『ブルボン朝 フランス王朝史3 (講談社現代新書) 』佐藤賢一 著

『カペー朝』(2009年)『ヴァロワ朝』(2014年)に続く佐藤賢一氏のフランス王列伝「フランス王朝史シリーズ」完結編。

「カペー朝―フランス王朝史1 (講談社現代新書)」佐藤賢一 著
ゲルマン系諸民族の侵攻の中で崩壊した西ローマ帝国はしばしの混乱の後、フランク王国によって再統一され、カール大帝(シャルルマーニュ)の時代に最盛期を迎えた。しかし、それも長くは続かず、その後の度重なる内紛とヴァイキングの侵攻などを経てまず三分...
「ヴァロワ朝 フランス王朝史2 (講談社現代新書)」佐藤賢一著
「カペー朝―フランス王朝史1 (講談社現代新書)」に続く作家佐藤賢一氏によるなかなか続編ブルボン朝が出ないフランス王朝史シリーズ第二弾。最近書店で佐藤氏の新刊「テンプル騎士団 (集英社新書)」見かけて笑った。カペー朝→ヴァロワ朝ときてまたカ...

日本語で読める海外の王・君主たちの列伝は、軽いまとめ程度の書籍であれば少なくないが、ある程度史料に基づいてまとまった内容の本になると意外と貴重だ。英国王であれば発売以来約三十数年、未だ森護 著『英国王室史話』(1986年)が現役だし――そろそろ全2~3巻ぐらいのヴォリュームで最新動向踏まえた新たな英国王列伝誰か――、神聖ローマ皇帝だとハプスブルク家以降はともかく、最初のオットー1世から帝国が解体するフランツ2世までの全皇帝をまとめた本ということになれば見あたらなくなる。

意外とニーズがありそうで出版されにくいジャンルである海外君主列伝もので、ユーグ・カペー以来の歴代フランス国王を網羅したこのシリーズはおそらく今後も長く読み継がれ参照される本になるだろう。

ブルボン朝の君主たちは実に華やかだ。一般的にフランス王と言われて思い浮かぶのはルイ14世とルイ16世の二人なのではないかというぐらいに「フランス王」のイメージはブルボン朝の五人の王が担っているように思える。しかし、カペー朝、ヴァロワ朝ときてブルボン朝へといたる流れの中で見ると、むしろブルボン朝こそ特殊である。軽い神輿として実権なく担ぎ上げられただけのユーグ・カペーから血で血を洗う内戦を制したアンリ4世まで、フランス王たちは皆戦場を駆け巡り、有力諸侯の狭間で揺れ動きながら、文化や教養は二の次で、常に死力を尽くして生き残りを図ってきたサバイバル政権だった。

フランス王は権威と権力とをゆっくりとした歩みで確立していったが、それは常に突き崩される危機と背中合わせだった。その危機をもたらすのは諸侯であったり、民衆であったり、外敵であったり、あるいは宗教であったりした。統治機構を整え、領土を広げ、諸侯や外敵の力を殺ぎ、カトリック信仰の体現者としての王として自らを位置付け、民衆の支持を集めることに尽力したが、国土を統一し王権を確立して、全てをクリアしたはずのヴァロワ朝はその末期、全ての矛盾が噴出して混乱に陥った。

ブルボン朝初期のアンリ4世、ルイ13世はともに王権の確立に忙殺されたが、未だヴァロワ朝以来の危機は内在していた。そこで、ルイ14世はこれらのフランス王権の脆弱性を解決する手段を自らの存在に見出した。

