「人種主義の歴史」ジョージ・M・フレドリクソン 著

人種主義(Racism:レイシズム)」は歴史上どのような過程を経て登場してきたのか?西洋における人種主義の歴史と全体像を丁寧に描いた一冊。

「人種主義」は現代においては「外国人嫌悪(Xenophobia:ゼノフォビア、クセフォビア)」とともに表面化してくることが多いが、歴史的には、古代から様々な民族集団・共同体で見られる「外国人嫌悪」や「自民族(自文化)中心主義(Ethnocentrism:エスノセントリズム)」と「人種主義」の登場とは直接の関係は見られない。

フレドリクソンは、「人種主義」の起源を十五世紀のスペインに求めている。宗教的寛容と多文化共存が両立した中世スペイン社会はペストの流行に基づく社会不安や市場経済の進展による既存秩序の動揺、イスラーム勢力との対外戦争、統一国家の建設を背景とした国威発揚など様々な要因からユダヤ教徒を「血の浄化」という血統主義に基づく差別・排除を行う「宗教的不寛容」が生じる。同時に非ヨーロッパ圏への進出と植民地化はその支配の正当化・合理化の過程で「支配民族優越主義」が生じ、植民地支配の進展、ダーウィニズム、ロマン主義などの影響を受けつつ「宗教的不寛容」は近代ヨーロッパにおける「反セム(ユダヤ)主義」へ、「支配民族優越主義」は同じく十九世紀に「白人至上主義」へと発展していった。

「白人至上主義」は包括的人種主義に、「反セム主義」は排除的人種主義にまとめられる。包括的人種主義では人種に基づく差異化に基づいて人種隔離や排除、奴隷化など同一の支配体制下で従属的な地位に置かれるが、排除的人種主義では同じ社会で共存することは無く追放や強制移住、場合によっては虐殺が行われることになる。

この「反セム主義」と「白人至上主義」を二つの大きな流れとする「人種主義」を合法化し実践したのが、「反セム主義」の流れを汲むナチス・ドイツの絶滅政策と、「白人至上主義」の流れを汲む1880年代から1950年代にかけてのアメリカ南部「ジム・クロウ法」体制、および1948年~1990年代初頭の南アフリカ「アパルトヘイト」体制である。この三つを「明示的人種主義体制」と呼び、これらの成立、思想、歴史について詳述されている。

大量虐殺にまで至った点でナチス・ドイツの極端さ・非人道性は群を抜いているが、一方で差別される対象を選ぶ際の人種的純血性への拘りはナチスよりも米国の黒人差別の方が厳格であった。

これらの体制に共通する特徴は以下の五点だという。(P188)

(一) 人種主義を政策実践するためのイデオロギーが公式に存在すること
(二) 異人種間の結婚が法的に禁止されること
(三) 人種隔離が合法化されること
(四) 民主的な政治体制でありながら人種化されたマイノリティ集団は市民権が制限されること
(五) そうしたマイノリティ集団は必ず最下層に従属化されて貧困状態に置かれること

人種主義の原動力となったのは、第一に「神の前の平等」という観念である。同じ神を信じる者同士が平等であるということは、すなわち違う神を信じる者は平等ではないことになる。『「神の前の平等」は人々を無差別に均等化する普遍主義的な面と、特定の人々に対してその均等化を制限するという特殊主義の面を併せ持つ』(P184)。市民革命を経て神の前の平等から市民であれば信仰や社会的帰属に関係なく市民権を付与するようになる過程で、一方では反人種主義的な普遍主義思想が生まれ、もう一方で市民と市民で無い者とを切断する判断基準として啓蒙主義思想と近代的科学に基づく人種の観念が生み出される。

第二の原動力が民族=国民の観念としてのナショナル・アイデンティティの誕生であり、第一、第二の条件を前提として明示的人種体制を初めとする様々な人種秩序体制を推し進めたのが第三の要因、「国民主義=民族主義的な怨恨」である。

『これらすべてのケースにおいて、敗北や不名誉の実際の加害者――合衆国北部、第一次世界大戦の連合国、英国――は、あまりにも強力で、少なくとも短期的には実力行使に及ぶべくもない相手だったために、身近で痛めつけやすい「他者」をスケープゴート化することは、国民主義=民族主義にもとづくプロジェクトの失敗による屈辱と挫折感を処理するためのひとつの方法だったのである。どの場合にも近代的な環境に移行する前に存在した人種秩序体制を推し進める力は存在したが、人種主義が国民主義=民族主義的な怨恨(ressentiment)に結びつくと、もっとも容易で極端な方法に訴えるような激しい感情が引き起こされた。』(P105)

