「道教の世界――宇宙の仕組みと不老不死」ヴァンサン・ゴーセール&カロリーヌ・ジス 著

道教というと非常に漠然と――いや「茫洋とした」という方がよりしっくりくるか――した印象を受ける宗教だが、この本はその道教の歴史・文化・思想について図表や写真をふんだんに使ってコンパクトにまとめた道教の世界観についての入門書である。道教については調べたいと思いつつ詳しく知らないままだったこともあって新鮮な気持ちで読んだ。著者は二人ともフランス人だが、実は道教研究をリードしてきたのはフランスなので、内容は本格的でかつ非常にわかりやすくまとまっていた。

日本の民間信仰を色々調べていると道教の影響が非常に強いことに驚かされる。特に江戸時代に大流行した庚申信仰はその最たるもので、現在では信仰自体はほぼ廃れたと言って良いが、今でも散歩していると神社仏閣をはじめ各地にその跡は見られる。これまで日本の文化や信仰に対する道教の影響というのは、神道が日本の基層信仰であるというある種のドグマもあって、学問的にはあまり研究されてこなかった分野であったらしい。だが、古事記日本書紀にもその影響は色濃いし、神道以前の神祇信仰がそもそも山岳信仰的で道教の影響があったと言われているし、陰陽道はまさに道教思想の日本的解釈でもあったとされている。

どのようなかたちで道教が渡来して日本の民間信仰と交わりあるいは形を変えていったのかは、非常に大きな日本宗教史のテーマだと思うが、(まだちゃんと調べたわけではないので印象論だが)日本宗教史は仏教史や神道史、儒教史の研究がメインストリームで、日本史における道教の影響研究の本は多くはなさそうだ。それはこの本でも描かれる道教の捉えがたさというのもあるのだろう。

道教の歴史についてはこの本やその他各種入門・概説書、あるいはwikipediaなどにも結構詳しく書かれていて、wikipediaにしては参照文献が豊富で結構信頼度高そうなので参照してもらえばいいが、前八世紀から前三世紀にかけて自然発生的に登場した「道」の観念が前一世紀ごろまでに統一した流派を形成するようになり、その過程で「老子」と「荘子」に対する信仰として整理されたとされている。「荘子」は実在していたようだが、「老子」は実在していたかはっきりしない。

本書によると、どうやら古代中国の信仰として一つには厳格な社会序列を重視し先祖に生け贄を捧げる儀式を執り行うものと、平等と個人の救済を志向し、やがて俗世を超越して不老不死を目指すことを重視するものとがあったらしい。前者が儒教へと体系化され、後者が道教へと発展したと考えられている。このヒエラルキーか平等かという対比は儒教と道教に限らず世界中の様々な宗教・宗派の特徴としてもよく類型化されるものでもあり、面白い。

さらに興味深いのは平等を志向したはずの道教が、発展していく過程で登場した様々な教団では厳格な階級制を採るようになっていったということだった。二世紀に登場した五斗米道などがそうだ。一方で統一された組織や教義が形成されたわけではなく、拡大する過程で中国各地の地方神や民間信仰と習合し、非常に多様な形態で道教が中国社会に浸透したという点も特徴として挙げられる。

様々な流派によって全く違う道教の姿があるが、共通概念として存在するものとして「道」「気」「陰陽」「五行」「八卦」がある。「気」は生命の原動力でその源が「元気」と呼ばれ、その「元気」が様々に組み合わさることで宇宙を形作り、「万物」に命を与え原初の「混沌」に「秩序」が与えられた。「陰陽」と「気」との働きによって絶えず宇宙は変化するから、何もしないこと=「無為」が重要視される。このような道教の無為思想は「良い政府とは、物事の自然な流れに介入しないよう注意を払う政府」(P41)だというある種の小さな政府観として政治にも大きな影響を与えたという。また、道教の文書主義は中国官僚制の基本となり、儒教、仏教とともに三教と呼ばれて相互に影響を与え時に対立しつつ補完し合う思想として、中国の政治・社会・文化に浸透した。

このあたりは道教思想の共通概念を簡潔に単純化した記述なので様々な流派や思想、書籍によってその理解には違いがある、はずだ。僕も詳しくないので上手く言葉に出来ないが読みながら微妙に違和感は覚えたので。本書の道教の宇宙論の解説のあたりは中立的に記述するあまり、何かが抜け落ちているような、いないような。まぁ、このあたりの違和感の正体はより道教について調べていく過程で氷解するでしょうたぶん。

また、政治における支配的思想としての道教よりも、民間信仰との雑多な混ざり合いにこそ道教の本領が発揮されているのだと思うが、さすがに100ページに満たない本書ではその豊饒さ多様さについては写真や図表がその役割を担っていて、記述としては描き切れていない。まぁ、描き切れていないからこそ興味が湧くというもので、様々な道教関連本・古典を読む欲求が芽生えるのは確かだ。そういう意味で入門書の役割は充分に果たしている。とりあえずの入門書としては最低限の知識がまとまっている良書かな、と思う。って、茫洋たる道教に「最低限の知識」などという概念が存在するのかと言われるとそれはぐう。

という夢を見たのさ。

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