「ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在」鎌田 遵 著

まず呼称について、「インディアン」とは周知の通り1492年にコロンブスが「新」大陸を「発見」したときにカリブ海のサンサルバドル島をインドと勘違いして呼び始めた呼称で、以後新大陸の先住民をインディオ、インディアンなどと呼ぶようになった。これについては、侵略者からの勘違いに基づく呼称で、かつ歴史的に侮蔑的な意味合いを持つことも少なくなかった言葉を使うのが妥当かどうかという議論があり、1960年代以降、「ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)」への言い換えが提唱されたが、「ネイティブ・アメリカン」だと、例えばアラスカの先住民(イヌイット)やハワイの先住民なども含むことになり、狭義の、アメリカ建国以降白人社会拡大の過程で直接攻撃に晒され、強制移住や同化政策による虐殺、抑圧、差別を受けた集団を直接指すには曖昧といえた。

逆にインディアンという自己認識を持つ先住民も少なくなく、また、「ネイティブ・アメリカン」も「アメリカ・インディアン」もともに白人社会からの呼称でしかないという批判もある。どちらの呼称もその是非について議論が分かれるところで、どちらを使うにしても差別的という批判は否めない。適切なのは各部族が自称する部族名を使うということになるが、これも後述するように複雑な背景があって単純な問題ではない。また、部族毎だけでなくアメリカ大陸で白人社会からの侵略・抑圧という同様の体験をした集団としての総称の必要性もあり、現時点では「ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)」か「アメリカ・インディアン」をその語が内包する差別性と批判を承知の上で使うというところに落ち着かざるを得ない。

一応アマゾンなどを見ると邦訳の書籍のうち専門書は「アメリカ・インディアン」を使う方が多く、一般書は「ネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)」を使う方が多いように見えるが、あくまで印象である。本書では「ネイティブ・アメリカン」または「先住民」を使っているので、この記事ではそれに準じて使用する。と、前置きだけで1000文字超えてしまった。

ネイティブ・アメリカン(アメリカ・インディアン)史を端的にまとめると、十七世紀から十八世紀にかけて新大陸は欧州列強、特に英国とフランスの植民地争奪戦の主戦場となった。両国の狭間で先住民は部族毎に英仏と合従連衡を繰り返して生き残りを図ったが、「七年戦争(フレンチ・インディアン戦争)」を契機にフランスが新大陸から一掃され、英国対先住民の構図となり、独立戦争によって英国も新大陸から撤退、新興国米国が英国に変わる。先住民でも抗戦、恭順、中立・独立維持、近代化など部族毎に政策は異なり、その間にも彼我の差は開く一方で1830年代にはジャクソン大統領下で強制移住政策が実施、以後逆らう先住民に対する攻撃と同化政策によって、先住民人口は激減した。1492以前の先住民人口は90万人~1800万人と諸説あるが、本書では5~700万人という説が取られている。また別の書籍「多文化主義とは何か」によると、十七世紀初頭で3~400万人とされる。これが1890年の人口統計では約25万人にまで減少。特に強制移住後、十九世紀後半の征服戦争と同化政策で多くの先住民が命を落としており、米国政府は、先住民に対して二十世紀に「虐殺(ジェノサイド)」「民族浄化(エスニック・クレンジング)」などという言葉で表現されるようになるのと同様の行為を自由・民主主義そして人道的保護の名の下に行い続けた。

膨張する白人社会の拡大のため移住させられた先住民は、劣悪な環境の居留地に集住させられた。これらは部族毎に与えられたのではなく、一つの居留地に複数の歴史も文化も違う部族をまとめて集められたものだ。

例えば日本でも有名なアパッチ系部族は1873年にメスカレロ・アパッチ居留地に集められた諸部族からなる。実はアパッチ族という部族は存在しない。メスカレロ・アパッチ族、チリカワ・アパッチ族、リバン・アパッチ族という三つの部族を一まとめにしてメスカレロ・アパッチ族が生活圏としていた一部に設けられたものだ。彼らは全く別の文化と歴史を持ち、共通の部族という自己認識も無かった。『三部族が連邦政府の都合によってひとまとめにされ、現在はひとつの居留地で生活し、部族国家という「単位」をもつにいたった』(P41)。現在でもメスカレロ、チリカワ、リバンそれぞれの部族名が部族のアイデンティティであるという。有名なジェロニモ(ゴヤトレイ)はチリカワ・アパッチ族の人物である。ただし、「ジェロニモ」は戦ったメキシコ人が死に際して聖ジェロームとキリスト教の聖人の名を呼んだことから名付けられたもので、チリカワの言葉では「ゴヤトレイ」と呼ばれているという。

