終戦直後から現代までの日本の「格差」について階級構造分析を通してその歴史的変遷を振り返る一冊。読んだのは実は2年ぐらい前で、記事にするまでに随分間が空いてしまった。
「階級」という言葉は政治イデオロギー的な使われ方で特定のバイアスがかかったさんざん「手垢のついた」言葉だが、この本ではそのような政治性は排してあくまで社会分析用語として使われている。
「階級」の用法は第一に「身分やカーストなど、制度化された、またはその社会で自明とみなされた人々の地位カテゴリー」(P7)、第二に「経済的な豊かさや職業などによって分けられた人々のグループ一般」(P7)、第三に「所得額や職業そのものではなく、経済的な資源の所有に注目して理論的に定義された階級」(P8)である。「ある社会にどのような階級が存在し、各階級の間にどれくらいの格差があり、どのような利害対立があるか。これを、その社会の階級構造と呼ぶ」(P8)。
以上のような前提で、日本社会の階級構造を、ニコラ・プーランツァス、エリック・ライトによる「資本家階級」「労働者階級」「旧中間階級」「新中間階級」のオーソオックスな四階級分析に当てはめて分析が行われる。その分類は以下の通り。(P31~40)
「資本家階級」従業員規模五人以上の経営者・役員・自営業者・家族従業者
「労働者階級」正規雇用女性事務職、非正規雇用事務職、その他
「旧中間階級」従業員規模五人未満の経営者・役員・自営業者・家族従業者。ただし分析の目的に応じて農家とそれ以外を分ける場合がある。
「新中間階級」正規・非正規雇用の専門・管理業務従事者・職種問わず課長以上の役職者
当然のことながら、上記の分類が絶対と言う訳ではなく、同書ではこの分類を行っているというだけで、分析者によって多様な区分けとなる。大きな流れとしては1950年時点で全体の58.5%を占めていた農家を中心とする「旧中間階級」は経済復興と高度成長の中で1965年には「労働者階級」に逆転され、2005年時点で資本家階級8.4%、新中間階級19.0%、旧中間階級13.3%、労働者階級59.3%という階級構成となっている。
1945年から2010年までの格差に関する大きな流れを要点だけまとめると、戦前に拡大していた経済格差は敗戦直後にインフラの破壊によって縮小、要するにみんな貧乏という状態になり、50年代に経済復興にともない格差が拡大、60年代、高度経済成長の中で徐々に縮小、70年代に入ると格差の指標は全て最小となり「一億総中流」時代が始まるが、80年代に入ってほぼ全体的に格差は小さい中、所得格差を示すジニ係数が上昇傾向に転じ、格差拡大へと進み始める。90年代にバブルが弾けると、格差に関するほぼ全ての指標が上昇傾向になり、2000年代、所得格差は戦前の水準へと突入するだけでなく、様々な格差が固定化していく傾向を見せていく、というトレンドだ。各時代について章立てて歴史の大きな流れを踏まえつつ非常に興味深い数値てんこもりで解説されているので詳しいデータについては同書を見ていただきたい。
同書によると2000年代の格差の大きな特徴は二つある。
第一に「アンダークラス」の登場である。「アンダークラス」は『安定した職業をもたず、社会の階級構造の底辺に位置する貧困層、とくに大都市中心部に住む少数民族の貧困層を指す言葉』(P199)として使われていたが近年では少数民族に限らず一般的な存在としてみなされ、先進諸国に共通して登場しつつある新しい下層階級であるとされる。
日本におけるアンダークラスは若年非正規労働者を中心に構成される。非正規雇用労働者数は九二年の九七七万人から〇七年一五一九万人へと増加したが、特に若年男性の伸びが著しく二五‐四四歳の男性非正規雇用者の総数は八八年の四六万人から一六〇万人へ三・五倍増となっている。また、独身女性の非正規雇用も増大しており、非正規雇用の有配偶女性は九二年の五九三・一万人から〇七年の七一八・一万人へ、独身女性は九二年一五四・九万人から〇七年三五〇・七万人へと二・三倍に増えている。
