『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説』桜井俊彰 著

日本人が「イギリス」と呼ぶ「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国”United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland”」は、連合王国の名の通り、ブリテン諸島(British Isles)のイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四つのネーションによって成立している。それぞれ独立した政府と議会を持ち、言語や文化的差異も少なくなく、スポーツの国際大会にも個別に代表チームを送る、四つで一つの連合国家として存立している。

分離独立の動きを活発化させるスコットランドや、過激な武力闘争による独立運動を経て独立したアイルランドおよび連合王国に残留した北アイルランドなどと違い、ウェールズは皇太子の称号プリンス・オブ・ウェールズとして知られるだけでどうにも影が薄い。英国旗として知られるユニオン・ジャックもイングランド、スコットランド、アイルランドの国旗の組み合わせとして誕生したが、ウェールズの国旗であるレッドドラゴンはここに組み込まれていない。

ウェールズの国旗

ウェールズの国旗

連合王国成立の歴史はイングランドによる併合の歴史だが、ウェールズはスコットランドやアイルランドよりも早い時期にイングランドへ併合されていった。しかし、ただ唯々諾々としていたわけではない。むしろ彼らの抵抗の歴史が中世のブリテン諸島史を彩っている。本書は、そのウェールズがいかにして戦い、敗れていったかを描いている歴史読み物である。なおウェールズ(Wales)は他称で「よそ者」を意味し、彼ら自身は自らのことをカムリ(Cymry)と呼んでいるが、ここでは本書同様に慣例に従い、ウェールズで表記している。

ブリテン諸島の先住民であったブリトン人は前一世紀半ばごろまでに女王ブーディカの抵抗もあったがローマ帝国に征服され、ローマの支配が終わった五世紀から諸部族が自立するが、スコット人やピクト人などのアイルランド、ブリテン島北部先住民との対立が激しくなり、ユトランド半島・スカンディナヴィア半島の精強さで知られたサクソン人傭兵に支援を求めた。要請にこたえたサクソン人たちは対ピクト人・スコット人との戦争で活躍するも、次第に勢力を拡大して、ブリトン人の土地への征服戦争を始めるようになる。アングル人、ジュート人などゲルマン系諸族、すなわちアングロ・サクソン人の侵攻だ。

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こうしてブリテン島の中央部から追われたブリトン人たちは六~七世紀頃までにブリテン島西部に追われた。これが後のウェールズ地方となる。以後、アングロ・サクソン七王国と呼ばれる割拠の時代を迎えつつブリトン人諸国も含めて勢力争いが繰り広げられた。十世紀までにアングロ・サクソン七王国は強力なイングランド王国へと統一され、一方ブリトン人諸国が割拠したままのウェールズ地方は強い圧迫を受けるようになる。結局一時期を除いてウェールズは統一されることはなく、1283年、イングランド王エドワード1世により征服、しかし、1400年、オワイン・グリンドゥールに率いられて大規模反乱を起こして十年に渡り激しい抵抗を繰り広げたもののヘンリ5世によって鎮圧され独立の夢かなわず、1536年、ウェールズ併合法の成立で完全にイングランドの支配下となる。

しかし、1485年のヘンリ7世によるテューダー朝の成立はウェールズ人にとっては夢のような出来事でもあった。ヘンリ7世はウェールズ人の血を引いていたからである。彼は亡命先のフランスから兵を率いてイングランドへ上陸、リチャード3世を破って「薔薇戦争」の幕引きを行った。このとき、ヘンリ7世の軍にはウェールズの旗「レッドドラゴン」がはためき、ウェールズの人々は彼に「アーサー王」の再来の夢を見た。

本書で描かれるのが、女王ブーディカの反乱から1485年のヘンリ7世の戴冠までのウェールズ抵抗史である。六世紀、ペイドン丘の戦いでアングロ・サクソン人に大勝利を収め、後に「アーサー王」として伝説が形作られる名も知られぬ指導者。十一世紀、一時的に全ウェールズの統一に成功したもののアングロ・サクソン時代最後の王ハロルド2世によって滅ぼされる全ウェールズの王グリフィズ・アプ・サウェリン。十二世紀、ウェールズ教会の独立を求め戦った聖職者ジェラルド・オブ・ウェールズ。十三世紀初め、イングランドの侵攻を退けウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)を称してウェールズに封建体制を築いた大サウェリンことサウェリン・アプ・ヨーワース。十三世紀末、葛藤の果てにイングランドの征服を受け入れ、そして自らは激しく散った最後のサウェリンことサウェリン・アプ・グリフィズ。十五世紀初め、ウェールズ全土で起きた反乱を指揮して、反ランカスター王家諸侯とも結び、一時は独立まであとわずかだったオワイン・グリンドゥール。グリンドゥールの反乱の指導者の一族だったテューダー家が三代かけてイングランド宮廷で地位を築き薔薇戦争の動乱の中で王位継承権を獲得するまでになった最後の希望ヘンリ・テューダー。

グリンドゥールの反乱については以下の記事で少し詳しく紹介している。

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あまりウェールズ史にもなじみのない人でも、本書はとても面白く読めて、ウェールズ史の入り口としてじつにお勧めである。著者桜井俊彰氏はこれまでもブリトン人やウェールズ史を中心に多くの一般向け歴史読み物を多く出していて、さながらウェールズ史の伝道者のような立場を国内で築いている。とても貴重な書き手である。

ところで、ウェールズ中世史をヘンリ7世の戴冠までで切ると確かに夢がある。幾度も幾度も負け続け苦杯を嘗めてきたウェールズ人がまさかの大逆転でイングランドの王座を獲得して英国史上でも実に華々しい王朝であるテューダー朝を創始するからだ。しかし、本書からもう少し歴史を未来に延ばしてウェールズ史を見ると、これは儚い夢であった。

彼と彼の後継者はウェールズ人として統治するのではなく王として統治した。ヘンリ7世の時代は多少の特権が認められてある程度融和政策が図られたが、即位前ウェールズ人に対して彼が約束した隷属からの解放の公約は実行されなかった。1536年の併合法以降、ウェールズは再び苦しい被支配者の立場へと追いやられ、ウェールズの苦境は近代まで続くことになる。後に、エリザベス1世死後、スコットランド王ジェイムズ6世がスコットランド王とイングランド王の同君連合君主ジェイムズ1世として即位するが、彼と彼の後継者もまたスコットランド人として統治するのではなく王として統治した。おそらく王とはそういうものなのだろう。

千年に渡る敗北の歴史の果てに、中世ウェールズの人々が見た、伝説のアーサー王復活の夢を十分に堪能できる一冊だ。本書からウェールズ史へ入って、ウェールズ近世・近代史へと進むと、本書で鮮やかに描かれたアーサー王復活の夢が「邯鄲の夢」であったことを噛みしめることになる。勝者の軍ではためくレッドドラゴンの切なさよ。

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参考書籍

・青山吉信・飯島啓三・永井一郎・城戸毅編著『イギリス史〈1〉先史~中世 (世界歴史大系)』山川出版社,1991年)
・平田 雅博 著『ウェールズの教育・言語・歴史―哀れな民、したたかな民』(晃洋書房,2016年)

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