「海の武士団 水軍と海賊のあいだ」黒嶋 敏 著

中世日本、荘園公領制の成立によって地方の富が中央へと輸送・集約される必要性から、海上輸送において武力による保護・管理が求められると、武士たちは各地の湊や沿岸地域に勢力を持ち、海上交通に知悉した『海の民を編成し、海上の武力として組織化』しようと試みる。そのような『沿岸地域に所領を持つ武士が中核となって形成された社会集団』(P16)は「海の武士団」という言葉でまとめられることが多い。

本書はそのような意味の「海の武士団」というタイトルがつけられているが、著者はむしろその「海の武士団」ということばの曖昧さに疑問を呈し本質的な問題があるとしている。

『海の民が武士に編成されるのは戦争時に限定される。かといってそれを「海の武士団」としてしまうと、職業的な武士が彼らの大多数だったかのような印象を与えることになる。彼らのなかには、名字を持ち、侍身分を獲得していたものもいたことは確かだが、かといってその集団が「武士団」なのか。これは陸上における武士団にも当てはまることだが、兵農未分離の中世社会において、固定的な「武士団」を措定してしまうことにそもそもの限界があるともいえる』(P21)

そのうえで、海の武士団、海賊、水軍、などと呼ばれたり、あるいは海の領主、海の民とされる――『時には「海賊」的な行為に手を染めて体制側から「悪」と蔑まれることもあれば、権力者側に海上の軍事力を提供して「水軍」としての活動も見せつつ、通行者からは「関」と呼ばれたように、流通という場面で大きな存在感を発揮していた』(P30)――人びとを包括的に「海の勢力」として十三世紀から十六世紀末までの彼らの姿を描いていく。であるなら、何故タイトルが「海の武士団」なのか疑問を感じたりもするのだが、著者が書いているように『便利で使い勝手がいい言葉』(P21)ゆえだろうか。

タイトルと論旨のギャップにはてな?と思いつつも本書で描かれる「海の勢力」論は非常に面白い。

キーとなるのは中世の寄船慣行である。

中世、漂着船の積荷やその船はその土地のものとなり、自由に略奪してもよいとする慣行が存在していた。また港に停泊中であっても、海水が滲み込んだ積荷も同様に無主物とされて、その港のものたちが没収しても良いとされている。一方で、このような慣行がまかり通っては運搬者の方はたまったものではない。そこで妥協点として「津料」とよばれる入港した船や積み荷に対する賦課が課され、それを支払うことで安全が保障される。「津料」はその用途や徴収者などから関税というよりは通行料というところだ。また、沿岸地域はそれぞれの海の勢力によってナワバリが定められていたから、その航行の安全のため、「上乗」と呼ばれる航行航路上の各勢力のメンバーを水先案内人として一定額支払ったうえで同乗させることで、襲撃や略奪から守られていた。また上乗は「過所旗」と呼ばれる旗で代用されることもあったという。

このような寄船慣行に基づく通行料を徴収し収入とするのは誰か、航行上の安全を担保するのは誰か、を巡る海の勢力、在地の武士団、支配階級、幕府、といった様々なアクターの関係性と変化が丁寧に、ダイナミックに描かれている。

海の勢力を支配下に編成しようとした鎌倉幕府、海の勢力と癒着し武士階級と一体化して政権中枢までローカルの論理に翻弄される室町幕府、統制から外れあるいは中央の政争とリンクして跋扈する海の勢力、海の勢力を掣肘して徐々に支配・再編していこうとする戦国大名たち、そして戦国時代の終わりとともに、海の勢力はあるものは武士として編成され、あるものは廻船衆となって交易・海運業へと転換し、あるものは海外に傭兵として乗り出し、そして秩序に組み込まれることのなかった海賊・悪党は滅びの道を歩まざるを得なくなる。

特に面白かったのは、鎌倉幕府による海の勢力への介入の始まりの描写で、鎌倉幕府の安定は第三代執権北条泰時の代に始まるが、彼による鎌倉の人工島和賀江島の建設(1232年)の背景に海の勢力取り込みの意図を見出している。前段階として1230年から1232年にかけて続く寛喜の飢饉と疫病の蔓延があり、飢饉対策として最重要だったのが流通の円滑化だ。陸運が大量輸送に適さない時代、流通の円滑化のためには海上交通の安定化が最重要となる。1231年、「西国海賊事」で海賊の禁圧と兵士としての再編成を定め、「海路往反船事」で寄船慣行の禁止を定めた。続く1232年、和賀江島竣工の翌日「御成敗式目」で訴訟審理の合理化迅速化が行われた。同時期西の政権である朝廷でも玄界灘に人工島を建設し、関白九条道家主導で「寛喜の新制」が出された。これらは徳政の一環としての海の勢力への介入という構図で、非常にエキサイティングな論考だ。

以降、室町時代に海の勢力と癒着して海賊行為に精を出す守護大名たちの様子も面白いし、織田信長の上洛前の政権が伊勢湾を囲むように展開していることから物流の大動脈を抑えていたとする「環伊勢海政権論」に対し、上洛前は伊勢への影響力は限定的で伊勢湾の掌握は天正四年(1576年)以降とする反論なども非常に的確だと思う。

そんなわけで非常に面白かったので海の勢力についてさらに掘り下げた論考に期待したい。

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