「働かない―『怠けもの』と呼ばれた人たち」トム・ルッツ 著

一八世紀に姿を現してから、現代社会の規範として内面化されていく勤勉な労働倫理と、その裏表として登場してくる怠惰なスラッカー(怠け者)主義の歴史を、各時代を代表するスラッカーたちの思想を紹介していくことで米国オルタナティブ労働倫理史を浮き彫りにする意欲的な一冊。最近読んだ本の中でも抜群に面白かった。

1)スラッカー主義の歴史

米国の高い勤労意欲を支える労働倫理はマックス・ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」において「時は金なり」でお馴染みベンジャミン・フランクリンを例に出すことに始まる分析を通じて天職という概念を導き出しているが、ルッツは『天職という概念の新しさは、人間の生涯の仕事を「個人の道徳的活動がとりうる最高次の形態」に変えたところにある』(P44)といい、続けてヴェーバーの説を引きつつ人間が『根本から疎外される運命にある』(P45)という観念もまた導き出されることを指摘する。かくして、勤勉な労働倫理はその正反対となる怠け者の倫理もまた生み出すことにならざるをえない。『もし人間がそんなにも根本から疎外される運命にあるなら、なぜもっとくつろがないんだ?』(P45)という主張が十八世紀中葉以降絶え間なく繰り返されることになった。

スラッカー倫理は一八世紀中葉、ベンジャミン・フランクリンと同時代に生きたサミュエル・ジョンソンの創刊した雑誌から命名された「アイドラー」に始まり、一八世紀末の「ラウンジャー(放蕩者)」、バイロンやワーズワースなど英国のロマン主義詩人たち、アイドラーやラウンジャーなどの当時のスラッカーをモチーフにした米国文学「リップ・ヴァン・ウィンクル」、一九世紀前半のスラッカー思想は「怠ける権利」を著して自死したカール・マルクスの娘婿ラファルグ、「白鯨」でお馴染みのメルヴィルと「緋文字」のホーソーン、「ウォールデン 森の生活」のヘンリー・デヴィッド・ソロー、また当時のコミュニストたちが紹介されつつ、当時のスラッカーを指す言葉としての「ボヘミアン」の成立過程が描かれ、ボヘミアン文学の旗手としてマーク・トゥエインが挙げられる。

以後「ローファー」「散歩者(ソーンタラー)」「放浪者(ランブラー)」など様々な呼ばれ方をしつつ一九二〇年代に「スラッカー」という言葉が定着していくことになる。二〇世紀以降はビートニク、ヒッピー、サーファー、プレイボーイ、ジェネレーションXなどを経て米国を二分する社会福祉を巡る対立、情報社会のスラッカー倫理としてのドットコム企業の労働観へと繋がっていく。500ページ超のボリュームなので非常に網羅的な内容となっている。

こう名前を挙げていくとさながらアメリカ文学史・サブカルチャー史の様相でもあるが、怠け者(スラッカー)思想の矛盾は、歴史に名を残すスラッカーたちは誰もが『その名を残すために、「働かないことについて書く仕事」をしなければならなかった』(P32)といいうところにある。ゆえに、文学者・思想家たちが多く、本当のスラッカーは表に出ることは無い。怠け者として名を遺した彼らの多くはその思想に反して非常にワーカホリック的であった。

スラッカーが繰り返し語られる背景にはその時々の労働社会の構造変化が存在する。

『十八世紀に産業革命と呼応して現われた最初のスラッカー的人物から、情報革命と呼応して登場した最近のスラッカーにいたるまで、彼らは労働社会が深刻な構造変化を経験するときにいつも大きな話題になる。農家や工場の家内制手工業経済が、機械工業経済へと移行した十八世紀や、製造業主体の経済がサービス業主体の経済へ移行した二十世紀半ば、そして紙の世界がビットの世界へと移行した一九八〇年代、それぞれ様々な点で大きく違うが、影響や結果については比較に値する共通点がある。』(P81)

あくまで米国の労働倫理史であって日本のそれではないが、現代日本の労働社会もまた大きな構造変化の波に覆われていて、そして、歴史は繰り返すと言わんばかりにスラッカー的な文化と労働観が注目を集めている。同書では数ページだけ日本のフリーターへの言及もあるが、オーソドックスな理解以上のものではない。ただ、日本への言及の最後の一文は重要だと思った。

『どんな労働観もスラッカーを必要とし、ゆえに彼は、産業的な労働のあるところどこにでも現われる。勤労観が強固なほど、スラッカーの文化は活気づく。日本は、西洋と同じく、その両方が突出しているのである。』(P477)

同書で描かれる米国社会で現代日本の労働社会と対比させるのに面白そうだと思った時代が二つある。一つは一九世紀末、もう一つは一九五〇年代である。

2)一九世紀末の散歩者

一九世紀に入ると米国社会は工業化が進展し、労働時間は長期化しその内容は苛酷化する一方で、全米で労働運動が巻き起こり、労使間の対立は先鋭化していった。労働社会の構造変化によるひずみはまず「神経衰弱」という新たな現象として顕在化する。一八六〇年代前後から米国のアッパーミドル階級を中心に速度を増す現代社会のペースについて行けず疲弊する者たちが続出、世界中に広がり、ありとあらゆる事例が「神経衰弱」と認定されていく。過剰労働による疲弊や働かない男性が神経衰弱と認定されたが、もう一つ、働きたい女性も神経衰弱とされた。家事や育児などの義務を果たしたくないからだという理由であった。

