「琉球の時代: 大いなる歴史像を求めて」高良 倉吉 著

琉球史については詳しくなかったので、少し入門的な本が無いかなと思い読んでみたのがこの本。2012年ちくま学芸文庫から出版だが底本は1980年発行で、現代の琉球史研究の第一人者である著者の初期の著作になるようだ。特に史料が見られ始める十四世紀の三山時代から1609年の島津侵入事件までの古琉球と呼ばれる時期を中心に扱っている。

従来の伝承や創作性の強い史料の記述に頼った琉球史研究に対して、実証的な批判を加えつつ、タイトル通り新たな琉球史の歴史像を模索し始めた一冊なようで、ここから現在までの30年余りの間、どのように琉球史研究が発展したのか強く興味を覚えさせられた。琉球の通史を知りたいと思ったときに最初に読むのにとても向いていると思う。

近世以前の琉球の歴史は非常にドラマティックでエキサイティングである。長きに渡る貝塚時代のあと、十世紀ごろからグスクと呼ばれる城塞や小高い丘を中心とした集落による稲作農耕の時代を経て、十四世紀頃までに諸勢力が糾合され「中山」「山南」「山北」という三勢力鼎立の三山時代を迎え、覇を競いあった。この三山時代については統一王朝がかつて存在し分裂したという説(三山分立論)が従来主流であったが、その根拠はほぼ伝承に頼っていたことから、諸勢力が三つの勢力にまとまっていったとする説(三山進化論)が有力となっている。

その三山時代を統一したのが、中山地方の豪族の一人尚巴志(1372-1439)で、1406年に主君である中山察度王朝を廃して父の尚思紹を王位につけると、1416年には山北を滅ぼし、1421年には父尚思紹の死によって自ら王位につき、1429年に山南を滅亡させて琉球を統一、琉球王国第一尚氏王朝が建国される。しかし、英雄尚巴志王の死後王位継承のたびに内紛がおこるなど安定せず、1469年、第一尚氏王朝最後の王尚徳王が暴政の後に亡くなると、百姓からその才覚で立身出世を重ねて重臣となっていた金丸が諸豪族・廷臣らから推されるかたちで王位につき、尚円(在位1470-76)と名乗って第二尚氏王朝を開いた。

第三代尚真王(在位1477-1526)の治世下に琉球王国は大きく飛躍して東シナ海貿易の中継国として大いに栄え全盛期を迎える。同書ではその要因として、
1) 倭寇の跳梁により明国が海禁政策を取り、その結果中国商人の勢力が後退したこと
2) 一方で倭寇の影響下で日本商人の勢力が伸長したこと
3) しかし、冊封体制下では日本商人は直接中国との取引は出来ず、その結果琉球を経由する必要性があったこと
4) 琉球も中国や朝鮮との交易のためには九州を経由する必要があり、その航海の安全のために倭寇、日本商人の協力が必要であったこと
5) 琉球はシャムのアユタヤ朝やマラッカ王国との交易ルートも開拓して南蛮貿易が可能となっていたこと
6) 琉球の造船・航海技術が非常に高度であったこと
などが挙げられている。

このような国際情勢下で繁栄したがゆえに、後にポルトガルがマラッカを滅ぼすなど東南アジアに勢力を伸ばし、一方で日本でも島津氏が九州をほぼ統一していく過程で、ポルトガルと島津氏との琉球の支配権を巡る争いの中で琉球王国は弱体化を余儀なくされていく。

アウトラインとしてはこのような流れだが、十五~十七世紀の東南アジア、東シナ海の国際関係史は近年大きく研究が進んだ分野でもあり、最近の研究にアプローチするための基本を押さえておく本の一つとして、この本を読んでおくと色々理解の助けになりそうだと思った。

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