『剣と清貧のヨーロッパ – 中世の騎士修道会と托鉢修道会』佐藤彰一 著

禁欲生活を送り、自己の内面を見つめて苦行の果てに「完徳」を理想とする修道士たちが集団で暮らす修道院は六世紀頃からヨーロッパ各地に広がって、キリスト教徒の理想的生活の体現者と見られていた。

しかし、十二世紀頃、異教徒との聖戦を唱えた十字軍思想を背景に戦いの日々を送る「騎士修道会」と、清貧生活に回帰しながら経済力と社会的地位を得て中世後期の西ヨーロッパ世界を動かす「托鉢修道会」というこれまでの修道院の歴史上異質とも思える二つの修道会が登場する。この二つの修道会はいかにして生まれたのか、十二世紀から十四世紀の修道院制度の変容と中世西ヨーロッパ社会を描いた、新書としてはかなり骨太な一冊である。

西欧中世史の第一人者である著者が中公新書で出版している『禁欲のヨーロッパ』『贖罪のヨーロッパ』に続く三巻目で、四巻目の『宣教のヨーロッパ』、五巻目の『歴史探究のヨーロッパ』と続く修道院史シリーズの丁度真ん中にあたる。この西洋中近世史という比較的不人気なジャンルで専門性高すぎるシリーズを刊行する中公新書、本当に偉い。他の巻の感想も別途書くつもりだが、ひとまず本書から。

騎士修道会の成立は十字軍運動と密接で、十~十一世紀にかけて欧州各地で展開したキリスト教徒同士の戦いを抑止する「神の平和運動」の帰結として、キリスト教の戦士としての「騎士」が身分として確立していく。神の平和のために戦うことが大義名分として登場するのと、イスラーム勢力に圧迫されたビザンツ帝国からの救援要請にこたえて十字軍遠征が提唱されるのとがほぼ同時に展開して、騎士たちに贖罪と引き換えの十字軍出征が勧奨されることとなった。このとき非常に好戦的な檄文を書いた聖ベルナールをイデオローグとして、最初にして恐らく最も有名な騎士修道会「テンプル騎士修道会」が誕生する。

本書でも引用される聖ベルナールの「新しい騎士を讃えて」は何度読んでも激しい。

『(前略)ああ、真に聖にして、神を信頼する兵士よ。キリストの騎士は安心して人を殺し、より穏やかに自分も死を受け入れる。死んだとしても、それは自分のためであり、人を殺すのは、キリストのためである。実にかれが剣を取るのは、理由があってのことである。かれは神の奉仕者であり悪をなすものを罰し、善をなすものを祝福する。悪をなすものを殺しても、それは殺人ではなく、そうではなく、いわば悪の誅殺をなすのである。(後略)』(20頁)

本書では騎士修道会として、「テンプル騎士修道会」「ホスピタル修道会」「ドイツ騎士修道会」とイベリア半島のレコンキスタ運動に従事した騎士修道会として「アルカンタラ騎士修道会」「サンチャゴ騎士修道会」「星辰騎士修道会」を中心に他いくつかの修道会が取り上げられている。

テンプル騎士修道会、ホスピタル騎士修道会、ドイツ騎士修道会いずれも戦争継続のためにはその財源確立が必要で、その過程で非常に活発な経済活動を繰り広げた。テンプル、ホスピタルともにヨーロッパ全土に拠点を築いて、十字軍遠征する世俗領主や王に資金を貸し付けて財をなしていく。テンプル騎士修道会は為替手形を発行し、フランス財政を事実上管理して国際金融を手掛けている。また、ドイツ騎士修道会は十字軍遠征が失敗に終わった後、十四世紀から北方十字軍として知られる東欧への征服活動に従事するが、ポーランドのマリエンブルク(マルボルク)を拠点としてプロイセンを領土化し、やはり経済活動を行って、新興のハンザ諸都市を凌ぐ繁栄を見せる。これらの過程が丁寧に描かれているのがとても面白い。

