『百年戦争-中世ヨーロッパ最後の戦い (中公新書 2582) 』佐藤猛 著

ヨーロッパ中世後期、フランスを主戦場にして戦われた百年戦争(1337~1453)について、近年の研究動向を充分に盛り込んでその全体像を描く、一般向けの概説書である。2020年3月17日発売。新書サイズで読める百年戦争の通史として実にわかりやすく要点が抑えられていて、今後、長く読み継がれる定番になるだろう。

ヨーロッパ史上の戦争としてはジャンヌ・ダルクの活躍もあって「百年戦争」はおそらく日本で最も知名度がある出来事だろう。著者は「しかし、彼女(引用者注:ジャンヌ・ダルク)が活躍した戦争の名をすぐに答えることのできる者は、どれほどいるだろうか」(はじめに i)と危惧するが、大丈夫。映画からアニメ・ゲームまでジャンヌ・ダルクの知名度は過去最高に高まっているし、「百年戦争」の響きのキャッチーさもあって「百年戦争」自体の知名度も抜群だ。アストラギウス銀河を二分した方で知った人は多いはず(自己紹介)

ただし、それがどのような戦争であったか?になると、とたんに理解度が怪しくなっていく。「イギリス」王がフランス王位を狙って起こしたんでしょう?とかジャンヌ・ダルクの活躍でフランスが勝ったんでしょう?黒死病(ペスト)が流行ったよね、ぐらいのアバウトな理解にとどまっているように思う。百年戦争期の人物の知名度としては、おそらくジャンヌ・ダルク筆頭に、以前ならエドワード黒太子だったろうが、今はジル・ド・レが並び、二人の他にエドワード黒太子とベルトラン・デュ・ゲクランを知っているだけでも随分と詳しい人の部類ではないか。ジャンヌが会ったフランス王のシャルルは何世だっけ・・・みたいになっている人多数だと思う。あとはシェイクスピアの知名度でヘンリ5世か。

高校世界史だと百年戦争は1339年から1453年、フランドル地方における羊毛取引を巡る英仏間の対立とフランス王位継承権が原因で起こった戦争として教えられる。しかし、このような見方は、百年戦争研究上は半世紀以上前に退けられている。

『日本の高校世界史などでは、仏王位継承とフランドルの羊毛取引をめぐる問題が原因として強調されることが多い。これに対して、欧米では一般的に、戦争の根本原因は、英大陸領をめぐる積年の封建的主従関係の存在だと考えられている。仏王位継承という王朝の問題は開戦の口実にすぎなかったといわれる。現在では、英大陸領の問題がなぜ十三世紀末から十四世紀前半に熱を帯びたのかが、ヨーロッパ規模での経済成長の停滞や国家の誕生といった文脈のなかで改めて考察されている。』(25頁)

ここでいう「英大陸領」というのが、現在のフランス南西部、スペインとの国境近辺にあたるアキテーヌ地方である。ワインの名産地ボルドー市を中心都市として、当時はアキテーヌ公領と呼ばれていた。

アキテーヌ公領問題の前史

百年戦争を語るときには1066年まで遡るのが常である。この年、フランス北部の有力諸侯ノルマンディー公が海を渡ってイングランドへ侵攻し、イングランド王ウィリアム1世として即位した。歴史上ノルマン・コンクエストと呼ばれる事件だ。当時、フランスはパリ周辺を領するに留まる弱体なフランス王に対して各地の有力諸侯が自立して覇を競う群雄割拠の戦国時代を迎えていた。イングランドと言う資源と兵員の供給地を獲得したノルマンディー公(この体制を歴史学上「アングロ・ノルマン王国」と呼ぶ)は大陸での戦争を優位に進めた。

アングロ・ノルマン王家が断絶するとフランス中西部の有力諸侯アンジュー伯アンリがノルマンディー公領、イングランド王国を支配下に収め、婚姻によってフランス南西部アキテーヌ公領を手に入れて、1154年、ブリテン島からフランスの三分の二を制するアンジュー帝国を樹立する。アンジュー伯アンリはイングランド王としてはヘンリ2世と呼ばれる。ヘンリ2世はフランス王を宗主として臣従礼を捧げることで、フランス王から独立した勢力を築いた。同時代の平清盛政権や鎌倉幕府を思い浮かべればいいかもしれない。清盛も頼朝も天皇の臣であったが、その独立性に濃淡あるとはいえ事実上自立した政権だった。

