「ドキュメント 戦争広告代理店」高木 徹 著

通常、PR企業は民間企業をクライアントとする。しかし、米国の大手PR企業ルーダー・フィン社の国際政治部長ジェームズ(ジム)・ハーフが得意としたのは、外国の政府をクライアントとして国際政治の舞台でその国の利益を最大化する国家PR戦略だった。その辣腕は九〇年代に深刻化するユーゴスラヴィア紛争の趨勢を大きく左右することになった。

1992年、独立したばかりの小国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国のシライジッチ外相とクライアント契約を結んだハーフは、当時どこからも注目を集めることなくセルビアとの戦争で孤立していた同国の国益を守り、戦争を有利に展開させるため国際社会の注目を集める様々な戦略を打っていく。そのボスニア・ヘルツェゴヴィナとルーダー・フィン社によって展開された情報戦争の過程を丁寧に追ったドキュメンタリー。

1991年のセルビアとクロアチアの戦争を皮切りにして泥沼化した一連のユーゴスラヴィア紛争(前哨戦としてユーゴ政府軍とスロヴェニア軍の十日間戦争がある)は湾岸戦争とともに、ポスト冷戦期の戦争を、メディアが瞬時に世界中に戦況を報じ、かつてないほどに当事者が様々なプロパガンダを駆使し、メディアをコントロールして、国際世論を喚起する情報戦争として特徴付けた。情報戦争としての側面が強まったのは一つにはメディアインフラの発達が背景にあるが、それ以上に、ポスト冷戦期の戦争が本質的に「価値をめぐる戦争」(トニー・ブレア英国首相)(門奈「現代の戦争報道」P173)であるからだろう。

冷戦下であれば東西両陣営ともに、その陣営に属していることがすなわち戦争の大義であったが、冷戦が終了し、社会主義体制が崩壊し自由民主主義体制の勝利が確定すると戦争を起こす正当性は特定陣営への所属ではなく、自由や民主主義の防衛という「価値」が前面に押し出されてくる。冷戦下で米国はその価値を前面に押し出して正当性を確保したが、それと同様の努力が、小国に至るまで求められることになる。自国・自勢力こそが人道主義的な自由と平等と民主主義体制の擁護者であり、敵はそれを脅かす「専制体制」「全体主義」といった脅威であることを訴えなければならない。それによって国際世論は正義感を喚起され、「人道的介入」の大義を得る。

非常に滑稽で戯画的なことだが、その手法はいかに敵が「アドルフ・ヒトラー」的であるかをアピールすることができるか、ということになる。本書でも、ジム・ハーフとボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国のPR戦略の例は敵を「ヒトラー」「全体主義」に模す様々なテクニックに満ちている。

例えば「民族浄化(エスニック・クレンジング)」という言葉は、それまで殆ど使われていない言葉であったが、ボスニア戦争でハーフがマーケティング戦略に基づいて浸透させたものだ。「民族浄化(エスニック・クレンジング)」が、サラエボで市民が殺されている、その「基本的人権の侵害」の様をダイレクトに伝える言葉として「虐殺(ジェノサイド)」や「ホロコースト」に変わって選ばれた理由は、その曖昧さと言葉のインパクトだ。「民族浄化」というとき、それは「虐殺(ジェノサイド)」だけではなく、強制移住や同化政策、殺害など広い範囲の意味を持つ。もう一つはクレンジングが『より日常的な場面で「汚れを落とす」というときに用いられる』(P120)表現だからだ。ジム・ハーフの部下ジム・マザレラは著者のインタビューで『エスニック・クレンジングのほうがより”chilling(心をぞっとさせる)”な響きを持っているんですよ』(高木P120)という。

あわせて、ナチスを類推させる目的のためにも「民族浄化」という言葉は都合が良かった。「ホロコースト」という言葉もまた、「民族浄化」と同じ用途で使われるが、あえて「民族浄化」に言い換えたのは、その言葉がむしろユダヤ人社会を始め国際社会に強い嫌悪感と反発を巻き起こす可能性があったからだ。ホロコーストという言葉は非常に重い意味を持っている。つまり、ナチスやホロコーストという言葉を使わずに、ボスニア戦争で起きている悲劇を表現するためのナチスを類推させるインパクトを持つ言葉として民族浄化が選ばれた。ジム・ハーフは言う。

『私たちは、ホロコーストのかわりに別の表現を見つけださなくてはならなかったのです。それがたとえば”民族浄化”だったんです』(高木P117)

