「憲法で読むアメリカ史」阿川 尚之 著

アメリカ政治を語る上で欠かせないのが司法の動向である。違憲立法審査が形骸化し、せいぜい刑事事件でしか馴染みがない日本の裁判からは想像できないことだろうが、アメリカでは多種多様な法律について訴訟が提起され最高裁判所が違憲・合憲の判断を行い、その判決が時にはアメリカの政治・経済・社会の動向を大きく左右する。

本書は、その強い司法がいかにして成立したのか、また憲法を巡る判断がアメリカ史にどのように影響を及ぼしたのかについて、憲法と司法からみた建国から現代までのアメリカの歴史を通観する、非常に勉強になるぜひとも読んでおきたい米国憲法史入門本である。特に日本人にはあまりなじみが無い米国史上の代表的な裁判官の人となりも深く描かれ米国裁判官列伝の様相で、憲法史入門としてだけでなく読み物としてもとても面白い。

残念ながら絶版のようなので、いや、これ絶版にしたらいかんだろレベルの本だと思うのだけれど、古書なり図書館なりでお求めください。著者があとがきで「アメリカ憲法の知識が無い一般の日本人が読める合衆国憲法史に関する手軽な本が、ほかに見当たらないから」と執筆の理由を語っているが、確かに本格的な専門書はあっても他に手軽な本って見当たらない。他の米国政治関連の書籍で、様々な書籍を差し置いて最初に必読本として挙げられているぐらいには定番になっているようなので、上下巻を一冊にして再販を希望したい。また、WEB上で「憲法で読むアメリカ史 NTT出版Webマガジン -Web nttpub-」という連載が行われており、丁度本書の三十章以降をより詳しく書いた内容のようだ。こちらはまだ読んでいないのであとで読む。

目次だけでも憲法を巡るアメリカ史の大きな流れがわかる。

第一章 最高裁、大統領を選ぶ 一
第二章 最高裁、大統領を選ぶ 二
第三章 アメリカ合衆国憲法の誕生
第四章 憲法批准と「ザ・フェデラリスト」
第五章 憲法を解釈するのはだれか
第六章 マーシャル判事と連邦の優越
第七章 チェロキー事件と涙の道 一
第八章 チェロキー事件と涙の道 二
第九章 黒人奴隷とアメリカ憲法
第十章 奴隷問題の変質と南北間の緊張
第十一章 合衆国の拡大と奴隷問題
第十二章 ドレッド・スコット事件
第十三章 南北戦争への序曲
第十四章 連邦分裂と南北戦争の始まり
第十五章 南北戦争と憲法
第十六章 南北戦争の終結と南部再建の始まり
第十七章 南部占領と改革計画の終了
第十八章 南北戦争後の最高裁
第十九章 最高裁と新しい憲法修正条項の解釈
第二十章 アメリカの発展と新しい憲法問題
第二十一章 経済活動の規制とデュープロセス
第二十二章 レッセフェールと新しい司法思想の誕生
第二十三章 行政国家の誕生と憲法
第二十四章 ニューディールと憲法革命 一
第二十五章 ニューディールと憲法革命 二
第二十六章 第二次世界大戦と大統領の権限
第二十七章 自由と平等――新しい司法審査のかたち
第二十八章 冷戦と基本的人権の保護
第二十九章 ウォレン・コートと進歩的憲法解釈
第三十章 保守化する最高裁と進歩派の抵抗
第三十一章 今日の合衆国最高裁

最初の一、二章は話の枕として直近での最高裁がアメリカ政治に強い影響を及ぼした例として史上まれにみる僅差となった2000年の大統領選挙の勝敗を巡る「ブッシュ対ゴア事件」裁判を通じての最高裁の判断と意見対立の様相が詳述される。まさにその裁判の過程から浮かび上がるのが、司法は司法判断を通して政治をはじめとして社会に積極的に介入すべきか、価値判断から中立であるべきかという司法の在り方を巡る対立であり、また大統領の選任すらも行い得る司法の強力さである。

以後、建国から現代まで上記の目次の通り時代ごとの重要な事件を通して司法と政治・社会への影響が描かれる。米国憲法史の重要な転換点としては、第一に建国時の憲法制定がある。憲法制定後、司法権を確立したのが第四代連邦最高裁判所長官に就任したジョン・マーシャルで法の専門家では無かったが、何より調整力と文章力に秀でて様々な判決を通して司法の独立を成し遂げた。後に日本国憲法にも採用される司法審査(違憲立法審査)権の確立も彼の功績である。