このような「神経衰弱」の療養には様々な手法が唱えられたがその中の一つに散歩があった。一八四〇年代からフランスでフラヌールと呼ばれた街や通りをふらふらと歩く人々は米国では「散歩者(ソーンタラー)」と呼ばれるようになる。彼らは街を歩いていても、例えば店先の商品を見ては『その商品がどこから来たのか、どんな工場で生産されたのか、どのような原料で出来ているのか、その原料がどこから来たのかといったことに思いをめぐらす』(P212)。いわば好奇心を発揮し、並外れた観察力で全体性を回復しようと試みる人々だったようだ。

欧米上流階級の疲弊した人々の間での散歩(ソーンタリング)の流行と同時進行で中産・労働階級にもソーンタラーが登場していた。1873年に米国で経済恐慌が起こると300万人余りが失業者となるが、その職を求めて人々の大移動が始まった。当時交通網が整備されて移動の自由がもたらされるようになっていた。経済不況と失業という要因とは別に産業化が雇用の流動化をもたらしており、経済移民集団が誕生していた。彼らは様々な呼び方で呼ばれたが、社会学者のネルス・アンダソンは彼らを「ノマド・プロレタリアート」と呼んだ。

「ノマド・プロレタリアート」には大きく三つのタイプがある。移動する日雇い労働者を「ホーボー」、移動するが仕事をしない人間を「トランプ」、移動も仕事もしない人間を「バム」と呼び、また「トランプ」は夢を追いかけながら放浪する人々ともされる。彼らを放浪させる要因は失業、経済的要因、人種差別、精神的あるいは肉体的障害などいくつもあるが、彼らに共通する大きな特徴として『「産業や社会や政治における既存権威との衝突へとその個人を導くところの自己中心性」』(P146)が指摘される。二〇世紀になって「トランプ」的生き方を自身のキャラクターとして演じていたのがチャーリー・チャップリンであった。

全米を放浪する得体の知れない者たちの存在は不況下の情勢も相まってメインストリームの人々に脅威を覚えさせた。1874年のイリノイ州を皮切りに各地で放浪者を逮捕する「トランプ法」が施行、すぐに拡大運用されて労働運動の弾圧などにも使われるようになり、トランプ問題は大きな社会問題となった。このような「怠け者狩り」は二〇世紀に入ると愛国主義的な労働倫理を背景とした徴兵忌避者の逮捕、社会的弱者の排除など戦時体制の強化に発展していくことになる。

3)一九五〇年代の労働社会を巡る対立

一九五〇年代の米国労働社会は体制順応主義と反体制順応主義の対立を大きな特徴としていたとされる。戦時下で成長した軍産複合体を始めとする大規模化した企業と肥大化した官僚組織が支配的となる中、「働く」とはすなわち「組織に属する」ことを意味した。一九五〇年代初頭、冷戦の開始とともに米国内ではマッカーシズムの嵐が吹き荒れ、共産主義者のレッテルは体制に従順でない者にも拡大解釈されて、現行体制の維持が重要な規範となった。

抑圧的な労働倫理に対して反体制順応主義があちこちで叫ばれる。文学の世界ではジャック・ケルアックをはじめとしてウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグらビート・ジェネレーションが活動を始め、社会学ではリースマン「孤独な群衆」、ミルズ「ホワイトカラー」などで体制順応主義への批判が開始され、メディアでは1953年「プレイボーイ」誌創刊、「理由なき反抗」「エデンの東」(ともに1955)などをはじめとする権威への反抗を主題とした映画が次々と作られる。サリンジャーが「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を発表したのも1951年だ。

1956年にジャーナリストのウィリアム・H・ホワイトが出版した「組織のなかの人間」は組織に帰属し、組織のために働く『組織の生活に忠誠を誓い、精神的にも肉体的にも、家郷(ホーム)を離れたわれらが中産階級』(P343)を「オーガニゼーション・マン(組織のなかの人間)」と呼んで攻撃を加えたものだ。様々な階層・学問領域の人々が次々と体制順応主義者へ牙をむき、米国を二分する文化・労働倫理論争が勃発した。

1955年に「ルック」誌に寄せられた一市民の悩み相談が当時の労働社会の行き詰まりを象徴している。『「二十年も勤めつづけたものの、不満があって、仕事にも飽きている、けれども給料はよくて、仕事を辞める勇気がないという場合、その人はどうすればいいんでしょうか?」』(P341)

