「グローバリゼーション-現代はいかなる時代なのか」正村 俊之 著

二〇世紀後半からあらゆる分野で国境を超えた相互依存が進んでいる。この全地球規模の現象は「グローバリゼーション」と呼ばれるが、その意味するところの曖昧さゆえに様々な使われ方をしてきている。この本では、その「グローバリゼーション」という現象について要点を端的に整理しており、その入門書としてとてもわかりやすい一冊だった。

「グローバリゼーション」に対してはその始期を巡って1)一九七〇年代に求める見方、2)近代の開幕とされる一六世紀に求める見方、3)近代以前に求める見方があるとされる。例えば狭義に捉える場合には新自由主義政策の台頭や世界的ネットワークの形成などの現代に特徴的な現象として1)を指し、3)は広義に捉えれば最大で人類の出アフリカからの人類史の全体像を「グローバリゼーション」とする見方まであるが、本書では2)の一六世紀以降のグローバルな活動の社会的基盤が整って行く過程を「グローバリゼーション」と捉えて、その十六世紀から現代までの期間を四期に分ける。

十六世紀から十九世紀にかけてのウェストファリア体制確立期、十九世紀から第一次世界大戦勃発までの勢力均衡の時期、第一次大戦勃発から第二次大戦終結までの中断期をはさんで第二次大戦終結から一九七〇年代までの戦後体制の時期、一九七〇年以降の現代とする。

ここでは本書から一九七〇年代以降の現代のグローバリゼーションの特徴について簡単に紹介する。

戦後体制を特徴づける「ブレトンウッズ体制」と、「福祉国家」と「ケインズ主義的政策」を結び付けたフォーディズムとが七〇年代に立て続けに限界を露呈する。

戦後復興の資金援助、西側陣営への軍事援助、西欧および日本の輸出増加にともなう米国の輸入増加などによって国際収支の赤字を招き、国外流出したドルが国内の金保有量を上回ることで金とドルの兌換が不可能となり、固定相場制から変動相場制への移行を余儀なくされた結果、ブレトンウッズ体制は崩壊した。

画一的な大量生産システムによって生産された生産物を国内で消費しうる国内市場の形成は、福祉国家による公共支出を通じた雇用の安定と生活保障、ケインズ主義的なマクロ政策による経済安定と有効需要の創出によって形成され、先進諸国に高度成長をもたらしたが六〇年代後半から行き詰まりを見せ始める。

『労働者の高い賃金水準は企業投資の減退と経済成長の減速に繋がり、国家の公共支出は国債の大量発行を招いた。「成長率の低下と国債の増大は、フォーディズムに特有の不況とインフレーションとの結合(「スタグフレーション」)をもたらした」(Hirsch [2005=2007]126)。米国のみならず、一九七〇年代の先進国は、「スタグフレーション」すなわち物価の高騰(インフレーション)と景気の後退(スタグネーション)が同時に起こる状態に陥ったが、それに追い打ちをかけたのが「オイル・ショック」であった。』(P80-81)

このような戦後体制の行き詰まりを打開するべく先進諸国で『フォーディズムを変革し、今日のグローバリゼーションを推進する』(P82)様々な改革が行われた。七〇年代以降のグローバリゼーションを推進した主な要因は1)新自由主義政策、2)金融の自由化と国際化、3)情報化、の三つがあげられる。

新自由主義政策」は英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権によって、行き詰まりを見せた福祉国家の改革として始められた。第一に民営化による公共支出の大幅な削減、第二に大幅な「規制緩和」による国際市場経済の活性化を柱とする。

新自由主義政策の特徴である規制緩和の中でも「金融の自由化」は特に大きな役割を担った。かつて存在していた規制が段階的に緩和され、各銀行による金利の決定が可能となり、銀行と証券会社の相互乗り入れが行われ、証券取引所への外国企業の参入が許される。この結果、市場の国際化が進み、資本が国境を越えて移動することになった。同時に金融自由化は金融取引のリスクを増大させることになり、そのリスクをヘッジする金融工学が発達する。「デリバティブ(金融派生商品)」の登場は、為替リスクや金利、株式リスクを減少させた反面、リスク減少を利用して利ざやを稼ぐことを可能とし、「デリバティブ」は投機目的での利用も行われることとなり、金融リスク減少を意図して開発されたものが、むしろ金融リスクの増大へとつながる結果を生み出した。

八〇年代から始まったコンピュータのネットワーク利用は九〇年代中盤ごろから本格化し、コミュニケーションメディアとして発達した。一方で、単なる伝達機能の向上だけではなく、数値・言語・音声・映像情報に関する高度情報処理も可能となり、広範囲に渡ってその影響を及ぼした。特に金融自由化は『貨幣の本質が価格を表示する情報的機能』(P89)であることから、「情報化」の影響を最も受けることとなった。金融自由化と情報化は相互に影響を及ぼしながら、世界中にネットワークを張り巡らし、その勢いを加速させていった。

