「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」赤松 啓介 著

著者赤松啓介(一九〇九~二〇〇〇)は一言で言うと反権力の人である。大阪中央郵便局に勤めていたころに大阪の被差別部落に興味をもち、大阪市の実態調査を行ううちに共産党や水平社の運動にのめり込んで特高警察に逮捕され、その後地元の兵庫県に戻り喜田貞吉に師事して本格的に考古学や民俗学の調査研究を開始する。その民俗学の研究も”人民戦線運動”と銘打った反権力運動の一環だった。

その反権力指向から、当時民俗学のメインストリームだった柳田國男を痛烈に批判し、対抗意識を燃やしていた。

『柳田民俗学の最大の欠陥は、差別や階層の存在を認めないことだ。いつの時代であろうと差別や階層があるかぎり、差別される側と差別する側、貧しい者と富める者とが、同じ風俗習慣をもっているはずがない。』(「差別の民俗学 (ちくま学芸文庫)」P236-237)

柳田のいう常民が彼の政治的な意識を前提として創出されたファンタジーであり、それが「国民」という神話を創りあげることに大きな影響を及ぼしたことに対して徹底的に批判を加え、その対抗意識から柳田民俗学が取り上げなかった差別、性風俗、ヤクザ、天皇といったタブーを中心に研究を進めていった。

『彼らはこの国の民俗学の主流を形成してきたが、かつてはムラで普通であった性習俗を、民俗資料として採取することを拒否しただけでなく、それらの性習俗を淫風陋習であるとする側に間接的かもしれないが協力したといえよう。そればかりか、故意に古い宗教思想の残存などとして歪め、正確な資料としての価値を奪った。そのために、戦前はもとより、戦後もその影響が根強く残り、一夫一婦制、処女・童貞を崇拝する純潔・清純主義というみせかけの理念に日本人は振り回されることになる。』(「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」P33-34)

日々の活動から民俗学の研究までおしなべて反権力に貫かれていた人物だったらしい。そんな赤松がライフワークとしたムラの性風俗の調査・研究の成果として「夜這い」がある。播磨(兵庫県)を中心に村々を回って結婚儀礼の話を端緒にして夜這いや性風俗全般の話を聞き取り調査し、時に自身も村の女性たちと関係を持つなど経験も交えて一九三〇~四〇年代の地域村落のおおらかな性について資料を採取した。

赤松の調査で描かれるムラは性が高度にシステム化された世界である。子供たちはまず「子供組」に入り十三歳になると男は「若衆組」、女は「娘仲間」に入りそれぞれ性教育が施されたのち、夜這いの対象として実際に性交に及ぶ。特に祭りの日と夜這いはセットであった。夜這いが繰り返されるうちに、縁組をどうするかそれぞれの家で検討されたり家同士で協議されたりして、組み合わせが決まっていく。

ただし若年で子守や丁稚奉公、女工として働きに出されることもあり、女の子であれば場合によってはその働き先から女郎として売られることなどもあった。また、障害者に対する性教育の過程で妊娠出産となった場合、その子供はムラの子として見なされない場合が多く、長じてムラを立ち退いたり、都市へ出たものや乞食をして他国を回ったりと悲惨な例が多かったという。

このような「夜這い」は戦国時代にムラが戦闘に巻き込まれるなどして男女のバランスが崩れたことで普及したのではないかという説を赤松は唱えているがそれについてはよくわからない。享保期以降夜這いの禁止がたびたび出されるようになっていたということも書かれていることから、もしかすると江戸時代以降かもしれない。

様々な実例が豊富に楽しげに書かれているので、確かに読んでいて面白いのだが、一方で語っている当事者の女性たちは成人・年配の女性たちばかりで、娘たちは実際どうだったのかがよくわからない。嫌々だったり、若いころは止む無く夜這いの習慣を受け入れていたが長じてその記憶を良いように解釈しなおしたり、などはよくあることだろう。また、柳田民俗学への反感や反権力指向が強すぎるせいか、そのカウンターとして村の性風俗全般を美化しようとしている雰囲気が多分に感じられて、なかなかそのまま鵜呑みにし難い面がある。

良くも悪くも赤松啓介という人は反権力の人であって、その成果も確かに目覚ましいのだが、どこかその敵視した柳田國男と補完関係にあるような印象が拭えない。「常民」というメインストリームを創出した柳田と、その影に隠れた下層の人々の暮らしを赤裸々に描き、時に美化した赤松は、それぞれ意図せざることではあったろうが、時代性を反映した保守と左翼という思想対立を民俗学という舞台で行ったと言えるのかもしれない。そしてさらなるオルタナティブとして非常民・アジールなどのキーワードを見出した網野善彦や宮本常一はさしずめリベラルの歴史を模索したというところか。

民俗学は一方でこれまで隠れていた民衆の歴史にスポットを当てその心性を模索し、一方で時代性を反映した思想対立の代理戦争の舞台となってきた歴史が見え隠れして、なんだか危うい学問領域だなと思う。赤松啓介が注目されるようになったのは上野千鶴子の解説によると八〇年代以降のことらしい。大月隆寛が赤松啓介の講演を様々に企画したりポストモダン論壇の人々と引きあわせたりしてブームを作ったとのこと。

『赤松ルネッサンスが、日本近代がひとめぐりしたあと、八〇年代のポストモダンの日本でブレイクしたことには、理由がある。近代家族に代表される性規範が、急速にゆらいでいたからだ。婚前交渉の一般化、性の低年齢化、婚外性関係の「男女共同参画」、性の玄人と素人との閾の低まり・・・・・・。諸外国のようなドラスティックな人口学的変動(離婚率の上昇や婚外子出生率の上昇)こそもたらさなかったものの、「なしくずし性解放」といわれる日本版性革命が、あともどりしないしかたで進行していたからだ。』(「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」解説P322-323)

いつの世も歴史とそれに裏打ちされる物語というものは人々の思惑や対立と切り離せないものなのだろう。赤松が力を注いだ夜這いなどかつての村落共同体の性風俗の研究はかなりジェンダーや差別の問題とも絡み合うために政治的な問題意識と切り離せない面はあるだろうが、その後の進展も多々ありそうな分野だけに、もう少し最新の実証的な研究成果なども読んでみたいと思いつつ、先に進めていない。

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