体制順応主義と反体制順応主義との対立から女性は疎外されていた。1950年の時点で賃金労働人口における女性の割合は『男性の約四千四百万人に対し、女性は約千八百万人』(P370)に過ぎず、もっぱら労働を巡る論争は男性の問題であり、男性が労働の中の疎外を問題にしているころ、女性は労働そのものから疎外されていた。女性たちは自分で金を稼ぐことが困難な状況にあり、ゆえに結婚を重視するが、そんな女性たちは男性からスラッカーと批判され、罵倒される。この袋小路が六〇年代のウーマンリブ運動へと繋がっていく。

減少し続けていた労働時間が増加に転じるのも一九五〇年代からだった。1850年から1950年にかけて減少していた平均労働時間は1948年から1968年にかけて微増に転じ、1969年と1987年では年三〇五時間も増加したという。これはブルーカラーからホワイトカラーへの転換と呼応する。大半がブルーカラーだった労働者は2000年には全労働人口の60%がホワイトカラーとなり、ブルーカラーは24%に減少する。

少し遡って1920年代、米国の労働観に大きな転換があった。1899年にヴェブレンは「有閑階級の理論」で人間は意味ある労働を行いたいという製作者本能の存在を論じ、労働が癒しとなる可能性を考えていた。これを受けて1920年代に登場するのが労働を喜びと感じる快楽主義的労働観だった。ホワイトカラーの人々を中心として労働だけが生きがいと考える傾向が登場。後にワーカホリックと呼ばれることになる仕事人間の登場であった。1950年代になるとユートピア思想を背景としてマルクーゼやヘフナーたちによって労働を遊びとする論が登場する。遊びであれば労働は労苦ではないはずだという遊びの労働観は後に一九九〇年代にドットコム企業でプレイルームの設置など実現していくが、労働が遊びとイコールで結ばれたとき、労働は余暇を侵食する。好きを仕事にした新しいワーカホリックは無制限に楽しい労働へ没頭し、その結果疲弊して心身を病むという悪循環が二〇〇〇年代に顕在化していくことになる。

4)日本のスラッカー文化史を待望する

この本を読むと、勤勉な労働倫理とスラッカー主義との間で常に揺れ動いてきたことがよくわかる。その二つは二項対立ではなくグラディエーションの両端でありその間で社会状況をや時代精神を反映してその時代に応じた労働観が形作られていた。

日本においても、このような労働倫理の対立構造の社会史を振り返ることは非常に有益だと思うので、ぜひ専門家にまとめてほしいと思うところ。明治期の工業化の中で経済を牽引した企業家たちに共通する労働観が儒教倫理に基づくイエを経済単位とするプロテスタンティズム的な労働観であったと言われる。その後の経済成長はむしろ格差の拡大をもたらし、貧困層の増大、工場労働は苛酷さを増し、福祉は貧弱で弱者切り捨ての政策が続いた。戦時下の総動員体制を経て少なくとも終戦時には「働かざる者食うべからず」のスローガンは人口に膾炙していたようだ。高度成長を経て会社共同体に労働生活を捧げる終身雇用体制が成立、一方で二重構造として流動的な自営業・自由業の層もまた存在していたとされる。しかし石油危機、バブル経済の崩壊などを経て終身雇用体制は崩壊、非正規の増加など経済格差が拡大する一方で日本でもドットコム企業の伸長は著しい。

僕は日本の2000年代のベンチャーブームは既存企業が生き残りのために共同体性を捨てていることを背景としての「居心地のいい企業共同体」への回帰現象、いわば反動ではないかと思っている。何故ベンチャーは会社に家族性を求めるのか、何故仕事に喜びや生きがいを求めるのか、仕事を遊びの延長線上に捉えるのはなぜか、会社がまるで自身の身体であるかのように自律性を幻視するのはなぜか、仕事をただ仕事として捉える人々との乖離が、自己を「ベンチャー企業」と認識する会社との間にはスラッカー主義的労働観を挟んで存在している。それゆえに多くの人々は「ベンチャー企業」に狂おしいほどに惹かれている。ジグムント・バウマンの言葉を借りれば、コミュニティが壊れたときアイデンティティが生まれたのだ。

スラッカー主義としての「ニート」(NEETではない)、「働いたら負け」とビート・ゼネレーション的なスローガンが広がり、「オーガニゼーション・マン」とほぼ同一の意味を持つ「社畜」批判、組織に属することへの忌避や、19世紀末のノマド・プロレタリアートとその心理(『「産業や社会や政治における既存権威との衝突へとその個人を導くところの自己中心性」』)において共通するであろう「ノマド」という言葉の独り歩き、など本文で指摘される通り、「勤労観が強固なほど、スラッカーの文化は活気づく」証左であるように見える。そのいずれもが、この本で描かれる米国の過去の労働倫理を巡る言説と非常に似た面を持っており、何かしら焼き回しのような印象すら受けるが、スラッカー的な文脈の中にあるがゆえに似ているのだろう。

ということで、繰り返しになるが、非常に面白かった一冊。最後に警句としてスラッカー文化の祖にあたるサミュエル・ジョンソンの言葉を引用しておこう。

『怠け者ならば、孤独にはなるな。もし孤独ならば、怠け者にはなるな。』(P110)

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