったのでしょう。そうしてみるといくつもの伏線が二巻前半までで張られていました。
ジャンヌ・ダルク『この戦争を終わらせて傭兵を必要としないフランスを作るの。それが・・・傭兵として生まれたあなたの運命に対するあなた自身の戦いでもあるはずだから』(一巻126-127ページ)
ヨランド・ダラゴン『このフランスの暴力という名の混沌を統べることができるのはより巨大な混沌・・・・・・』(二巻97ページ)
歴史上の百年戦争の意義はまさに中世的国家から近世的国家への移行過程であったという点を踏まえるなら、本作は歴史の変化そのものをテーマとした壮大なものだったと言えるでしょう。
丁寧な考証が光る
日本刀が出てきたりダイナミックな嘘が沢山ありますが、実は考証面でも非常に丁寧です。
一巻で悪鬼の活躍をしたフロケはコミックスでも触れられていますが実は実在の人物です。フロケことロベール・ド・フロックはラ・イルやザントライユの仲間の傭兵です。封地を離れた小貴族の出で、史料上の初出は1432年、ジャンヌ死後のことです。傭兵として悪名を轟かせ、シャルル7世の直属部隊に名を連ねてノルマンディ奪還の功績でノルマンディ地方に領地を得て、シャルル7世配下の有力武将として知られました。(レジーヌ・ペルヌー、マリ・ヴェロニック・クラン著『ジャンヌ・ダルク』354-356頁)ジャンヌ存命中は消息不明なため、自由に動かしやすい人物と言えるでしょう。一巻で無茶苦茶やってジャンヌへの恨みを抱いて姿を消した彼が、後にシャルル7世の忠臣へと変貌する姿はぜひ見てみたかったのですが・・・
また二巻でニシンの戦い後ジャンヌのシノン城到着前までの間でポトン・ド・ザントライユがブルゴーニュ公フィリップ3世善良公の下を訪れて面会していますが、実は当時の史料に基づいています。「ニシンの戦い」の敗戦後、オルレアン市民の要請でブルゴーニュ公へ停戦の調停を依頼する使者が送られますが、それがザントライユでした。
「オルレアン市民はポトン・ド・サントライユおよび数名の市民を、イギリスに味方しているブルゴーニュ公フィリップおよびリニー伯ジャン・ド・リュクサンブール殿のもとに送り、オルレアン市民のことを考慮してくれるよう懇請し(中略)イギリス軍とのしばらくの停戦と包囲の解除を折衝してくれるよう懇願した。」(当時の史料「籠城日誌」より/レジーヌ・ペルヌー著「オルレアンの解放」124頁)
この使者を受けて、ブルゴーニュ公はイングランド軍と折衝するものの折り合いがつかず、包囲軍に加わっていたが元々戦意が薄かったブルゴーニュ軍が撤退することになります。その撤退の直後、ジャンヌ・ダルクがオルレアンに入城するわけです。
作中では何が目的で会談していたかいまひとつよくわかりませんが、史実ではこのような停戦交渉でした。また、会談の場に臨席していたリニー伯ジャン・ド・リュクサンブールはブルゴーニュ公麾下の猛将で、後にジャンヌを捕らえることになる人物ですが、実は隻眼でした。本作でもちゃんと眼帯して隻眼で描かれていますね。ついでに、彼の副将リオネル・ド・ヴィドンヌがジャンヌを捕らえた功労者ですが、そのヴィドンヌ、頬の傷は以前ザントライユに付けられたものと言われています。こういう因縁があるだけに、お話が続いていたら彼も出てザントライユと戦っていたのではないかと思うと残念ですね・・・
また、この場でブルゴーニュ公からザントライユに日本刀!が贈られるのですが、おそらく先生のインスピレーションの元ネタとなったのは、レジーヌ・ペルヌー、マリ・ヴェロニック・クラン著『ジャンヌ・ダルク』のザントライユ伝にある『一四四九年十一月十日、国王の荘厳なルーアン入城に際し、その傍らに長刀を引っさげて控えている彼の姿が見られた』(324頁)という一節ではないかと思います。私もここ読んだとき、日本刀差したイメージが浮かびましたので・・・
山場はジャンヌvsブルゴーニュ公会談?
そのブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンですが、先生が「ラスボス」と称していたことを踏まえると、もし打ち切られずに続いていたら、おそらくジャンヌ・ダルクとブルゴーニュ公フィリップ3世との対決が物語の山場になっていたのではないかと思います。
ラスボス。 pic.twitter.com/pprvS4UjuC
— 岡児志太郎(『デゾルドル』1・2巻発売中) (@onanistar_low) 2017年12月13日
1430年5月23日、コンピエーニュでリニー伯ジャン・ド・リュクサンブール率いるブルゴーニュ軍の捕虜となったジャンヌは同6月6日まずブルゴーニュ公妃イザベル・ド・ポルテュガルと面会し、続けて6月22日、ブルゴーニュ公フィリップ3世と面会しています。このとき両者が何を話したのかは記録が残っておらず、研究者の間でも多くの推測が出されていますが謎に包まれています。
二巻後半、ルーヴに見せた過去と未来に渡る絶えることのない暴力の上に立つ繁栄の情景は、打ち切りになったために後半で一気に盛り込まれただけで、もしかするとこの面会で見せるはずのものだったのでは?善良公も「預言」の力を持っているように描かれていましたので、おそらくジャンヌの遺志を受け継ぐことになるものの一人として対決する最大のラスボスに位置づけられていたのではないかと思いました。ジャンヌ死後、ブルゴーニュ公が一気にフランス王との同盟に傾き、1335年のアラス会議で百年戦争の趨勢が逆転するという史実との整合性も取れますし・・・
しかし、本作で残念なことのひとつがシャルル7世が終始傀儡、しかも半ば自分の世界に籠って狂気の人のように描かれていることですが、これはエピローグでシルエットだけ登場の正義の人リッシュモン元帥をジャンヌの遺志を受け継ぐ主人公級の人物として描くための造形だったのかなとは思いました。連載はリッシュモンとジャンヌが出会うパテーの戦いまで行かずに終わったので、どういうキャラクターとして描く予定だったのかわかりませんが、リッシュモンによってシャルル7世も成長するような描き方も出来るので、その為の伏線だったのかもしれないと思います。
しかし、プラグリーの乱を着地点に描くなら、どうしてもシャルル7世には性格はともかく主体的な動きができる人物像でないと話が進まないので、ヨランド・ダラゴンを前面に出さずとも、彼女の役割はそのままシャルル7世でも良かったのではないかと、最後まで読んでも思ってはいます。ジャンヌに影響され、リッシュモンに補佐されて主体的に「混沌(デゾルドル)」を終わらせようとする、意思を持ったキャラクターであった方が良かったのでは。
ジル・ド・レは実際にはプラグリーの乱に参加せず隠棲を続けて、乱の直後、ブルターニュ公によって処刑されるわけですが、本作ではプラグリーの乱に参加して良かったね・・・これジル・ド・レ生存ルートなのでは。プラグリーの乱に参加した諸侯は、ブルボン公シャルル1世の巧みな交渉で全員許され、本作では出てきていないですが、ジル・ド・レの主君ジョルジュ・ド・ラ・トレムイユも宮廷復帰が認められたりしています。史実のジルに乱に参加するぐらいの積極性があったら運命変わっていただろうに。
歴史漫画、もっと長い目で見て欲しい
『応仁の乱』の著者呉座勇一氏は朝日新聞のコラムで歴史漫画はもっと長い目で見てはと書いておられますが(脚注)、本作についてもそう言わざるを得ません。長い目で見れば、もしかすると骨太の中世ヨーロッパ史漫画として、大ヒットとはいかずとも、熱心なファンがついて支持されていたかもしれないのに、と。全体の構成から考えても一巻時点で引きの強い物語にはなりえないのは最初から分かり切っていたのでは。実際、長い物語の土台となる「混沌」を描くためにひたすらシビアな展開に終始して、ジャンヌはオルレアンはおろかシノン城にすら着いていなかったわけで、このテーマの作品に対してわずか一巻での結果を求めるのは性急に過ぎると思いました。
というわけで、百年戦争後半の歴史を壮大なスケールで描く・・・ことになるかもしれなかったが、そうはならず、残念な終わり方をさせられた作品で、打ち切りから一年経った今も個人的に惜しいと思い続けています。
歴史を扱う物語は歴史学への最大の入口なのに、それが無為に捨てられていくのは歴史を愛好し歴史を学ぶ全ての人々にとっての損失だと思うので、本作の打ち切られ方に対する、歴史漫画の一読者としての反省から、面白い歴史漫画があれば積極的に多くの人に紹介していこう、ささやかでも歴史漫画の火を消さないように、読者としてできることは可能な限りしようと当時決心したのが、当サイトを続けるモティベーションの原点の一つとなっています。
歴史小説・映画・ドラマ・アニメ・マンガ・ゲームなどの歴史を扱った創作物と歴史学とはお互いが補い合いながらいい関係が築けるはずで、このサイトはそれをシームレスにつなげることを実現するためにある、という確信というか信念というかを結果として形作ってくれた作品でした。
脚注
(呉座勇一の歴史家雑記)歴史漫画、長い目で見ては:朝日新聞デジタル
参考文献
・レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著(福本直之訳)『ジャンヌ・ダルク』東京書籍、1992年
・レジーヌ・ペルヌー編著(高山一彦訳)『ジャンヌ・ダルク復権裁判』白水社、2002年
・レジーヌ・ペルヌー(高山一彦訳)『オルレアンの解放 (ドキュメンタリー・フランス史)』白水社、1986年