あるいはゴシュート連合部族居留地はゴシュート族、ウェスタン・ショショーニ族、サザン・パイユーツ族の分派集団をひとまとめにして集住させ連合部族としたもので、同様の「連合」部族居留地が各地に多数形成されている。また、白人につけられた部族名ゆえに、それを改名しようとする部族も少なくない。冒頭で書いた「複雑な問題」とはこういうことだ。多くは強制移住後に無理やりまとめられた生活単位であり、彼らを部族名で呼ぶとしても、その歴史や経緯、部族のアイデンティティが一つ一つ違うため、何と呼ぶのが適切かは単純に割り切れるものではなく、丁寧に調べていく必要がある。

居留地はいずれも劣悪な環境で、1887年の「ドーズ法」施行以降1934年にかけてさらに居留地は狭められ、分断される。一方で、ドーズ法によって土地を与えられた先住民には市民権が与えられる。1924年の「インディアン市民権法」は第一次大戦に従軍した先住民兵士に市民権を付与したもので、教育と義務の履行などの同化政策を経てアメリカ人になる仕組みが整えられていた。1934年、大恐慌後によって先住民対策は居留地ごとの自治自立化へと方針転換がされる。「インディアン再組織法」によって部族政府と連邦政府との相互的な関係が整えられ、それぞれ居留地は若干の自治権を与えられ、議会と独自の部族政府を持つようになった。その後、部族政府を通じて第二次大戦に多くの先住民が徴兵され、あるいは進んで従軍している。戦後、再び自治権縮小へと連邦政府の方針が転じるが、公民権運動に触発されての60年代以降の「汎インディアン(レッドパワー)運動」で市民権と自治権の獲得運動が進められ、それぞれ合衆国内に居留地を前提とした固有の領地と独自の部族政府と部族憲法を初めとした法体系を持つ部族国家が誕生、現在へと繋がってくる。

現在、米国には320の先住民居留地があり、連邦政府から承認を受けた先住民部族は562で半数近くは居留地を持たない。各部族が代表者としての部族長(部族大統領、部族知事)を選出、部族政府は連邦政府との外交関係を持ち、司法・行政・立法を統括して自治権を持つが、連邦政府の信託下におかれ「国内の従属国家(Domestic Dependent Nation)」と位置づけられる。自治権は「条件付きの自治権(Quasi Sovereignty)」と呼ばれ、民事法は部族法が、凶悪犯罪は連邦法が適用されるほか、地理的には各州の中にあるので特に経済問題や産業廃棄物等の迷惑施設について州政府の介入も少なくない。

先住民かどうかは、連邦政府が認定した部族政府から部族員としての認定を受けることによって決まる。部族員認定条件は部族政府毎に違うが、原則、「血の濃さ」で決まる。父と母のどちらかが同族である必要がある(二分の一)とする部族から十六分の一まで様々だが、八割以上が四分の一を基準とする。厳格なまでの血統主義が適用され、自己認識は先住民でありながら、あるいは特定の部族アイデンティティを持ちながら、いずれにも所属できず宙ぶらりんな状態になるという例も多く、かつて共通の文化や社会関係であれば同部族とされた緩やかな先住民文化とは正反対の現状には批判も多いという。

これに貧困と格差、人種差別問題が深く絡む。2000年時点で先住民人口は2,475,956人で、同年から複数人種の申告が可能となったことからそれらを含めた総数は4,119,301人になる。しかし、1999年の調査では先住民の貧困率は25.7%と黒人(24.9%)をぬいて米国で最も高く全米平均(12.4%)の二倍以上に及ぶ。また2003年の調査では失業率は49%で、さらに職に就いている人のうち32%が低賃金労働を余儀なくされて貧困層となっている。さらに貧困ゆえに著しく高いのが疾病率で、中でも死因の5.7%が糖尿病(全米平均3.1%)となっている。先住民の伝統的食生活は貧困の中で破壊され、低価格高カロリー食品の摂取を余儀なくされているためだ。さらにアルコール依存、ドラッグ依存が蔓延し、アルコール依存症の死亡率は全米平均の七倍、ドラッグは特にメキシコから輸入されるメスアンフェタミン(ヒロポン)が広く蔓延して過去一年にメスアンフェタミンを使用した率は二位の白人0.7%を大きく引き離して先住民1.7%に上る。さらに各居留地では先住民ギャングの組織化が進み、94年に181だった先住民ギャング組織は2000年には520組織にまで激増、92-98年に全米で殺人事件数は37%減少したが、同時期、居留地では50%増で治安の悪化が深刻な問題となっている。