『ひとつには戦争だ。王はフランスの栄光を高めるために戦う。戦勝の触れを全土に鳴らして、フランス人でよかった、こんなに強い国に生まれてよかったと思わせたのだ。

もう一つが文化である。フランスの栄光を高めるために、王はフランスの文化を高め、それを自らに集める。フランスには息を呑むばかりに豪華な建物がある。フランスには恍惚となるような芸術がある。面白い文学も、最先端の学問も、美味しい食事も、憧れのファッションも、まさに魂を奪われるような文化が、これでもかとフランスには満ちている。ヴェルサイユ宮殿を一目瞭然わかりやすい広告塔に用いながら、ルイ十四世はフランス人でよかった、ああ、こんな素晴らしい国に生まれてよかったと、フランスに暮らす人々に思わせたのだ。

(中略)

かくてフランスは霊感の源泉となる。その栄光は神のそれに勝るとも劣らない。かくて意識的中央集権を図ることで、フランス王はフランスという国の中身を、地理的中央集権に近づけていく。どうやらこれが、「絶対王政」のメカニズムということらしい。』(257-258頁)

「絶対王政」とは、近世ヨーロッパで常備軍と官僚制によって中央集権を成し遂げた政体と教科書では教えられるが、システムとしての絶対王政を成り立たせていたファクターとしての、「意識的中央集権」という表現を使ったフランス人意識の誕生について、かなり上手い解説だと思う。絶対主義がフランス王権の絶頂期をもたらしつつ、国民国家を準備していくという伏線の描き方は、小説家らしい上手さというところか。

ブルボン朝の華やかさという点でいうと、宮廷を彩る女性たちの活躍もまた挙げられよう。カペー朝もヴァロワ朝も女性たちが前面に出てくることは少なかった。カペー朝時代だと、ルイ7世妃で後にイングランド王ヘンリ2世妃となったアリエノール・ダキテーヌ、ルイ9世の母として幼少期の聖王を支えたブランシュ・ド・カスティーユ、フィリップ4世妃のジャンヌ・ド・ナヴァール。ヴァロワ朝時代だと百年戦争期にシャルル7世を支えた義母ヨランド・ダラゴンと、最末期、混乱のヴァロワ朝に君臨したカトリーヌ・ド・メディシスぐらいだろうか。

これが、ブルボン朝になるともう数えきれない。アンリ4世の前妻王妃マルゴ、後妻でルイ13世の摂政となりリシュリュー枢機卿を見出し、後に息子と激しく争ったマリー・ド・メディシス、ルイ13世妃で幼いルイ14世を支えたアンヌ・ドートリッシュ、ルイ14世の政治にもかなりの影響力があったと言われる後妻マントノン侯爵夫人、無類の女好きで知られたルイ15世の愛妾たち、特に政治に無関心な王に代わって事実上国政を主導したポンパドゥール夫人、そして悲劇のルイ16世妃マリー・アントワネット・・・本書でも皆所狭しと大活躍する。

本書は完結編ということもあってかかなり力入っていることが伝わってくるが、特に少年ルイ14世とマザランの厚い信頼関係の描写は実にエモかった。もう一つ、本書で力入っていると思われたのは、ルイ16世の再評価で、温厚で優柔不断なルイ16世が、革命に直面して機略縦横、生き残りのために持てる力を最大限発揮して、そして敗れ去っていく姿が感慨深かった。

『革命という未曽有の大事件に見舞われながら、それに王として立ち向かった。果敢に戦いを挑み、及ばずに敗れたとはいえ、戦い終えたルイ十六世には、悔いのような感情はなかったのではないか。
実際のところ、例えば祖父のルイ十五世では、ここまでは戦えなかったろう。ルイ十四世とて、どこまでやれたかわからない。ルイ十三世では恐らく話にならなかったろう。切り抜けられたかもしれないと思わせるのは、アンリ四世ぐらいのものであり、してみるとルイ十六世はブルボン朝屈指の力ある王だったことになる。そのことは実感として、自身が最もわかっていたに違いないのだ。』(390-391頁)

ブルボン朝だけで終わらず、その後の復古王政・七月王政時代の三人の王についても簡単に記述がある。

『王政から共和政への橋渡し、フランス人が自信をもって共和政を行えるまでの、中継ぎ、あるいは一時避難というのが、当人の意図する意図しないにかかわらず、したがってルイ・フィリップのみならず、三王の復古王政に求められた役割だったのかもしれない。』(432頁)