この三つの要因によって推し進められたグローバリゼーションは「社会のネットワーク化」を進展させた。固定的な関係に支えられた社会から、要素間の緩やかで柔軟に変化する流動的なネットワークへ、社会の特色が変化した。それを支えるのが高度な情報処理能力によってインフラ化したコンピュータネットワークで、それによって資源の流動的な調達・再分配が可能となったことが、変化の要因であった。

社会のネットワーク化は国家の行政機構や会社組織を官僚制的体制から「ネットワーク型組織」へと変化させる。旧来の官僚制組織は外部調達費用が高額であったことから内部調達を前提としていたが、社会のネットワーク化は外部調達の「取引費用」の大幅な低減をもたらすことになった。その結果として、組織内に資源を抱える必要がなくなり、八〇年代以降、欧米を中心にネットワーク型組織への移行が進んだ。

このネットワーク型組織への移行は、特に企業において組織のあり方を激変させた。組織内関係と組織間関係が再編されて、巨大なネットワーク組織が形成されるとともに、資本移動の自由化によって生産活動を国内にこだわる必要が薄くなり、その結果、「多国籍企業」が登場する。国境を越えて会社の内外を問わずネットワークを張り巡らせ、垂直的統合と水平的統合との組み合わせによってグローバル展開していった。

これら七、八〇年代以降の変化によって第一世界は「ポスト・フォーディズム」と呼ばれる社会構造へと変化する。その特徴は以下の四つだという。

1)『アウトソーシングの論理が物的資源だけでなく、人的資源にも適用された結果』(P93)、『労働の非正規化と不安定化が進み、大衆の実質所得が低下した』(P93)。
2)『市場の規制緩和によって経済関係が「金融化」し、「金融によって強く駆り立てられている蓄積様式が確立され』(P93)たことで、『企業は、長期的視野の下で生産効率を高めるより、金融資産の投機的運用によって短期的収益を上げるようになった』(P93)。
3)『企業活動の余地が著しく拡大され』(P94)、『国営だった企業部門の民営化が進行し』(P94)、『特定の技術や市場の一部に特化して国際ネットワークを形成するグローバル市場が力をもつようになった』(P94)。
4)『市場の論理が空間的に拡大するとともに、社会生活の隅々にまで及び、「経済的な再生産過程における自然と知識」が新しい意味を獲得した』(P94)。

このグローバリゼーションという変化は、第二世界、第三世界にも多大な影響を及ぼすことになった。

第一世界の変化はまず、間接的にではあったが第二世界の崩壊を誘った。グローバリゼーションを推し進めた諸変革は行き詰った戦後体制から計画経済的要素を切り捨てることで危機を乗り越えるものであったが、計画経済を基礎とした第二世界は危機への対応力を失い、流動化する第一世界の情報が国境を越えて第二世界に到達した結果、その崩壊が決定的なものとなった。

一方、第三世界は、第一世界の変化を直接的に蒙ることになった。資本の自由な移動によって、第三世界は多国籍企業を積極的に受け入れるようになったが、すべての国に多国籍企業が進出した訳ではないため、経済的に成功する国と置き去りにされる国とに分裂することになった。また、産油国が巨額の利益を得ることで非産油国との間に亀裂が生じ、また英米に流れ込んだオイルマネーがNICsと呼ばれる新興工業国に集中的に投資されるなど、第三世界がグローバル経済に組み込まれた結果、その発展から取り残される国や、グローバル経済に組み込まれたことで国内経済が破壊されてしまう国が生み出され、非産油国を中心に社会的混乱に見舞われるなど、「南南問題」と呼ばれる 第三世界内部の分裂構造を包含することになった。

第三世界における新興工業国の登場と第二世界の崩壊によって資本主義の世界的な拡大が急速に進むことになった。「IMF」と「世界銀行」は、経済危機に見舞われた第二、第三世界諸国に対し、米国の政財界との間で共有される経済政策原則「ワシントン・コンセンサス」に基づいて、市場開放、関税障壁の縮小、柔軟な労働市場の構築などからなる新自由主義的政策を要求したため、東アジア、南米、アフリカなどの諸国で自由化、民営化が進められ、世界経済に組み込まれていった。一方で、それらは現地の社会構造のひずみを生み、民族対立や内戦、貧困などを生むことにもなった。

このようにして特に九〇年代以降急速に進んだ世界の一体化は、資本だけではなく大規模な人口移動をももたらした。まず七〇年代はまず非産油国から産油国へ、続いて東アジアや南アジアから産油国への移動が始まり、続いて七〇年代後半から八〇年代にかけて南欧、北アフリカから西欧諸国へと人口移動が進んだ。西欧への移動は戦後復興に際して旧植民地からの移民が家族を呼び寄せる傾向から進んだもので、九一年時点で西欧における外国人は一八〇〇万人に上った。また、米国も東南アジアと中南米からの大量の人口移動が起こり、一九八一年から二〇〇〇年にかけての米国に移動した移民は一六〇〇万人に上った。

