『ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)』山本紀夫 著

南米アンデス地方で栽培され、大航海時代にヨーロッパにわたり、そこから世界中へ広がって、今や全世界の食卓に並ぶ、日本でも肉じゃが、カレー、コロッケ、フライドポテトなどなどなど今や食生活に欠かせないジャガイモの歴史を辿る一冊。2008年の発売以来、売れ続けるロングセラーで最早名著としての評価は揺るぎないように見える。

実際、全世界的に広まった食物をテーマにして世界史を一望する本というのは良い本が出やすい。栽培した人々、彼らをとりまく社会状況、流通させるシステム、商取引と経済、拡大した要因、伝播の過程、流入先に及ぼした影響、食文化の変容や現代社会におけるその食物の位置づけ・・・などなど多面的に描きやすく、その分析手法としても様々な選択肢があるからだ。同様の良書として、例えば川北稔著『砂糖の世界史』が名高い。

「砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)」川北 稔 著
1996年の発売以来売れ続けている世界史入門定番の一冊。砂糖の広がりを通じて様々な地域がつながりあい、ダイナミックに変化していくさまが平易なことばとわかりやすい解説で描かれており、世界史の面白さがこれ以上ないほどに詰まっているので、まぁ、読...

本書の目次は以下のようになっている。

はじめに――ジャガイモと人類の壮大なドラマを追って
第1章 ジャガイモの誕生――野生種から栽培種へ
第2章 山岳文明を生んだジャガイモ――インカ帝国の農耕文化
第3章 「悪魔の植物」ヨーロッパへ――飢饉と戦争
第4章 ヒマラヤの「ジャガイモ革命」――雲の上の畑で
第5章 日本人とジャガイモ――北国の保存技術
第6章 伝統と近代化のはざまで――インカの末裔たちとジャガイモ
終章  偏見をのりこえて――ジャガイモと人間の未来

ジャガイモというと芽に有毒なソラニンを含んでいることで有名だが、野生のジャガイモは通常の五倍以上の有毒物質を含んでいるという。この毒の塊を食べられるようにして栽培化に成功したのが南米アンデス地方であった。彼らは毒抜き技術を編み出し、野生のジャガイモを毒抜きしたうえで保存が効くようにした。この毒抜き・乾燥したジャガイモを「チューニョ」と呼ぶ。貯蔵や輸送に適した食材となったことで、アンデス地方の主食となり、アンデス文明を生みだすことになった。この貯蔵性が高い食材の存在は、文明誕生に欠かせない。

「食糧の帝国――食物が決定づけた文明の勃興と崩壊」
人類史における都市の繁栄を生み出したもの、それは食糧の余剰と交易であった。余剰食糧が富を生み、富が都市と社会、そしてそこで暮らす人びとの生活を繁栄させる。本書は、その歴史上様々なかたちで現れてきた「食糧を礎とした社会」、すなわち「食糧帝国」...

十六世紀、スペインが新大陸を征服してジャガイモをヨーロッパに持ち込むが、当初はなかなか広まらなかったらしい。しかし、戦争と飢饉がジャガイモを一気に拡大させた。ドイツ三十年戦争(1618~48)、大同盟戦争(1688~97)、スペイン継承戦争(1701~14)、七年戦争(1756~63)、バイエルン継承戦争(1778~79)、ナポレオン戦争(1795~1814)と戦時の食糧不足や戦後の飢饉への対策としてジャガイモ栽培が拡大、また、十八世紀、特に1770年代にヨーロッパを襲った飢饉でアントワーヌ・オギュスタン・パルマンティエなど農学者の尽力でジャガイモ栽培が推奨され農地が拡大した。

日本では、十六世紀に伝来したとも言われるが、本書では十七世紀半ば、鎖国令以降にオランダ人によって長崎に持ち込まれたものだとしている。十八世紀初頭にいち早く蝦夷地で栽培が始まり、やはり飢饉で苦しむ東北地方を中心に栽培が進んだ。江戸時代後期に日本各地で栽培が始まるが、日常食として定着するのは東北地方に限られ、全国的拡大は明治時代以降のことになった。特にカレーライスの誕生の影響は大きかったようだ。インドで誕生した香辛料を使った代表的料理と南米で誕生したジャガイモが日本で出会う、というのは実にエキサイティングである。

「カレーライスの誕生」小菅 桂子 著
キレンジャーから水樹奈々様まで著名人だけでなくカレーを愛する人は数知れず、日本の食文化に広く浸透しているカレーライスが日本に根付いてきた歴史をコンパクトにまとめた一冊。 カレーライスは本場インドからイギリス経由で明治時代になって日本に入って...

ジャガイモは戦争や飢饉といった非常時に救荒作物として重宝されたが、ジャガイモに頼り過ぎた結果、アイルランドでは「ジャガイモ大飢饉」と呼ばれる百万人もの犠牲者を出す悲劇を引き起こした。『ジャガイモに依存しすぎたせいで、飢饉のような非常時に代替作物が無かった』(92頁)ためだが、原因はむしろ、植民地体制下での慢性的な貧困と、飢饉が起きてからも政府が十分な対策を取らなかったことにあった。

『食糧不足を解決するためには海外から安価な穀物を早急に輸入する必要があったが、これは穀物の価格維持を目的とした法律、いわゆる穀物法のために実行が困難であった。また、自由市場における放任主義、いわゆる「レッセ・フェール」も対応のまずさに拍車をかけた。その結果、政府による穀物輸入はほとんど実施されなかった。さらに、国外への輸出に対する規制も行われなかったため、数多くのアイルランド人が深刻な飢餓状態にあるにもかかわらず、穀物はアイルランドから失われる一方、という異様な状態にあったのである。』(93頁)

十九世紀に入ってインドに植民した英国人を通じてジャガイモが持ち込まれ、主食となったネパール・チベット国境地帯のソル・クンブ地方に住むシェルパの人々の文化の変容や、現代になっても未だインカ時代の伝統農法を残すアンデス地方の人々の生活を丁寧に追うフィールドワークは本書の白眉である。

ジャガイモの誕生からアンデス文明の勃興、大航海時代を経ての世界中への伝播とその影響を存分に描いており、たしかにジャガイモのきた道を辿ることができる。そして、終章ではきちんとジャガイモのいく道を照らしてもおり、新書と言う限られたページ数で充実した内容の一冊である。

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