出版は2008年(邦訳は2012年)と戦争終結から90年近く経ってようやく描かれた、はじめてのフランス・ドイツ両国研究者による共同の第一次世界大戦史。
第一次・第二次、一九世紀に遡れば普仏戦争など常に対立してきた両国の研究者が第一次世界大戦を比較研究史的観点から描くという趣旨であるので、主題は第一次世界大戦前後の独仏両国の軍事・外交・文化・社会など総合的な比較であり、それ以外の国々については必要最小限に留められている。
壮絶に戦った両国であるだけにその爪痕は今でも深く歴史研究の分野にも影響を及ぼし続けていたことがわかる。どうしても歴史は国民国家という枠組みで捉えられてしまうため、自国よりも他国の歴史の事の方が研究は軽く見られがちになる。敵対した両国だけに研究者の間でも『他者の歴史を理解しようとする用意はほとんどなかったのである』(上巻はじめにより)。
下巻巻末の翻訳者解説によると、仏独両国における第一次世界大戦の研究史はおよそ三期に分けられる。1920年代から1930年代にかけては「戦争責任問題」をめぐっての外交史・軍事史研究が主流で、第二次大戦後まで続き、1960年代から「第三次世界大戦」の危機感から両大戦の比較検討や社会史、マルクス主義的な観点からの階級史研究へと進み、1990年代になってマルクス主義的階級史観の衰退とともに、第一次大戦時の史料の中の「主観性」「経験」を分析対象とした文化史が台頭、このような歴史に対する主観性の相対化が可能となってはじめて比較史が進展し、大戦下の比較研究を行う施設が作られるなどした。著者二人はそのベロンヌ大戦歴史博物館の研究者である。このような歴史研究の紆余曲折と進展を背景として一国史的な歴史の叙述を克服しようとする試みの一つとしてこの本が執筆された。
『この歴史を書くなかで私たちは、第一次世界大戦の専門家の間であってさえも、一方にとって疑いえない事実が他方にとっては決してそうではない、ということにしばしば気付かされた。先入観なく比較史研究を実践しようとする者の言説においてさえ、そこには必ずしも自覚することなく国民的伝統に起源をもつ概念や確信が入り込んでしまい、それが分析にも影響を与えることがある。』(上巻はじめにより)
仏独の歴史家二人によって従来の通説を丁寧に分析し、必要に応じて覆しながら著される第一次世界大戦下の仏独両国の社会・政治・軍事・文化などは勿論非常に読み応えがあるのだが、やはりこの本が執筆されるまでの上記の第一次大戦研究史にはとても興味を覚えた。歴史の中の戦争を当事者となった国同士で語り、研究することの困難さと、障害となっている思い込みを克服するために何をするべきか、ということについても多大な示唆を与えてくれる。
「国民的伝統に起源をもつ概念や確信」の大きさは歴史研究を妨げるにとどまらず、時に暴力の応酬でもってその正当性を主張しようとすらする、ということはこの本で描かれる第一次世界大戦の過程からも浮き彫りになるし、現代社会においても、特に日々流れてくるニュースなど様々な局面で痛感させられる。第一次世界大戦をめぐるドイツとフランスの研究者による比較研究の成果であるとともに、第一次世界大戦下の両国社会で起きた様々な出来事を現代社会に引き寄せて比較しつつ考える一助となる良書だと思う。