「アイスクリームの歴史物語 (お菓子の図書館)」ローラ・ワイス 著

みんな大好きアイスクリームの一七世紀欧州から現代までの歴史の流れを簡単に押さえた一冊。意外とアイスクリームの歴史は古い、ということを知らなかったので楽しく、興味深く読んだ。

古代から氷は食糧保存に大いに活用されていたが、やがて中国の唐王朝の頃に凍った乳で作った氷菓を皇帝が食していたという。中世、中東でさくらんぼやザクロ、マルメロなどの果実で味付けした冷たい飲み物である「シャーベット」(アラビア語でシャラブ、またはシャルバート)が好んで食されるようになり、これがヨーロッパに伝わって特にイタリアで主に上流階級の人びと向けの氷菓子の製造技術が発展した。

一七世紀半ば、氷や雪に砂糖とストロベリーやレモンなどのフレーバーを加えた「ソルベット」という氷菓がイタリアで作られ、フランスではカフェ文化が花開く中でイタリアのソルベットの技法に倣って「フロマージュ」と呼ばれる氷菓を生み出す。このような様々な氷菓が後のアイスクリーム誕生の下地となっていた。

アイスクリームの誕生は吸熱反応の発見が画期となった。氷と塩とを混ぜ合わせることで氷の温度が氷点下に下がり、どろどろの味付きのクリームは、固体化してアイスクリームとなる。イギリスへ渡ったアイスクリームは上流階級だけでなく勃興しつつあった中産階級にも広がり、様々なレシピが考案されて、産業革命の後、一気に技術革新が進んでいった。アイスクリームの改良は引き続きイタリアとフランスがリードしていたが、一九世紀にアメリカに渡ると、一気に産業化、大衆化が進み、大量生産が可能となったアイスクリームが世界中へ広がっていくことになる。

南北戦争後のアメリカでアイスクリームの製造販売が急拡大することになるが、とても興味深かったのが、「ソーダ・ファウンテン」の誕生だ。

古来より天然の炭酸水には薬用効果があると信じられていたが、一八世紀末にスウェーデンの化学者によって炭酸を水に溶かす方法が発見されると1807年には英国で「ソーダ水」としてその手法で特許が取られ、1832年、英国からの移民ジョン・マシューズがニューヨークでソーダ水製造機の製造販売業を開始、マシューズの下で働いていた解放奴隷オールド・ベンがソーダ水販売店を開業する。

ソーダ水のニーズは薬事効果であったから、医薬品と一緒にソーダ水製造機が薬局の一角に設置され、レモンやバニラで味付けされたソーダ水が爆発的に売れ始めると、全米で薬局にロマン派風や新古典主義風に大理石や銀の柱などでデコレートされた豪華なソーダ水のカウンターが登場、「ソーダ・ファウンテン」と呼ばれた。

1870年代、ソーダ水とアイスクリームと組み合わせた商品「アイスクリーム・ソーダ」が登場、大ヒット商品となると、人々がこぞってソーダ水とアイスクリームを食べるために薬局の一角にしつらえられた「ソーダ・ファウンテン」を訪れる。1900年には全米で「ソーダ・ファウンテン」の数が酒場の数を超え、1916年には10万店のソーダ・ファウンテンがあったという。そして1919年、禁酒法が施行されるとソーダ水の人気はさらに加速し、酒場の代わりにソーダ・ファウンテンやアイスクリームパーラーが次々と建てられる。「ルートビア」もこの頃ソーダ・ファウンテンで生み出された炭酸飲料だ。

アイスクリーム・サンデー」の登場も、「ソーダ・ファウンテン」からだった。厳格なプロテスタントにとって、アイスクリーム・ソーダは『安息日に口にするにはあまりに軽薄な飲みもの』(P72)であるとして、販売を禁止する町が少なくなかったため、ソーダ水を抜きにして、アイスクリームとソースを別によそった。安息日の礼拝の後に食べるからサンデーだ。これには諸説あるが、アイスクリーム・サンデー発祥の地としてニューヨーク州イサカ、ウィスコンシン州トゥーリバース、ニューヨーク州バッファロー、イリノイ州エバンストンなどがそれぞれ名乗りを上げているが、未だに論争は続いているとされる。

第二次大戦後もアイスクリームの勢いは止まらない。イタリアでは「ジェラート」が誕生、職人手作りの道を究めて行く間に、アメリカで生まれたアイスクリーム産業ではコーンが組み合わされ、アイスクリームバーが考案され、オートメーション化、大衆化を推し進めてグローバリゼーションの渦の中で20世紀に世界を席巻する。一方でゆっくりと個々人の職人によるアイスクリーム製造の道を歩むイタリアの本格的なジェラートブームは90年代に入って訪れることになる。

1938年創業の老舗「デイリー・クイーン」、自動車の拡大に乗ってドライブイン化で成功したハワード・ジョンソンの「ホジョ」は米大統領アイゼンハワーが共同代表者に名を連ね、1953年にはそれぞれ別の店を経営していたバートン・バスキンとアービン・ロビンスが店を合併、後に世界中にその名を轟かす「バスキン・ロビンス」(日本ではサーティワンとして展開)が誕生。1959年、ポーランド移民であったルーベンとローズのマックス夫妻は米国人の欧州への憧れを満足させるヨーロッパ風アイスクリームを提供する「ハーゲンダッツ」を創業した。スカンジナビア風をイメージさせる「ハーゲンダッツ」というブランド名は実は全くの造語であったが、マーケティングが功を奏して大ヒットとなり、世界中に広がる一大ブランドへと成長していく。1978年、本格的なコクのある手作り風アイスクリームで人気を博した「ベン&ジェリー」が登場、後にハーゲンダッツと本格派アイスクリームの座を巡ってしのぎを削り、世界中に展開していった。

2008年の世界の十大アイスクリーム市場は以下の通り(単位は100万米ドル)(P140-141)
アメリカ 15,465.3
イタリア 6,489.5
中国 5,191
日本 4,925.8
イギリス 3,029.3
ドイツ 2,813.7
フランス 2,119.6
韓国 2,039.8
カナダ 1,956.6
スペイン 1,854.6

様々なエピソードに彩られているアイスクリームの歴史に、その奥深さを感じさせられた本でした。また巻末には1733年から現代までの様々な歴史的に貴重なアイスクリームのレシピが簡単に紹介されているので、参考にして18世紀のアイスを作ってみるとまた楽しいかも。

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