ナチス・ドイツが巻き起こしたあまりにも残酷な殺戮への衝撃と反省、人種主義秩序を支えていた植民地体制の崩壊が第二次大戦後急速に「人種主義」の説得力を消滅させていく。米国の1960年代の公民権運動の隆盛とジム・クロウ法体制の解体の要因として「外圧」を挙げているのは白眉であると思う。南アフリカのアパルトヘイト体制は戦後始まり特殊な状況で1980年代末までもったが、60年代以降は外交的に孤立し、70年代に入るとむしろアパルトヘイト政策の弊害から経済も社会もずたずたになり、反アパルトヘイト運動の激化で自壊していった。

アパルトヘイト体制崩壊後、人種主義は衰退したかというとそうではない。周知の通りむしろ二十一世紀に入って世界中で活気づいている。フレドリクソンは現代の人種主義を「新人種主義」と呼んでいる。それらは『文化と宗教に基づく衝突の産物』(P148)でその差異が人種的差異へと結びつけられる。

『「文化主義」と人種主義の間の境界はたやすく越えられる。文化そして宗教さえ、生物学的な人種主義と同等な機能を果たす地点にまで本質化されうるのであり、現にそうしたことは、最近でも合州国や英国の黒人、キリスト教が優勢な諸国に住むムスリムへの見方においてある程度生じている。』(P148-9)

文化主義とともにエスニック集団同士の対立も冷戦構造の終結以降世界中で表面化しているが、エスニック集団同士の差異やエスニック・アイデンティティの自覚が人種主義へと発展する要素として『エスニック集団の間にある差異が不変的なもので、消去できないと信じられているかどうか』、『人種の名の下での権力の行使や、そこから生じた支配や排除のパタンに、イデオロギーが結びついている』(P176)かという二点が挙げられている。

この本が素晴らしいのは、フレドリクソンの鮮やかな分析と整理はもちろんのこと、巻末の「訳者解説――日本の人種主義を見すえて」である。訳者李孝徳氏によって、フレドリクソンの西洋主義的視点を批判的に見つつ、論点を整理して、フレドリクソンの分析に基づいて近代以降の日本の人種主義秩序の成立過程をあきらかにしている。異種婚の禁止が無いだけで、大日本帝国の植民地統治体制は「準明示的人種主義体制」とでも呼べるものであったとされている。著者による欧州における人種主義の登場と浸透・人種主義秩序の成立までの歴史、概念の整理と訳者による本書の論点に基づく近代日本の人種主義体制への敷衍と、「人種主義」を歴史的に理解するための基本書として非常に有用な一冊となっている。

ところで、フレドリクソンによると現代の反ユダヤ主義の特徴として『合州国では、黒人への憎悪とユダヤ人への憎悪は超人種主義者の頭のなかでは統合される傾向があり、インターネット上では、アフリカ系アメリカ人は白人キリスト教徒のアメリカの破壊をたくらむ悪魔のようにずるがしこいユダヤ人の愚かな使徒として描かれている』(P147)とのことだが、日本の場合、反ユダヤ主義は反西洋主義と結びついて、ユダヤ人に支配された欧米諸国から日本人の純粋性を守るとか、日本の国家としての自立を目指すとか、ユダヤに支配された欧米を信じてはいけない、といったロジックになっているように見えるのが興味深いところだ。

また、人種主義について、ジョン・ソロモス/レス・バックの意見を紹介して『特定の社会-歴史的な文脈にある一連の思想や信念から着想や価値観を文脈抜きにつまみ食いしては利用することで力を得ている』がゆえに『ゴミ漁りのイデオロギー』(P8)であるというが、この指摘は「ゴミ漁り」で終わらせず、人種主義が非常にポストモダン的な特徴を持っていると言うことではないかという考察の方に進める方が良いような気もする。歴史的文脈を抜きにつまみ食いして利用するという特徴は現代の新興宗教の多くにも共通するものだ。

あと、現代に残る「明示的人種主義体制」の例として米国内の「インディアン部族国家」の存在を指摘しておく必要があるんじゃないかと思う。苛烈な迫害の歴史の帰結としてネイティブ・アメリカンは血の純潔を重視した自治体制を築くことになった。この歪みはよく理解しておくべきだ。これについては「「ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在」鎌田 遵 著」を参照のこと。

ということで精読をお勧めしたい一冊。

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