一九八〇年代以降の第三世界に対する資本投下は東アジア諸国から先進国への一時的な頭脳流出をもたらしたが、やがて彼らは母国へ帰り母国の工業化など経済発展に貢献することになった。一方で国境に囚われず世界中を行き来する「情報エリート」が台頭し、彼らが訪れる世界の都市の同質化とともに彼らの生活様式もまた同質化していっているという。また、情報エリートと正反対に、母国の社会・政治不安を背景として、迫害から逃れる難民が大量に発生し、特に米国、カナダ、オーストラリアがその受入国となった。

ヒトの移動の流動化とともにモノの移動も活発化した。先進国間貿易とともに先進国-途上国、途上国間の貿易が増加し、『世界の中で製品輸出に占める(中国を除く)途上国の割合は、一九七三年には七パーセントであったが、八五年には一三パーセント、九五年には二〇パーセントに拡大した』(P104)という。それと共に、多国籍企業の拡大に合わせて途上国に対する支店進出、工場設置、海外企業の買収など「対外直接投資(FDI)」の額が急増、『六〇年時点で六七七億ドルであったFDIストックの総額は、九四年には約三六倍の二兆四一二二億ドルに達し』、そのうち三~四割が途上国に対する投資であるという。

世界を駆け巡る資金は九〇年代後半から二十一世紀初頭にかけて、様々な地域を経由してアジアとヨーロッパという二つのルートから米国の金融市場に集まり、そこで運用されて再度世界中へと分散していくという流れが形成されていた。

『要するに、一九九〇年代以降のモノとカネの国際的な流からいえるのは、米国が産油国や貿易黒字国の資金を吸い上げながら生産と消費を伸ばすとともに、米国の過剰な消費ブームに支えられて中国や日本のような貿易黒字国の輸出産業も成長したということである。世界経済の発展をもたらした循環は長期にわたって続いたとはいえ、中国や日本の貿易黒字、米国の貿易赤字という世界的な経常収支不均衡のうえに成り立っていたのである。』(P109)

これら巨額の資金はまず九〇年代後半に米国のITバブルをもたらし、ITバブルの崩壊後には米国の住宅市場に流れ込んだ。二〇〇〇年代の米国住宅バブル発生の要因は以下の四つだという。(P111)

1) 米国のブッシュ大統領が中南米から押し寄せた大量の移民を対象に、低賃金労働者でも一戸建て住宅がもてる住宅政策を打ち出したこと
2) 米国の中央銀行に相当するFRB(連邦準備制度理事会)が金利を引き下げて金融緩和を行ったこと
3) 金融工学の中で「証券化」という新しい技術が開発されたこと
4) ムーディーズのような金融各付け機関がそれらの金融商品に対して甘い各付けを与えたこと

そしてこの住宅バブルの崩壊が負の連鎖となって世界中を襲うことになる。特に証券化によって「サブプライムローン」のリスクを他の金融商品に組み込むことでリスク分散を図っていたが、それが裏目に出てリスクの世界的な拡散を呼び、金融危機を引き起こして、実体経済へと波及し、世界同時不況をもたらした。世界的企業が次々と倒産し、世界は失業者に溢れ、国家破綻の危機に瀕する国すらも登場する・・・そして現在へと繋がる。

このようなヒト、モノ、カネの移動の流動化は、ネットワーク化、市場化を加速させるとともに国際組織や多国籍企業など国境を超えるアクターの台頭をもたらし、結果として国家の地位を相対的に低下させることになった。さらに国際関係における国家の重要性の低下は、国民国家とパラレルで誕生してきた近代的個人という存在の揺らぎをもたらし、それは近代以降の体制である「ウェストファリア体制」の変容という新たな構造変化を招来する。

このような現代を覆う巨大なうねりの中で社会はどのように変わり、個人はいかに生きていくのか、今を生きる一人一人が、自身の足元を確認するために、グローバリゼーションとは何であるのかをじっくりと確認していくことは非常に重要であると思う。

特に「グローバリゼーション」という言葉は、その得体の知れなさゆえに何か恐るべきもの、諸悪の根源、憎むべき敵など様々な姿を与えられることが多い。この今の自分の苦境は「グローバリゼーション」のせいだ、「グローバリゼーション」こそ倒すべき敵、そんな幻想を抱きやすい。そのグローバリゼーションとは何であって何でないのか、個々の想いを縛る幻想へと繋がりやすいがゆえに、その姿を知ることは、自身が陥るかもしれない幻想から自由になる第一歩ではないだろうか。

ここで書いたのはあくまで、この本で整理されている一六世紀からの大きな流れの中の特にここ半世紀に満たない動きについてでしかない。特に、今を生きる、を考えるということは近代を問い直すということに立ち戻る必要があり、その自身の立ち位置を見極めるための、経済史的な視点を獲得する第一歩として、この本は有用だった。入門書としておすすめ。

歴史とは何か、近代とは何か、現代とは何か、世界とは何か、個人とは何か、そんな問いに出来る限り向かい合うことで、生きる、ということをこれからも考えていきたいと思います。グローバリゼーションという現象に関する理解をその為の基点にしたい。

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