ところで、この復古王政について、著者は全般的に厳しい評価を与えていて、ルイ18世についても「寵臣政治」「丸投げ」とつれないが、おそらく一般的なフランス史における評価と乖離があるように思えるので少し補足しておきたい。

最近邦訳も出たギヨーム・ド・ベルティエ・ド・ソヴィニー著『フランス史 (講談社選書メチエ) 』(講談社,2019年)はルイ18世の治世について『ブルボン王朝による王政復古は一八一四年、かつての君主政原理と一七八九年の革命原理とのあいだの妥協の産物として誕生した。ルイ十八世は慎重に行動し、この曖昧な政治体制の基盤を固めるとともに、百日天下によって生じた国家の不幸を修復することに成功している。』(ソヴィニー405頁)『ルイ十八世が一八二四年に他界したとき、フランスは平穏と秩序とともに、真の経済的繁栄を取り戻していた。』(ソヴィニー417頁)という。またパトリス・ゲニフェイ編『王たちの最期の日々 下』(原書房,2018年)のルイ18世の項を執筆したダニエル・ド・モンプレジールは以下のように総括する。

『ルイ一八世について、歴史が定着させたイメージは以下のとおりである。食いしん坊で、お人よしそうな外見だがじつはさにあらず、自分のステータスにひどくこだわり、政治的に手練れだが、逆境にあうと少々意気地なし。ルイが自分をむしばむ病気と闘いながらもナポレオン帝政が残した損害を修復し、疲弊して信用を失い、すべての面で後れをとった国を立てなおさねばならなかったこと、一八一四年六月四日の憲章と議会政治および初の自由権の導入によって近代フランスの基礎を築いたことを、後世は忘れがちである。』(モンプレジール115頁)

おそらく佐藤賢一氏が描くほどには無能でも怠惰でも無い、というのが一般的な評価ではないだろうか。

もう一つ、ルイ18世について、佐藤賢一氏は『ルイ十八世は男色家で、したがって子供がいない』(416頁)としているが、男色家であったかどうかはわからないが、少なくとも子供がいないのは同性愛のせいではない。戴冠前に亡くなった妻マリー・ジョゼフィーヌ・ド・サヴォワとの夫婦仲はかなり悪かったが、1774年と1781年の二回、妊娠し流産に終わっている。

また、ルイ18世は公妾を持った最後のフランス王としても知られる。即位後、ルイ18世はデュ・ケイラ伯爵夫人ゾエ・タロンという女性を傍に置いていた。病がちの老王ルイを甲斐甲斐しく世話をし、話し相手として非常に寵愛されたという。

『ゾエは老王を楽しませ、憂いごとから気をそらせ、喜ばせ、やさしく愛撫し、一線を決して超えない官能の喜びと、儀典にうるさい家族や側近のかたくるしい面々からは得られない甘い雰囲気で老いの日々にうるおいをあたえた。人の噂にも、ルイ亡きあとの自分の立場にも無関心なまま、ゾエはルイが死ぬまで傍らにつきそった。』(モンプレジール109頁)

復古王政・七月王政の三人の王については限られた紙幅ということもあるだろう、かなり駆け足になっているが、復古王政以後の王たちにもいろいろ詳細なドラマはあるので、補足として紹介しておこう。

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参考文献・リンク

・柴田三千雄編『フランス史〈2〉16世紀-19世紀なかば (世界歴史大系)』(山川出版社, 1996年)
・ギヨーム・ド・ベルティエ・ド・ソヴィニー著『『フランス史 (講談社選書メチエ) 』(講談社,2019年)
・パトリス・ゲニフェイ編『王たちの最期の日々 下』(原書房,2018年)
Marie Joséphine of Savoy – Wikipedia

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