しかし、フランス王はフィリップ2世の代に力を蓄えて、1204年、ノルマンディー、アンジューといった北フランスを一気に征服し、アンジュー帝国は属領であるイングランドとフランス南西部のアキテーヌ公領を残して大陸からの撤退を余儀なくされる。以後、アンジュー家はイングランドを地盤としつつ父祖の地であるアンジュー、ノルマンディー奪還を目指してフランスへの侵攻を繰り返すことになった。こうしてフランスに残るイングランド王の領地がアキテーヌ公領である。

・・・長いよ。でも、この経緯を前提の知識としておかないと百年戦争がなんだったのかがわからない。本書では序章で丁寧に解説されているので安心してほしい。

英仏対立だけで見ない百年戦争史

百年戦争の勃発原因は、このアキテーヌ公領を巡るフランス王とイングランド王の長きに渡る対立に始まる。イングランド=アンジュー王家とフランス王家の対立は1259年、パリ条約でイングランド王がフランス王に臣従礼を捧げることで一応の決着を見たが、この臣従礼が問題で、臣従礼には形式的なものと義務を伴うものがあって、この臣従礼の実態を巡って、アキテーヌを独立領のまま維持したいイングランドと支配を浸透させたいフランス王との間で火花を散らし、百年戦争以前にもガスコーニュ戦争(1293~1303)、サン・サルドス戦争(1324~25)とアキテーヌを舞台にした二度の戦争が起こっている。その三度目の戦いとして百年戦争は始まったのである。

前回・前前回同様すぐ終わるはずだったが、アキテーヌ公領問題に臣従礼の問題、スコットランド問題、フランドル問題、王位継承問題、その他もろもろの問題が複雑に絡み合い、その後、前半期に起こったブルターニュ公位継承戦争とカスティーリャ王位継承戦争が火に油を注ぎ、イングランド王家とフランス王家の対立を軸にフランス国内の内乱と諸侯間の戦争が展開、百数十年に渡って戦争と和議とを数えきれないほど繰り返し、中小領主からヨーロッパ諸国までを巻き込んだ大戦に発展したのが「百年戦争」である。

百年戦争がシンプルな英仏対立でないことは本書を読めばわかる。というか、そもそも我々が言う「英(イギリス)」「仏(フランス)」がこの時存在していたのだろうか。否である。著者は百年戦争の結果として『英仏という交わることのない社会が出現した』(269頁)ことを、百年戦争を描くことで見出していく。

『歴史研究はこれまで、百年戦争のさまざまな側面を明らかにしてきた。剣、矢、槍、弓から大砲へ、戦局の背後にある武器や戦術の発展、封建社会の崩壊がもたらした経済と政治の危機、税制を中心とした統治制度と国民意識の形成、など。近年では、国家や国民が生まれる以前の西欧中世社会について、人々の帰属意識や共同体のあり方が改めて探究されている。そのなかで、百年戦争はイギリスとフランスの二国の戦争とは考えられていない。むしろ、戦争を通じて、国境と愛国心を備えた二つの国家が生まれたとされる。そうした見方は日本でも知られつつある。』(はじめに)

群雄割拠の百年戦争

これまでの英仏対立という見方に代わって、著者は百年戦争が特に1350年代以降、『ヴァロワ王権に対するフランス地方貴族の大反乱』(88頁)という面を強く持つようになることを指摘する。ここで登場するのがエタンプ伯シャルル、シャルル・ド・ナヴァールである。イベリア半島のナバラ王位を継承したためナバラ王カルロス2世と呼ばれる。王族でもあった彼は、フランス王ジャン2世との対立からフランス王家から離反してイングランドと同盟を組み、フランス王位継承権を主張して戦局をひっかきまわした。彼と同盟を組むのが、地方領主であるアルクール伯家のゴドフロワ・ダルクールである。彼らのトリックスター的な活躍は、実に楽しい。