問題は賃金水準で、労働階級でも正規労働者の平均個人年収は三四七万円であるのに対し、非正規労働者は一五一万円でしかない。資本家階級六四五万円、新中間階級五三五万円、旧中間階級三四三万円、就業者全体の平均収入は三五八万円となり、非正規労働者だけが著しく低く平均収入の半分以下である。しかも収入が低いため、結婚出産という家族の形成と再生産が困難であるという点から『労働者階級の最下層であるというにとどまらず、伝統的な意味での「労働者階級」以下の存在』(P199)といえる。アンダークラスに属する人々は〇七年時点でおよそ八〇〇万人と推計され、全就業人口の一二・八%を占める。
アンダークラスで重要なのは、階級間格差の指標から読み取れるある問題である。九五年と〇五年の個人年収を比較した場合、各階級ともほぼ微減だが、これを正規労働者と非正規労働者で分類して二〇〇五年の格差で見ると(単位万円)正規四〇四・一、非正規二七二・九となり、労働者階級の中で比較して非正規労働者の七割弱、新中間階級の四割強でしかない。また、〇五年の貧困率は九五年から四・三ポイント上昇したが、この四・三ポイントを越えて貧困率が上昇したのは一-二九人の小零細企業労働者、非正規労働者、無職者のみで、特に非正規労働者と無職者の貧困者が全体に占める割合は非正規九五年六・六%→〇五年一七・六%、無職三四・四%→四〇・三%と急上昇した。
つまり、正規雇用労働者以上の階級の収入が微減で止まっているのは、非正規雇用を大幅に拡大し、かつ彼らの収入を「健康で文化的な最低限度の生活」が不可能な水準である貧困線以下まで大きく抑えた結果である。言いかえると、望むと望まざるとに関らず正規雇用者の地位は非正規雇用者を「搾取」した結果として維持されているという構造が生まれてしまっている。
第二の特徴が階級の固定化である。「オッズ比」と呼ばれる同階級出身者とそれ以外の出身者の比を取る指標によって明らかになるのは、資本家階級が著しく閉鎖性を強めているという点である。七五年に三・四七九と最低となった、つまり流動的だった資本家階級は三〇年で急速に閉鎖性を強め、〇五年には一二・七四八と戦後最大となっている。ちなみに同じ〇五年の指標は新中間階級四・五二八、労働者階級二・七〇七、旧中間階級三・三七七で、資本家階級だけが極端に閉鎖的、つまり世襲化している。とはいえ、新中間階級も労働者階級も十年で大きく固定化傾向(それぞれ九五年は三・六〇四、二・二五七)が見られ、同様に階級間の非移動率も九五年〇・三九三から〇五年〇・四四六と階級移動が六五年の水準にまで戻っているなど、全体的に階級の世襲化が進んでいる。
つまり、金持ちの子は金持ちのまま、貧乏人の子は貧乏人のまま、経営者の子は経営者に、サラリーマンの子はサラリーマンに、労働者の子は労働者になる傾向が過去四〇年で最も強い。逆に非正規雇用が急拡大していることから、アンダークラスへの転落の穴はぽっかりと開いている。
以上が、二〇一〇年以前までの日本の格差の大きな流れである。同書はあくまで階級構造と格差の分析に留まっており、その現状を踏まえての対策などには一切踏み込んでいない。まぁ、この二点も自明のことだと言う人も少なくないとは思うのだが、そういう、自明のことをきちんとデータを踏まえて説明してくれるというのは有用だと思う。また、二〇一〇年以降の「今」についてはまた別の書籍が必要だろう。歴史的変遷と二〇一〇年までの問題把握に徹した一冊なので、これらを踏まえてどうするべきかを考えたい人向けだといえるだろう。非常にためになったので、広くお勧めしたい本の一つ。
本書は増補新版が発売されています。