フランスの女性思想家シモーヌ・ヴェイユ(1909~43)が1934年、若干25歳で書いた論集。当時輝かしい未来が約束されているかに見えたマルクス主義の限界をずばりと指摘し、返す刀で台頭しつつあったファシズムを鋭く批判して、あるべき自由な社会の構想を、主に科学史と経済学のしっかりした理解を基礎としつつ描いている。
かなりの部分来るべき未来社会を言い当てて、かつ普遍的な自由と抑圧の問題を分析しており、若干25歳でこの見識は早熟の天才と呼ぶにふさわしいと思う。とはいえ、抑圧の分析では少なからず社会進化思想的な前提に立っているのは時代性の反映と言うべきか。
『労働がいつの日が不要になるという愚かしい概念を生じさせたのは、もっぱら技術的進歩の迅速さが招いた陶酔である。純粋科学の次元において、この概念は「恒常永久運動機械」の探求、すなわちなにひとつ散逸することなく際限なく労働を産出する機械の探求へと姿を変えた。そして科学者たちはエネルギー保存の法則を措定して、さっさと探求にお墨付きを与えた。この戯言は社会的領域ではさらに受けがよかった。マルクスが社会革命の最終項とみなした「共産主義の最終段階」とは、ようするに恒常永久運動のユートピアと完璧に類比的なユートピアである。革命家たちが血を流したのは、まさにこのユートピアの名においてであった。いっそうの精確を期するならば、現今の生産体系が、たんなる法令一つで、自由で平等な人間たちの社会への奉仕に転ずるという、おなじく非現実的な信念の名において、革命家たちは血を流したのである。これでは流された血がことごとく無意味であったとしても驚くにあたいすまい。』(P35)
このあたりのバッサリ感は痺れる。彼女の鋭いマルクス主義批判に怒ったトロツキー(1879~1940)は彼女のアパルトマンを訪れて論戦を戦わせ、後に「第四インターナショナルが創設されたのはお宅でのことだといってもよいですよ」と語ったという。
また、現代社会にも通じる分析としてはこのあたりも。
『生産者としての行為によって生活の資を得ている意識が、労働者にはない。もっぱら企業が日々長時間におよび労働者を隷属させ、週ごとに一定の金銭をめぐんでいるにすぎない。そして、この金銭こそが、富裕な人々とまったく同じ権力、完成生産物を瞬時に手にする魔法の権力を、労働者にも与えてくれるというわけである。無数の失業者の存在や職を乞わねばならぬ過酷な必然は、賃金を賃金ではなくむしろ施しに近いものと思わせる。失業者はどうか。みずから望んだわけでもなく、みじめきわまる境遇にあるとはいえ、それでもやはり寄生者にはちがいない。一般論として、供給される労働と受領される金銭のあいだの関係性があまりに把握しがたく、たんなる偶然の一致とさえ思えるとき、労働は隷従に、金銭は恩恵に思えてくるものだ。』(P132-133)
これに続いて展開されるのは、指導者層もまた山積する問題に追われるばかりで能動的に社会のことを構想する余裕はなくただ受動性に縛られているという指摘だ。その錯綜した社会で「社会の命運を一身に担う気概」を持つ人々は「ファシストの大言壮語」が与える幻想としてしかみつからない。
『世のつねとして、精神的な混乱と受動性は想像力を野放しにする。各人の属する階層によってかなりの差はあるにせよ、きまって密儀(ミステール)や秘教(オカルト)や神話や偶像や怪物からなる社会的生の表象が、四方八方から人びとの妄想を包みこむ。』(P133)
そのような中では労働者にはエリートや企業が、ブルジョワにはデマゴーグやアジテーターが、民族としては彼らに立ちはだかる民族が、邪悪な怪物として映る。
『かかる状況にあっては、どんな丸太でも王とみなされうるし、もっぱらこの軽信のおかげで、ある程度までは王の代わりを努めうる。このことは個々人だけでなく指導的階層についても妥当する。それに、なんらかの神話を全人民に広めるなど造作もない。したがって、史上に例のない「全体主義的」体制が出現したとしても驚くにあたいしない。』(P134)
ナチス・ドイツの全権掌握は1933年、ヒトラーの総統就任は1934年8月、スターリンの大粛清開始は1934年12月のことだ。
驚くべき先見の明で来るべきファシズムの嵐を予見し、さらにあるべき自由な社会を構想して、この本で描かれたその社会は戦後、ある程度まで実現しているように見える。彼女は「あらたな構築を可能にするような爆裂」は数十年後と予見していたが、彼女の予想より遥かに早かったのは周知のことだ。若くして、この透徹した理論を組み上げ、鋭く物事のあるべき姿を見通している様は驚嘆するほかないが、それも彼女が論文の冒頭でスピノザの言葉を引いているのを見れば納得はいく。
『人間にかかわる事象については、笑わず、泣かず、憤らず、ただ理解せよ』
偉大な先人の思索の後を辿るのは非常に心地いい。少しでも見習うことが出来ればいいと思うのだが、その道のりは果てしなく遠いなぁと思わされたのだった。