『図説 十字軍 (ふくろうの本/世界の歴史) 』櫻井康人 著

豊富な図版と手堅くわかりやすいコンパクトにまとまった記述に定評のある河出書房新社の「ふくろうの本」シリーズから2019年に出た「図説 十字軍」である。

十字軍というと、獅子心王リチャード1世とサラディンが名勝負を繰り広げた第三回十字軍やコンスタンティノープルで破壊の限りを尽くした悪名高い第四回十字軍など西アジアでの対イスラーム十字軍のイメージが強く、学校教育でも『西欧キリスト教勢力がイスラームの支配下に入ったイェルサレムを奪還するためにおこした軍事遠征。(中略)正式には計7回の遠征が行われたが、第1回十字軍の成功以後はその大義を失った』(全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集』(山川出版社,2014年,98頁))と教えられているが、十字軍研究では十字軍は対イスラームに限らず、また時間的にももっと長期に取るようになっている。

著者は本書の『プロローグ「十字軍」とは何であったのか?』で上記の世界史用語集の説明に対し以下のように十字軍について定義する。

『しかし現在、十字軍史研究の世界では、次のように定義されている。十字軍とはキリスト教会のために戦うことで贖罪を得ることであり、それは一〇九五年からナポレオンによるマルタの占領(一七九八年)までの七〇〇年間、いたる所で展開された、と。すなわち、十字軍の本質は「贖罪」であり、その目的地は聖地に限定されず(聖地十字軍と非聖地十字軍の同等性)、それは連続性を持つ運動であった』(4頁)

全体としては、全く異論はなくその通りなのだが、『一〇九五年からナポレオンによるマルタの占領(一七九八年)までの七〇〇年間』と十八世紀末まで言い切っているのは初めてみたので少しドキッとした。十字軍の終期については諸説あり、例えば本書でも参考文献として挙げられているアンドリュー・ジョティシュキー著(森田安一訳)『十字軍の歴史 (刀水歴史全書)』(刀水書房,2013年,原著2004年)9頁には以下のようにある。

『現在でも、一二九一年に西方世界が最後まで所有していた十字軍国家の本体が崩壊した時点をもって終了時期とするのが適切だと考える人が多い(たとえば、Richard 1999)が、この説は多くの点で不自然である。十字軍は、まったく同じ組織編成で、同じ大志を抱いて一二九一年以降も約五〇年間にわたって引き続き出軍していったし、また重点が聖地の奪回からオスマン帝国の進出に対抗するための、より漠然とした闘争へと変化した後も、ヨーロッパの貴族が提唱し表明した十字軍運動の理想は、一〇九五年の第一回十字軍の世代を駆り立てたのと同じ伝統の一部として引き続き存在し続けた。さらに、最後の十字軍国家であるキプロス王国は一六世紀後半まで崩壊しなかったし、それ以降まで延ばすことさえ可能であって、一七世紀のトルコ人との戦いまでもが十字軍運動の歴史に含まれた。本書では聖地奪回という唯一かつ明確な目的をもって西方から最後の大規模な遠征が行われた一三三〇年代を終了時点としている』(ジョティシュキー著,9頁)

同じく本書が参考書籍として挙げている八塚春児著『十字軍という聖戦 キリスト教世界の解放のための戦い (NHKブックス)』(日本放送出版会,2008年)によれば

『十字軍という運動を歴史的脈絡の中で考えれば、アッコン陥落という事件そのものは必ずしも重要な意味を持たない。むしろ近年の傾向として、一二九一年を越えて十字軍時代を下らせるほうが一般的になりつつある』(八塚春児著236頁)

『一五七八年にはポルトガル王セバスティアンによる北アフリカ遠征がある。結果は王自身も戦死する敗北であった。これを最後の十字軍とする見方もあるが、次の一七世紀にも、なお十字軍の残滓は存在する』(八塚春児著239頁)

『十字軍時代の終期を決定するのはきわめて難しい。それは、「中世」の定義が論者によりさまざまで、中世から近代への転換点も明確な線など引けないのと同様である。しかし、無理に終期の線を引く必要はあるまい。ライリー・スミスの言葉によれば、十字軍はフェイド・アウェイしていったのである』(八塚春児著240頁)

山内進著「十字軍とは何か―― 中世ヨーロッパの聖戦について考える ――」(松山大学論集 第30巻 第5-1号,2018年,444-463頁)は以下のように書いている。

『ローマ教皇またはその代理人の呼びかけによって十字の印と罪の赦免(免 償・贖宥)の承認のもとに送られたのが十字軍なのです。

(中略)