ドイツ騎士修道会は多くの所領をもって農場を管理して穀物栽培と牧畜を行い、工房を造って手工業製品を造らせた。また貨幣も造幣して流通させてすらいる。中継貿易が中心だったハンザ諸都市に対し、ドイツ騎士修道会は『自らの組織が生産した物資を、あるいは自国の領土として作り出したものを売却した』(103頁)ことが大きな差異であり、この経済活動で得た莫大な利益が戦費へと費やされたのだという。

それだけに「タンネンベルクの戦い(1410年)」は確かにヨーロッパの歴史を変えるターニングポイントとなった会戦だったのだろうことが改めて理解できる。この敗戦のあとドイツ騎士修道会は急速に経済力を落とし、十六世紀に解散してプロイセンは世俗国家として再生される。ドイツ騎士修道会からプロイセン公国への転換がどれほど大きかったかは、世俗化した後の「プロイセン」がどうなったかに思いを馳せるだけで充分だろう。

また、レコンキスタを戦ったイベリア半島の諸騎士修道会の展開も非常に面白い。イスラーム勢力との戦いの中で王権と密接に結びついて、やはり経済力を蓄えつつ、存在感を発揮するが、十四世紀、地中海帝国の夢を追った「アラゴン連合王国」とともに海外進出を図るようになり、十五世紀には「地理上の発見」で非常に重要な役割を担う。ポルトガル王ジョアン1世の王子エンリケは1420年、主キリスト騎士修道会の総長となり、同騎士修道会をアフリカ探索に派遣する。エンリケ航海王子による歴史的発見の立役者となった。また、ヴァスコ・ダ・ガマもサンチャゴ騎士修道会、主キリスト騎士修道会の幹部の一人だった。

十字軍思想の形成、金融技術の発展とヨーロッパ経済の活性化、植民と征服によるヨーロッパ世界の拡大、そして大航海時代の幕開けと騎士修道会の存在感は絶大で、その過程が最新の学説を整理しつつ語られているのが、半分(五章まで)である・・・まだ半分なところがすごい。

「托鉢修道会」は世俗化する社会と腐敗が進む教会へのカウンターとして極端な清貧生活を送ることを目的として、やはり十二世紀に誕生した。本書で取り上げられるのは聖フランチェスコによる「フランチェスコ修道会」と聖ドミニクスによる「ドミニコ修道会」そして富裕な女性たちを中心として繁栄したベギン派の三つの運動を中心として描かれている。

聖フランチェスコの生涯は改めて読んでも抜群に面白い。富裕な商人の家に生まれ、騎士を目指して各地の戦場に赴くが体調を崩して望みが叶わず、一転して全財産をなげうって極端な清貧生活を送るようになる。貨幣経済と学問を嫌悪してひたすら内省の日々を送りメンバーにも個人財産の放棄を課しながら、彼が創始したフランチェスコ修道会は彼の死後莫大な富と多くの学識者を輩出してヨーロッパ社会に確固たる存在感を発揮する勢力に成長する。やがて彼ら托鉢修道会は世界へ宣教の旅に出ることになるだろう。

他のドミニコ修道会やベギン派の活動もあわせて、清貧を旨とする托鉢修道会の登場と発展が、『托鉢修道会は貨幣流通に依存する組織であった』(168頁)として当時のヨーロッパにおける都市社会の誕生と経済活動の活発化と表裏一体であることが論じられていて、非常に面白い。都市社会が生んだ様々な軋轢と矛盾が清貧生活への憧れを産み、一方で貨幣経済の成長が喜捨を中心とする彼らの生活を支えていく。中世西欧史の大家ジャック・ル・ゴフの『一三世紀から始まる都市化現象を計る指標として、市内に托鉢修道会の修道院が存在することを、都市化の表れとみなす仮説』(167頁)が紹介されていて、なるほどと思わされる。

現代社会まで多大な影響を及ぼすターニングポイントとなった時代が二つの修道会運動に焦点を当てることで見事に描かれていて、新書としては格段に勉強になって面白い一冊だ。中世史に興味がある人にとてもお勧め。

また、以下の著者インタビュー記事も読むとより理解が深まる。

『剣と清貧のヨーロッパ』/佐藤彰一インタビュー
十字軍に端を発する騎士修道会、アッシジの聖フランチェスコらによって創始された托鉢…

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