中小領主が英仏対立の中で揺れ動き、戦況を引っ掻き回す中で、クレシーの戦い、ポワティエの戦いの連敗で存亡の危機に立ったフランス王シャルル5世賢明王は弟たち王族に次々と大領を与えた。次弟ルイはアンジュー公、三弟ジャンはベリー公、末弟フィリップはブルゴーニュ公、王妃の兄ブルボン公ルイ2世も周辺所領をとりまとめて大規模領主へ飛躍する。いわば王室の藩屏としての役割を与えられた彼らの領地は親王領と呼ばれ、また彼ら王族諸侯を特に白ユリ諸侯と称される。ここは著者の前著『百年戦争期フランス国制史研究』(北海道大学出版会,2012年)に詳しいので、興味がある人はぜひ読んでみて欲しい。研究書である同著のわかりやすいまとめが本書の第三章である。

この、二大勢力の戦乱の中で割拠する中小領主の動向が戦況を左右し、後に王家に縁が深い少数の独立大規模領主へと収斂していく過程は日本史でもお馴染みの展開だ。北条武田上杉織田徳川三好毛利島津・・・と同じように、イングランド王兼アキテーヌ公、アンジュー公、ベリー公、ブルゴーニュ公兼フランドル伯、ブルボン公、ブルターニュ公、ナバラ王兼エタンプ伯、オルレアン公、アルマニャック伯、フォワ伯ら主要アクターが台頭してスコットランド王や神聖ローマ皇帝ら周辺諸国が密接に絡み合いつつ、自勢力の拡大と自立を最優先課題として、しのぎを削るようになる。本書で描かれるのはそういう群雄割拠の百年戦争史である。

百年戦争はいつ終わったのか問題

百年戦争史研究において非常に大きなテーマとなっているのが、百年戦争はいつ終わったのか?である。朝治啓三,渡辺節夫,加藤玄 編著『中世英仏関係史 1066-1500:ノルマン征服から百年戦争終結まで』(創元社,2012年)城戸 毅著『百年戦争―中世末期の英仏関係 (刀水歴史全書)』(刀水書房,2010年)など近年の百年戦争期の概説書でも繰り返し論じられていて本書でも整理されているが、通説では1453年、フランス軍によるアキテーヌ公領併合をもって終結となる。しかし、百年戦争が何であったかを考えるならば議論の余地は大いにある。

一つには1453年のフランスによるアキテーヌ公領併合である。そもそもアキテーヌ公領を巡る対立が原因なのだから、以降二度とイングランド領に戻らなかったことを考えると、1453年は最有力であり、本書もこれを終期としている。

しかし、百年戦争のもう一つの争点としてフランス王位継承権がある。エドワード3世以来イングランド王は交渉の手段としてフランス王位継承権を主張した。十四世紀、百年戦争前半はあくまでアキテーヌ公領の保持を優先してこの戦争の大義名分として語るに留まっていたが、これが十五世紀になると、イングランド王ヘンリ5世は本気でフランス王位獲得を狙い、1420年のトロワ条約でこれを実現する。彼はすぐに夭折したため王位に就くことはなかったが、彼とフランス王女との間に生まれたヘンリ6世はイングランド王兼フランス王に即位した。これに対して、廃嫡された王太子がフランス王シャルル7世を称して二人のフランス王が対立する。これがジャンヌ・ダルク登場期の展開である。つまり、後半はまさにフランス王位が争点となっていた。イングランド王はアキテーヌ公領を失ったとはいえ、フランス王を1802年まで自称し続ける。イングランド王によるフランス王位請求が実効性を失うのはいつだろう。少なくともテューダー朝時代までは対仏戦争で度々持ち出されることになる。