深刻な財政難に悩む各部族政府は積極的に経済開発に乗り出すが、特に第二次大戦中から多くの居留地の近くにウランの埋蔵が確認されるとウラン鉱山が次々と作られ、核実験施設や核廃棄物処分場が次々と設置された。ロスアラモス研究所、ネバダ研究所などはいずれも居留地と隣接した地域である。さらに、経済難にあえぐ部族政府は雇用創出のため産業廃棄物処分場や原子力発電所の誘致を積極的に繰り返し、周辺の州と衝突することも多い。『当事者である部族からしてみれば、長いスパンで考える環境保全よりも、いまの世代がどう食べていくかという、切実な問題に直面しながらの決断だった。』(P191)

多くの先住民が貧困にあえぎ、苦渋の選択で産廃施設や原発の誘致に乗り出す部族がある一方で、経済的に大成功している部族もある。フロリダ州のセミノール族を始めとしてカジノ経営に乗り出す部族も少なくない。1970年代、連邦政府は部族国家の自立を促すためカジノ産業への参入を促進、224の部族がカジノ経営に乗り出し387のカジノが存在、2006年には部族経営カジノの総収入は250億ドルで全米の賭博関連産業の総収入の42%を占めている。しかし、成功しているのはごくわずかで、2億5000万ドル以上の収入を得ているのは23施設で、この23施設で先住民が経営するカジノの総収入の44%を占める。ごく選ばれた成功した部族は莫大な収入からの配当金を受け取る。セミノール族は年間45,000ドルを部族員一人一人に分配、部族の社会インフラを整備し、2006年にはハード・ロック・カフェの買収にも乗り出して経営を拡大させている。

日々食うや食わずの貧困生活送る大多数の先住民とカジノ経営の配当金で一躍大富豪になった先住民という部族間格差は拡大する一方で、先住民全体に対する差別と偏見は一向に減らない。特に「カジノ経営で荒稼ぎ」「環境破壊」「アルコール依存」「福祉を食い物にする」といったネガティブイメージが強化され、貧困からなんとか立ち直ろうとする人々への風当たりも強い。また、カジノで成功した部族ではギャンブル依存症が社会問題化し、みな働かなくなり、また潤沢な資金によって次々と進められる社会インフラの整備は都市化を推し進め、古い先住民文化を急速に喪失させていることなど富裕ゆえの問題も多い。

この本から浮かび上がるのは、アメリカンドリームという名の先住民に対する苛烈なジェノサイドの歴史であり、民族自決の名の下に責任を放棄して現代まで問題を拡大させ続ける、アメリカのもう一つの姿である。

歴史と現状の問題点だけピンポイントでまとめたが、他にもメディアを通じて作られる先住民像が起こす諸問題であったり、同化政策のプロセスであったり、様々な部族国家の生き残り策であったりと話題は多岐に上る。様々な話題を通じて著者の積極的なフィールドワークに基づく現在の「ネイティブ・アメリカン」の姿が様々なエピソードや当事者のインタビューとともに描かれており、新書ながら非常にまとまった良書だと思う。植民地問題やマイノリティ問題だけでなく、格差と貧困問題や、アメリカ社会が抱える闇の一面を捉える面からも、「ネイティブ・アメリカン」についての問題を把握する良質な入門書として一読をおすすめしたい。

記事をまとめるにあたっては、本書とは別にいくつかの書籍を参考にしているので、参考書籍としてあわせて挙げておく。「ネイティブ・アメリカン」「アメリカ・インディアン」の呼称問題については本書の「はじめにiv」とともにアンドレア・センプリーニ著「多文化主義とは何か」を参照

参考書籍
・アンドレア・センプリーニ著「多文化主義とは何か (文庫クセジュ)
・鵜月 裕典 著「不実な父親・抗う子供たち―19世紀アメリカによる強制移住政策とインディアン
・阿川 尚之 著「憲法で読むアメリカ史
・ウィリアム・T. ヘーガン 著「アメリカ・インディアン史 第3版
・紀平 英作他編著「世界の歴史 (23) アメリカ合衆国の膨張 (中公文庫)
・本間 長世 著「共和国アメリカの誕生―ワシントンと建国の理念

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