要素に注目する形で十字軍を解釈し,その見直しを進める研究者を「修正主義者(レヴィジョニスト)」とか「複数主義者(プルラリスト)」と呼びます。最近の研究動向は,私の感じでは「複数主義アプローチ」の方が優勢です。私も「複数主義」の立場をとります。この考え方では,「最後の十字軍」は16世紀あるいは17世紀にまでずらすことが可能になります。少なくとも,最後の十字軍同盟はトルコに対する1684年から1699年のそれでした。最後の十字軍的修道会国家は,1798年までのマルタ騎士団でした(J. Riley-Smith, The crusades, A short history, London, 1987, p.255.)。このように,複数主義的立場は十字軍に対する視野を大きく広げ,ヨーロッパの内的形成(キリスト教化)や外的拡大(キリスト教ヨーロッパの拡大)ひいては植民地主義・帝国主義にも連なる視点と対象領域の拡大をもたらしました。これは,複数主義の長所で,これによって十字軍研究は大きく前進しました。』(山内進著,457-458頁)

『複数主義の立場にたっても,イスラム教徒の支配地に攻撃を加えたアルカサールの戦い(1578年)をもって十字軍は終結する,と見ること はおおむね妥当であると私は思います。』(山内進著,461-462頁)

このように、いくつかの十字軍に関する書籍を読んだ範囲で、十字軍を対イスラーム十字軍に限定する捉え方はすでに過去のものとなって、時間的にも空間的にも、著者が書いているように『聖地十字軍と非聖地十字軍の同等性』を前提として、広く捉えるのが一般的になっているがその終期には諸説あって断定することはできない、と理解していたので、『マルタの占領(一七九八年)まで』と断定しているのは驚きだった。あらためて近年の十字軍研究を追いかけていかなければと思わされる。

「第一部 クレルモン教会会議への道のり」では第一章で「マホメット(ムハンマド)なくしてシャルルマーニュなし」で知られる「ピレンヌ・テーゼ」がいかにして批判されてきたか、ピレンヌの「トゥール・ポワティエ間の戦いがヨーロッパとイスラームの宗教的対立の原点であった」(7頁)とする説とイスラーム勢力の台頭によって地中海が遮断されて自給自足的な閉鎖経済になったとする説を批判、第二章で神の平和・休戦運動や叙任権闘争、教会改革などを経て「キリストの騎士」が誕生する前史が描かれる。

「第二部 盛期十字軍の時代」では第一回十字軍から1291年のアッコン陥落まで、「第三部 後期十字軍の時代」ではテンプル騎士修道会、ドイツ騎士修道会、聖ヨハネ騎士修道会の三大騎士修道会の盛衰、民衆十字軍、対フス十字軍、ニコポリス十字軍、対オスマン戦争から十六世紀の対イングランド十字軍やキプロス王国の興亡、神聖同盟の設立、宗教改革による十字軍の変容から大トルコ戦争の勝利など十三世紀以降の様々な十字軍運動を後期十字軍として描いている。最後は近代以降現代までの国威発揚や対テロ戦争で用いられる「十字軍」についても言及されており、十字軍研究では「似非十字軍」「疑似十字軍」と呼ばれているのだという。

ふくろうの本シリーズらしく、図表が豊富で第一回十字軍の主要メンバー一覧表や、エルサレム王ボードゥアン2世を輩出したルテル・モンテリ家の系図、お馴染みリュジニャン家の系図は参加部隊別に枠の色やデザインが変えてあったり、工夫が凝らされていてとても見やすくありがたい。

また、十字軍国家の研究を専門としている著者だけに、第四回十字軍でギリシア・アナトリアに建設された大小さまざまな十字軍国家――それこそネグロポンテ三頭国とかモレアス専制侯国などといったところまで地図で描かれ、また十字軍国家の農村世界についても短くだが既存のライース制とヨーロッパ式のプレヴォ(代官)制の軋轢などまで解説されているのはとても興味深く勉強になる。

一方で、冒頭で十~十三世紀に限らない旨を強く主張しているのだから、著者もあとがきで書いているように十三世紀末以降十八世紀までの様々な後期十字軍についてはもっとボリュームが欲しかった。十字軍の時代を広く捉える趣旨であれば、いっそ十三世紀末まで(盛期十字軍)と十四世紀以降および非聖地十字軍(後期十字軍)の二冊組構成でも良かったのではと思わないでもない。後期十字軍に位置づけられる、例えばイングランドとスペイン艦隊が激突するアルマダ海戦とか、神聖同盟とオスマン帝国の大トルコ戦争といった諸々の例はむしろ個々の事件として描かれることが一般的なので、十字軍運動の一貫という切り口である程度のボリュームでまとめて解説されると実にありがたい。

参考文献
・八塚春児著『十字軍という聖戦 キリスト教世界の解放のための戦い (NHKブックス)』(日本放送出版会,2008年)
・アンドリュー・ジョティシュキー著(森田安一訳)『十字軍の歴史 (刀水歴史全書)』(刀水書房,2013年,原著2004年)
・山内進著「十字軍とは何か―― 中世ヨーロッパの聖戦について考える ――」(松山大学論集 第30巻 第5-1号,2018年,444-463頁)

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