「アレクサンドロスの征服と神話 (興亡の世界史)」森谷 公俊 著

古今東西、歴史にその名を残す君主、英雄、軍人たちがこぞって憧れ、未だに繰り返し映画や小説やアニメなどあらゆる創作で繰り返し語られる古代マケドニアの征服者アレクサンドロス3世(大王)について、語られた様々な英雄神話、その生涯、彼の帝国の統治構造、その影響などアレクサンドロス・ヘレニズム文化研究の現状を総合的に概説した、アレクサンドロスについて知りたいならまず最初に読んでおきたい一冊。非常に面白かった。

ギリシア文化とオリエント文化という東西融合によってヘレニズム文化が誕生した、という通説に疑問を呈し、従来のヘレニズム文化観がギリシア中心主義的偏見に基づくものであり、東西融合ではなく様々な文化や民族の交流による多元的な特徴を備えていたことをあきらかにする。例えば従来ヘレニズム文化の代表とされるガンダーラ美術も、ギリシアだけでなくローマ・イランの美術の様式と技法が使われており、ギリシアよりむしろローマ文化の影響の方が強いのだとされる。

アレクサンドロス大王についても、様々な偉大な大王としての神話的・英雄的な逸話が今に語り継がれるが、その最大の理由はまさに大王死後の「後継者(ディアドコイ)戦争」にあった。アレクサンドロス大王が後継者を定めないまま遠征途上で死ぬと、側近たちは帝国の瓦解を防ぎ自分たちが生き残るため、大王の威信を頼りにした。後継者を巡って対立が始まり、各将軍が王国建設を開始すると、彼らは元々一将軍でしかなく血統や家柄には全く頼れないから、その王権の正統性を大王からの継続性に求めざるを得なかった。大王を英雄化し神格化することで、その後継者として自身を権威づけたのであった。ゆえに、死後、次々と大王について語られ、それらの多くは散逸したものの、さらにそれら文献・資料をもとにして二次的に描かれ、その後も繰り返し大王伝は様々な創作が加えられて、語り継がれることになる。

アレクサンドロス大王というと、自ら先頭に立って、世界の果てを目指してひたすら大軍勢を率いて、将兵みな心酔して反乱などもなく・・・と思われがちだが、むしろその実態は、粛清に次ぐ粛清、反乱に次ぐ反乱であった。自己を無謬化させ猜疑心に駆られる大王、重臣たちの権力闘争と裏切り、略奪と破壊と虐殺、血で血を洗う味方同士の対立と粛清を繰り返しながら、しかし立ちはだかる敵をことごとく下して、東へ東へと進み続けた。

アレクサンドロスの帝国とは何であったのか。著者はこう書いている。

『アレクサンドロスが頂点に君臨し、彼にのみ忠誠を尽くすマケドニア人とペルシア人が支配民族として帝国の統治にあたる。出身民族ではなく大王への忠誠が新たな支配体制の紐帯となり、それだけがこの空前の大帝国を支えることができるだろう。その意味でこの帝国は、アレクサンドロスただ一人の帝国と呼ぶ以外にないのである。』(P228)

『ナポレオンとは対照的に、いや古代ローマと比べても、アレクサンドロスの帝国には指導理念というものが見出せない。ここに彼の帝国の限界がある。それは、彼が自分一個の名声だけを、それも建設ではなくもっぱら征服活動によって追求したこと、アレクサンドロス帝国が徹頭徹尾、彼一人の帝国であったことに由来する限界である。』(P338)

アレクサンドロス帝国は多民族帝国であるとされる。それは、頂点にアレクサンドロスが君臨し、民族も家柄も地位も、さらには能力すらも関係なく、ただアレクサンドロス大王に対する忠誠心だけを基準にして構成された孤独な帝王による帝国であるがゆえに成立した。たった一人の帝国であるがゆえに、彼が死ねば雲散霧消せざるを得ない。

彼が追求した名声とは、古代ギリシアに支配的な『武勲と名誉こそすべてという一元的な価値観』(P349)であり、自身をヘラクレスなど古代ギリシアの神々に模して、その価値観に依拠していただけでなく、将兵にも求め、その発露を果てなき征服という形で実現させようとした。付いてこられなければ容赦なく切り捨てた。

アレクサンドロスの治世として歴史上画期となっているのが、彼が君主崇拝の先駆となったことであるという。それまで古代ギリシアでは偉大な功績を挙げた者が死後に神として崇拝されることはあっても、生前から神格化されることは無かった。しかし、アレクサンドロスは同時代人の宗教観を利用しつつ、自身を神として臣民が神に対するように服従することを求めた。『アレクサンドロスはみずからを神と信じる一方で、自己の神性を支配のために利用するだけの冷徹な頭脳をもっていた』(P303)。その後、ヘレニズム時代からローマ時代へと君主の生前崇拝は受け継がれ、『アレクサンドロスが一里塚を築いた君主崇拝は、君主制存続に不可欠な国家統合の手段をもたらしたといえる』(P308)

父王フィリッポス2世の統治と死からアレクサンドロス大王の東征、死後の混乱と後継者戦争に至るまでの過程など歴史の大きな流れも詳述されており、アレクサンドロス大王がいかに生きて死んだのか、その人柄、そして取り巻く人々の思惑なども目に見えるようである。そして英雄伝説が後世、文字通り「創られ」ていく過程も。

同書から少しネガティヴな面をここまで取り上げてしまった気がするが、アレクサンドロス大王の業績を否定するような趣旨の本ではない。むしろ、時代精神を象徴する英雄であり、その時代性から自由ではないがゆえに、厳然たる英雄として屹立していることを浮き彫りにしている。タイトル通り、アレクサンドロスの「征服」と「神話」についての好著である。

蛇足ですが、アニメfate/zeroでセイバーちゃんことアーサー王が「王は人の気持ちがわからない」と言われていたエピソードありましたけれど、むしろそれはアレクサンドロス大王のことですわな。実際似たようなこと言われて逆切れしているし。あと同作の英雄王ギルガメッシュの朕は国家なり的慢心キャラクターはむしろ実際のアレクサンドロス大王の方が近かったんじゃないかと思ったりもします。アレクサンドロス大王は実際はすごくはた迷惑で、決して近づきたくないタイプの(それゆえにやたら魅力的な)あんちゃんですね。

追記。本記事は2007年講談社刊版を参照しておりますが、2016年2月、講談社学術文庫から再刊されています。

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