また、1453年にアキテーヌ公領を失ったとはいえ、実は英仏間の戦争が終結したわけではなく、その後もたびたび小競り合いが繰り返されているし、何らかの休戦・終戦条約が取り交わされたわけでもない。1453年から直近の英仏間の休戦条約としては、1475年のヴィッキニー条約である。これは1475年、ヨーク朝イングランド王エドワード4世がブルゴーニュ公シャルルと結んでフランスへ侵攻した際の英仏間の休戦条約であった。これを終期とする説が少数だがある。もう一つ1492年、テューダー朝イングランド王ヘンリ7世がフランス王位を請求してフランスへ侵攻した際に結ばれたエタープル休戦条約がある。このエタープル休戦条約を百年戦争の終期とする説が実は、1453年説と並んで有力だ。

ここで、百年戦争期の展開を見直すと、前述の通り有力諸侯が台頭し、やがてフランス王家が強力な集権的体制を築いていく過程として見ることが出来る。百年戦争後半は、イングランド王にしてフランス王であるランカスター王家のヘンリ6世政権とフランス王シャルル7世政権、両派の間でキャスティングボートを握るブルゴーニュ公国の三勢力が鼎立し、ブルターニュ公が中立外交を展開するという情勢であった。百年戦争が独立した集権的な大規模諸侯の台頭とフランス王によるフランスの統一の過程として見るなら、1453年はまだまだその途中であり、特にブルゴーニュ公国の繁栄をみると、百年戦争は全く終わった気がしなくなる。1477年のブルゴーニュ公国の滅亡によって遺領を分け合った二つの勢力がフランス王家とハプスブルク家であり、ブルゴーニュ公国の滅亡がヨーロッパ史における新たな二大勢力の台頭をもたらすことになる。

『ブルゴーニュ公国の解体は前述のように一四七七年、アンジュー公国も同じく男子不在とともに、娘マルグリットの婚姻放棄によって一四八〇年にルイ十一世に遺贈された。ブルターニュ公国のフランス王国編入は一五三二年だが、仏王家との縁組が成立した前述の一四九一年にはフランスの影響下に入った。オルレアン公領は、当主ルイが一四九八年に王に即位したことで王領と合体した。ブルボン公領が、当主シャルル三世の反逆によって王に没収されたのは一五三一年である。』(253-254頁)

一貫してフランス王家に忠実だったアンジュー、オルレアン、ブルボンを除くとしても、百年戦争の過程で誕生し、フランス王に臣従しなかったブルゴーニュ公とブルターニュ公という二大独立勢力の存在をどう考えるか。そこで、両公国の滅亡までを射程とし、英仏間の長期的な和平を実現した1492年のエタープル休戦条約を終期とする説が有力となるわけだ。1492年は他にもレコンキスタの終結、大航海時代の開幕と目白押しの年である。ただ、これは百年戦争とは別のフランス国土統一の過程として見ることも出来る。現状、1453年を終期とする点で大勢は変わらないが、百年戦争がいつ終わったか?は、百年戦争とは何だったか?を考えるための最大の論点となる。

もし、「百年戦争」にぼんやりとしたイメージしか抱いていなかったのであれば、本書を読むことで、「百年戦争」への理解は格段に変わることは間違いない。もちろん、主な会戦やジャンヌ・ダルクら主要人物の描写も充実しており、人と戦争を目的として読んでも十分楽しめる。新書価格でこの内容は、正直お釣りが来るでしょ・・・なんだか「お前、百年戦争の話になると早口になるな」的な書評になった感すごいが、非常にお勧めの一冊である。

著者の佐藤猛氏があとがきで書いておられる今後の構想も実に面白そうなので、ぜひ実現していただきたいところですが、あとがきによると最近大病をされていたそうで、くれぐれも無理せずご自愛くださいますよう。

本書の目次
はじめに
序 章 中世のイングランドとフランス――一〇六六~一三四〇年
第一章 イングランドの陸海制覇――一三三七~五〇年
第二章 フランス敗戦下の混乱――一三五〇~六〇年
第三章 平和条約をめぐる駆け引き――一三六〇~八〇年
第四章 教会大分裂下の休戦と内戦――一三七八~一四一二年
第五章 英仏連合王国の盛衰――一四一三~三六年
第六章 フランス勝利への戦略――一四三七~五三年
終 章 百年戦争は何を遺したのか

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