一方で、「強制収容所」という言葉はナチスを強烈に象徴するが、「民族浄化」のときとは打って変わって敢えてこの言葉を使うことを選んでいる。正確には、本人たちは使っていないが、他のジャーナリストがボスニア内にあったセルビア側の捕虜収容施設を「強制収容所」と呼ぶように仕向けている。金網越しのやせた捕虜の写真をスクープさせ(これは後にでっちあげと判明した)、メディアが一斉に強制収容所の存在を書き立て、インタビューに対して「強制収容所」は無いと主張する国連軍元司令官の弱みを握って巧みに失脚させる。

あざやかなPR戦略で、当初興味を示さなかった国際世論は一気に沸騰し、米国の大統領選挙も絡んで大規模な平和維持軍が派遣され、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国が戦局を有利に進めた。「民族浄化」はボスニア側も行っていたし、「強制収容所」の存在は確認できないままだし、セルビアのミロシェヴィッチ体制と同程度にボスニアのイセトベゴヴィッチ体制も独裁的だった。

弱くて戦略的重要性が低い小国が国際世論の注目を一身に集めて戦局をひっくり返すほどに、PR戦略の重要性が発揮された戦争であったことがこの本から浮き彫りになる。

ボスニア戦争は確かに、国際世論の介入が必要な泥沼の紛争であり、多くの罪もない市民が次々と死に至らしめられ、後に大規模虐殺すら起こる悲惨な事態であったが、しかし、その注目度は常軌を逸していた。その過剰な注目の裏で見捨てられたもう一つの悲劇があったことも敢えて付け加えておく必要があるだろう。ボスニア戦争を契機として国連軍はコソヴォ紛争にも積極的に介入を行っていくが、一方で、アフリカの小国ルワンダでの内戦はほぼ見捨てられた格好となっていた。

94年4月にルワンダで虐殺が始まった時、ルワンダに展開する国連平和維持軍はわずか354人、しかも虐殺の兆候があることが報告され一度は5000名の増員が検討されていながら、同月初めに2500人から270人へと人員の大幅削減が国連決議されていた。同時期、ユーゴには四万名余が展開している。最上は「人道的介入」でこう指摘している。

 『失敗の原因は複合的であり、どれかひとつに絞れるわけではない。また、ひとつひとつの原因について、逐一その反対のことをしていけばすべてはうまくいった、と結論できるわけもない。そのことを踏まえた上で、とりわけ大きな問題点を挙げるなら、そもそもこの地域での平和維持活動が、安保理にとって本当には重視されていなかったと思われることである。』(「人道的介入」P65)

百万人にも上る史上最悪の虐殺は、もっと国際世論が注目し、国連が重視して、大規模な展開をしていたら、防げた可能性が非常に高かった。

『長年にわたる部族間の怨念の衝突なのだから防ぎようがなかった、というのは誤っている。国際社会が防ぐよう求められていたのは、噴出する歴史的怨念そのものではなく、斧や鎌を用いた殺人だったからである。』(最上「人道的介入」P69)

ユーゴとルワンダとはより密接に関連付けて考えられなければならないし、さらには、ユーゴ紛争以降、繰り返される対テロ戦争、イラク戦争といった「価値をめぐる情報戦争」の姿への視点も持つ必要がある。そのいずれもが、それこそシリア内戦に至るまで、常に「われわれ」の敵は「アドルフ・ヒトラー」であったし、今や世界中で「かれら」をヒトラーに類推する言説で溢れつつある。自身の正しさの証明のためにわかりやすい敵を作り訴えるという一つの例である。

本書はユーゴ紛争での例として非常に興味深いドキュメントであるだけではなく、現代の戦争のあり方を鋭く浮き彫りにする。それは現代の戦争の情報戦争としての側面であり、メディア・ジャーナリズムのあり方であり、そしてポスト冷戦期の国際社会の「価値」とは何かということだ。この本の中で描かれる様々な情報戦争の姿を、国際社会の中に位置づけて読むことで、国際政治を見る目は大きく養われるのではないかと思う。ユーゴ紛争についての書籍でこの本を取り上げないものはほぼ見当たらないほどの一冊だ。

参考書籍

最上 敏樹 著「人道的介入―正義の武力行使はあるか (岩波新書)
門奈 直樹 著「現代の戦争報道 (岩波新書)
山内 進 編著「「正しい戦争」という思想
佐原 徹哉 著「ボスニア内戦 [国際社会と現代史] (国際社会と現代史)
柴 宜弘 著「ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)

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