米国草創期の憲法を巡る議論については先日『「ザ・フェデラリスト」A.ハミルトン J.ジェイ J.マディソン 著』に書いたのでこちらもあわせてどうぞ。

第二に、マーシャル以後、米国は次第に南北に分裂の様相を呈し、対立が決定的となった結果勃発したのが南北戦争で、同時にこの内戦が憲法史においても大転換点となった。南北戦争の終結を契機に連邦の優越が決定的となり州と連邦の関係性は建国時の緩やかな連合から垂直的な関係へと変質する。その後、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて司法は政府を巡る契約の自由の問題や、財産権の保護などが主要な問題となった。レッセフェール思想に基づく経済活動の自由か、進歩思想に基づく平等や福祉実現のための権利の制限か、両者の間を揺れ動きながら司法は様々な判断を行い、内戦勃発に大きな影響を及ぼした黒人奴隷を市民として認めずその所有を合憲としたドレッド・スコット事件裁判によって失墜した地位を徐々に回復し米国社会で揺るぎない地位を確立する。

第三の転換点が、フランクリン・ローズベルト大統領による大恐慌脱出のための一連のニューディール政策である。大恐慌と続く第二次世界大戦という非常時において最高裁は激しく大統領と対立し、最終的にその大権を認める方向に転換する。ニューディール政策の容認はそれまで経済活動の自由や財産権の保護を重視していた方針からの一大転換で、憲法革命と呼ばれた。南北戦争以後連邦政府と州は垂直的関係に変化していたが、それが強化され各州に広く連邦政府の規制の目が張り巡らされ州の独自性が著しく低下する。

独裁的な大統領大権に基づく戦時体制の抑圧を経て、その延長線上に、司法における自由を巡る判断の対象が財産や契約などの経済的自由から、政府と個人との関係を中心とした個人の自由への大きな変化がある。基本的人権が重んじられ、思想や言論の自由、差別の問題について積極的に容認する司法判断が下されるようになる。米国司法における強い行政権の容認と個人の権利の重視傾向とは同じ土壌で育まれた。六〇年代、公民権運動や女性運動などを経て次々と権利が認められ、権利のあり方を巡って国内は騒然となり、その反動として七〇年代以降の保守化があり、以後、保守とリベラルとの絶妙なバランス感覚に立ちつつ、米国司法は強力な権限を育んでいる。

ここで簡単にまとめたアウトラインだけではたぶん米国における憲法と社会の関係は全くわからないだろう。米国の司法がいかに社会に根付いたか、いかに米国において憲法が重要であり、その解釈を巡る対立が時に内戦すらも巻き起こしたのか、憲法を通じて政治、経済、社会はいかに大きく突き動かされたか、本書を通じてその具体例をぜひ読んでみて欲しいところだ。

本書はブッシュ政権第一期までで終わるがその後の直近な例としてティーパーティ運動を挙げてみよう。米国のティーパーティ運動の本質は草の根の護憲運動である。ティーパーティ運動内の主要勢力でリバタリアンとして知られるロン・ポールとランド・ポールの親子などを初めとして、ティーパーティ運動の主要団体は憲法の修正条項を認めない原意主義的傾向を大なり小なり持っている。憲法保守とも呼ばれる。連邦主義に対する州や個人の権利、経済活動のレッセフェール的な自由を強く訴え、その根拠として憲法を重視する。日本の保守派が改憲を重視して、時に明治憲法的な権威体制への回帰を望むのと逆に、米国の保守派は護憲を重視して、米国建国時の分権的で自治的な状態への回帰を望む。あるいは近年のサンデルブームなど法哲学の隆盛を挙げてもよいが、現代的なアメリカ社会のトピックを理解するのに、米国憲法史に触れるのは非常に重要だという一例である。

というわけで、最近読んだ本の中では抜群におすすめの一冊、なのだけど、返す返すも絶版が惜しい。kindle化リクエストだけでもしておこう。ちなみに著者の阿川尚之教授はタレント・作家の阿川佐和子さんのお兄さん。

追記
「ちくま学芸文庫」から2013年11月に再販されました。

タイトルとURLをコピーしました