『聖人と竜―図説 聖ゲオルギウス伝説とその起源』髙橋 輝和 著

数多いるキリスト教の聖人の中でも竜殺しの伝説でひときわ異彩を放つ聖ゲオルギウス。

イングランドやジョージア(旧グルジア)、モスクワの守護聖人として、また元々スペイン・カタルーニャ地方での彼の記念日から派生した本の記念日サン・ジョルディの日でも知られ、ラファエロ、ルーベンス、ギュスターヴ・モローなど西洋絵画でも多く取り上げられるお馴染みの聖人だ。最近は日本でもソーシャルゲームなどに登場して知名度はさらに広がっている。

そんな「聖人界きっての<武闘派>」の伝説がいかにして誕生し、ヨーロッパで定着したのかを多くの図版と史料ともに探る、多くの発見と驚きに満ちた一冊である。「聖人界きっての<武闘派>」とは本書の帯の惹句だが実にキャッチーで面白いフレーズだ。これ考えついただけで大勝利ではないだろうか。

ところで、聖ゲオルギウスの呼び方について、本書によれば以下の通りだ。

古典ギリシア語:ゲオ(ー)ルギオス
現代ギリシア語:イェオルイオス
ラテン語:ゲオ(ー)ルギウス
ドイツ語:ゲ(ー)オルク
ロシア語:ゲオルギイ
ジョージア語:ギオルギ
アルメニア語:ゲオルグ
シリア語:ゲワルギス
コプト語:ギルギス
英語:ジョージ
フランス語:ジョルジュ
イタリア語:ジョルジョ
カタルーニャ語:ジョルディ
スペイン語:ホルヘ

本書ではラテン語準拠でゲオルギウス表記されているが、日本語だと古典ギリシア語準拠でゲオルギオスと表記されることが多いようだ。

『第一章「聖ゲオルギウス国」の誕生』でジョージア、ロシア、英国、カタルーニャのサン・ジョルディの日から第一次世界大戦など近代戦争での聖ゲオルギウスのプロパガンダの例など近現代の崇敬のされかたが紹介される。続いて『第二章 聖ゲオルギウスの竜退治』で聖ゲオルギウスの知名度を高めた十三世紀の「黄金伝説」から始まり、古代ギリシア神話との関係や、諸地域の竜退治伝説との比較検討が加えられ、『第三章 キリストの戦士』で、ヨーロッパで一気に聖ゲオルギウス人気が高まった十一世紀の第一次十字軍以降の浸透過程について、『第四章 聖ゲオルギウスの受難と殉教』で四世紀まで遡り、竜退治伝説以前のキリスト教迫害を背景とした聖ゲオルギウスの殉教伝説の誕生と変容が描かれ、『第五章 殉教伝の歴史的実態』で、殉教伝のモデルや歴史的背景などの分析が加えられている。

本書で描かれる聖ゲオルギウス伝説の誕生過程を簡潔にまとめると、四世紀初頭のローマ帝国で起きたキリスト教大迫害を背景として、362年にアレクサンドリアで殉教した同名の司教カッパドキアのゲオルギオスの名前だけ取られ多くの殉教者のエピソードが盛り込まれたキャラクターとして四世紀後半に創作された。この殉教伝の中にゲオルギウスが迫害者に向けた「年老いた竜よ」というセリフがあり、ここからインスパイアされて、五~六世紀頃、ゲオルギウスの竜殺しエピソードが登場、十一世紀の十字軍ブームで異教徒=竜を退治するキリストの戦士として西欧での人気に火が付き、同時期に竜殺しエピソードに王女救出する設定が追加されて、現在良く知られる聖ゲオルギウス伝説が形成されていったということになる。

興味深かったのは聖ゲオルギウスの図像やコイン、彫刻などでの描かれ方が騎乗して槍で竜を攻撃するギリシア・ローマに伝統的な「グレコローマンアタック」であるという点だ。
著者によれば『聖ゲオルギウス伝説の起源がビザンティンの地中海東部地域にあったことは間違いがな』(46頁)いという。

『もしも竜退治する聖ゲオルギウス像がアジアで生まれていたとしたら、それはパルティアンショットの竜退治になっていたに違いないということです。しかしそれがグレコローマンアタックであるのは、その誕生地が地中海東部の地域であったからこそだという訳です。』(98-99頁)

聖ゲオルギウスの起源がもう少し東、小アジアやペルシアにあったなら、ゲオルギウスは槍や剣ではなく弓を使って竜退治を行っていただろうし、そうなると、西欧での爆発的人気は無かったかもしれない。

また聖ゲオルギウスの殉教伝の成立について、名前が使われたカッパドキアのゲオルギオスはアリウス派の司教であったという。このアリウス派の司教が選ばれた理由として、著者は『異教徒に惨殺されたアリオス派殉教者のアレクサンドリア総主教、ゲオルギオスをカトリック派の殉教大聖人に仕立てることによってアリオス派との融和を図り、アリオス派信者をカトリック派に取り込もうと目論んでいたのではないでしょうか』(188頁)という。またカッパドキアのゲオルギオスは背教者ユリアヌス帝の師でもあり、皇帝やその周辺の人物へのアピールにもなることもあわせて指摘している。

ローマ帝国下でのキリスト教迫害を背景として創作された残酷な殉教物語が勇ましい竜殺しの英雄伝説へと変わっていく様子はとてもダイナミックで面白い。

また、スペイン・カタルーニャで聖ゲオルギウスを祝う祝日が本を贈り合う日になった経緯も紹介されている。

『当時のカタルーニャは、スペインの中にありながら言語や文化に大きな独自性を有していたにもかかわらず、独裁者フランコ総統によってスペイン語の使用が強制され、民衆文化が弾圧されていたために、禁止されたカタルーニャ語の本を贈り合ってアイデンティティーを確認し合う目的があったようです。カタルーニャ人にとってフランコは退治すべき竜だったのでしょう。』(30頁)

このサン・ジョルディの日誕生過程は聖ゲオルギウス伝説の原点である殉教伝の形成過程を彷彿とさせていて興味深い。聖ゲオルギウスには迫害への抵抗のアイコンという顔が確かにあるようだ。一方で、異教徒や外敵との闘争、戦いのアイコンとしての機能もまた備えており、十字軍から世界大戦まで多くのプロパガンダで利用され、中世騎士から近代戦の兵士まで数多の人々を鼓舞し続けた。

ヨーロッパの文化に深く根付いている聖ゲオルギウス伝説について詳しく理解する上でとてもお勧めの一冊である。

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聖ゲオルギウスについては以下の記事でも簡単に紹介した。

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