「ロシア・ロマノフ王朝の大地 (興亡の世界史)」土肥 恒之 著

ロマノフ朝ロシア帝国300年の歴史を、『宮廷の動きだけを追った「王朝史」ではなく、皇帝たちの動きを一般の社会と民衆とのかかわりのなかで考える』(P348)社会史的視点からの非常によくまとまった帝政ロシア史の一冊。

ロシアは最初からその広大な領域をもって誕生したわけではない。十六世紀半ば、ロマノフ朝の前リューリク朝のイヴァン雷帝によるカザン・ハン国の征服による「タタールのくびき」からの脱出を契機としての東方への「植民」と侵略によって、十九世紀末まで、およそ300年かけてその領土を獲得していく。つまり最大の版図を成し遂げたのとほぼ同時に、帝政ロシアは崩壊したことになる。

西欧諸国の領土拡大がキリスト教的使命感や経済的利益の獲得にあったのに対して、ロシアのそれは安全保障の要因が非常に強かったという。常に騎馬遊牧民の諸勢力の脅威に晒され、次々と軍事的防衛線となる城壁を築きながら軍事力を蓄え、十八世紀以降東方へ、南方へと軍を進めていく。

「植民」はその領土拡大と一体のものとして進められた。

『「植民」は次のようなパターンで進められた。まず「武装した入植者」がフロンティアに派遣され、ひとまず安全が確保されると貴族や出自の低い貴族たちに土地が分与された。この辺境の肥沃な大地を耕すために貴族たちは中央部の領地から自分の農民を強制移住させたが、豊かで未開な土地を目指して不法に移住する人びと、つまり逃亡農民も少なくなかった。』(P22)

騎馬遊牧民たちは土地を追われることになり、やがて大規模な反乱が幾度も起こり、武力衝突と鎮圧の繰り返しの果てに徐々にロシア帝国に統合されていく。

「植民」は果たしてロシアを豊かにしたのか、というと必ずしもそうとはいえない。広大な未開拓の土地の存在は、農民たちにとって常に植民の可能性が開けていたことになる。農奴制が敷かれて領主たちの強い支配と搾取に置かれていた農民たちの間には移住を理想化する傾向が見られるようになり、『少しでも土地が狭隘になると、農民たちは移住した』(P352)が、『農民たちは新しいゆたかな土地に「旧来の農法」を持ちこんだ。つまり彼らは人口増加に農業集約化と増産によって対処するのではなく、いつも移住によって問題の解決を図ったのである。』(P353)結果として、農業の集約化や農業生産の増大など農業の近代化を阻むこととなり、『領土拡大は人口増加がもたらす効果を無にした』(P353)

農民同様、都市も西欧と違い自治自立の道を選ばなかった。要塞として始まった諸都市は軍事的役割が無くなって、主導権が商人に移っても、ツァーリ(皇帝)の強い専制支配を前提として、『都市は専制に仕える「担税共同体」としての性格を持ちつづけた』(P354)。西欧において、都市の自治が市民社会を形作る基礎となったが、ロシアにおいてそれは芽生えなかった。ロシアの諸都市は十九世紀まで「脆弱な社会」であり続けた。十九世紀、「脆弱な社会」に欧州から輸入された自由と平等の観念が、やがて社会主義運動へと形を変えて帝政を突き動かすことになる。

「脆弱な社会」の一方で、「強大なツァーリ権力」が領土拡大と植民による多民族国家化の過程で形成されていく。歴代皇帝によって血で血を洗う権力闘争を経て築かれる強権支配の過程は、本書で活き活きと描かれていくので、非常に読み応えがある。傀儡として誕生したロマノフ朝初代ミハイル・フョードロヴィッチ、農奴制を敷き専制君主としてのツァーリ支配の幕を開けた二代アレクセイ、歴史劇の主人公そのままの劇的な人生を送りロシアを急成長させるピョートル大帝、農民の娘からピョートルに見初められ夫の死後女帝へと駆け上がるエカテリーナ1世、啓蒙専制君主として欧州列強の一国へとロシアを躍進させた女帝エカテリーナ2世、ナポレオンと覇を競ったアレクサンドル1世、農奴解放に始まる一連の大改革を主導しながら凶弾に倒れたアレクサンドル2世、経済成長とユダヤ人虐殺(ポグロム)とでロシアの光と影を象徴したアレクサンドル3世、そして最後の皇帝ニコライ2世。

彼ら、特にエカテリーナ2世以降の君主に共通するのはいずれも一面的な暗君・愚君と評価されるような人物がいないことだ。彼らはいずれも功罪相半ばする。一方でツァーリとしての専制的な権力の維持、一方で上からのリベラルな改革という二つの政策の間を行き来しながら、巧みに体制を維持しようとした。

逆説的だが、彼らがいずれも、決して愚かではない君主であったがゆえに、帝政ロシアは壮絶過ぎる滅亡を迎えたのかもしれない。最後の皇帝ニコライ2世はピョートル大帝以前の古風なツァーリ像への回帰を範としていたという。偉大な君主像への固執が時代と乖離することに気付かないまま、彼はロマノフ朝の歴史に終止符を打つことになった。ロマノフ朝の歴史にはどこか「名君の呪い」のようなものが感じられてならない。

追記。本記事は2007年講談社刊版をもとに書評を書いていますが、2016年、講談社学術文庫より増補改訂されて再刊されています。

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