「神聖ローマ帝国 1495‐1806 (ヨーロッパ史入門)」ピーター・H・ ウィルスン 著

「神聖ローマ帝国」は実に茫洋としている。ヴォルテールが評した有名な「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国でもない」という言葉の強い印象もあって、とらえどころがないイメージをさらに強くする。欧州史を調べていても、そのときどきの神聖ローマ帝国にまつわる様々な事件については理解できても、なんとなく「神聖ローマ帝国」そのものについてはあまり理解できているとはいえない。

それは本場ドイツの研究史でも同様なようで、どうしてもプロイセン中心史観が長く歴史学の主流であったため、神聖ローマ帝国の時代を断片的な支配力と政治権力の分散によって国家統一を遅らせた停滞の時代という捉え方がされがちだった。戦後、このような捉え方は大きく見直されて実証的な研究が進んだが、それでも神聖ローマ帝国について十分に研究されてきたとは言えないようだ。しかし、現時点で明らかになっている「神聖ローマ帝国」とは何だったのか?という問いへの答えを、本書では1495年以降に描写を区切ることで鮮やかに整理し、わかりやすく描いていて、読んでいて様々な発見があり面白い一冊になっている。

本書では、第一章で神聖ローマ帝国を巡る研究史が詳述され、第二章で1495年のマクシミリアン1世の即位を神聖ローマ帝国の画期としその後を四期に分けて各期の特徴を概観し、第三章で帝国の主要な制度と特徴を九項目に分類して詳述している。第二章、第三章の目次を紹介すると話が早い。

第二章 国制の発展
1 一四九五年までの発展
2 帝国改造の時代
3 宗派対立期
4 皇帝の復興と帝国政治の国際化
5 オーストリアとプロイセンの競合と帝国の崩壊

第三章 主要な制度と傾向
1 皇帝
2 帝国議会
3 帝国裁判所
4 帝国税
5 帝国防衛
6 帝国クライス
7 帝国教会
8 帝国イタリア
9 領邦絶対主義

神聖ローマ帝国はいつから始まったか?とりあえず歴史はカール大帝(シャルルマーニュ)の戴冠(800年)まで遡るが、オーソドックスなところではオットー1世の即位(962年)とされる。しかし、このとき彼らはどちらも「神聖ローマ皇帝」になったわけではない。歴史的にはカール大帝の版図はフランク王国あるいは単に王国と呼ばれ、オットー1世のそれはローマ帝国あるいは単に帝国であった。

神聖ローマという名称の登場は十三世紀半ばのことだとされる。皇帝即位が『教会と教皇の守護者(defensor ecclesiac)としての地位を象徴する司祭への叙任、および古代ローマ皇帝を直接継承するヨーロッパ唯一の皇帝という俗界の支配者としての戴冠』(P65)とされたがゆえの「神聖」だが、すでにこのころには皇帝選挙制が形成され、その後の教皇と皇帝との対立の果てに、1508年、『ローマ王に選ばれた者は、教皇による戴冠式を経なくても、皇帝の称号を用いることができる』(P65)ことになった。

そんなこんなで、はなから「神聖でもなければ、ローマ的でもない」というように名は体を表さない傾向が強いのだが、一方で、必ずしもそうともいえない。確かに教皇との対立と皇帝権の司祭性の形骸化はあっても、帝国教会の聖職者たちが帝国において非常に重要な役割を担っており、また帝国のイタリア領もまた非常に密接な関係があったことが本書では描かれており、これらは「神聖でもなければ、ローマ的でもない」と言う表現への一定のカウンターとしても働く。このあたりの本書のバランス感覚が非常に面白い。

また、色々目からうろこだったのが「帝国裁判所」についてだ。戦争に次ぐ戦争の中から公共の平和を模索する試みとして中世後期以降司法改革が進められ、皇帝と諸侯との駆け引きの産物として諸侯による皇帝権から自立した「帝国最高法院」(1495年)と皇帝に直属する「帝国宮内法院」(1498年)の二つの最高法廷が十五世紀末に相次いで設置された。これまで帝国の司法の混乱と捉えられることが多かったが、むしろ二つの最高法廷が相互に牽制することで、諸侯の領民が地元の裁判所に拒絶されても上訴することを可能にした。ただし、判決の執行をクライス(皇帝と諸侯の中間に位置する行政単位)に委ねられたことで執行に際して様々な協議が必要ともなった。

このような帝国裁判所の設置について著者は、帝国の司法化、帝国内部の領邦同士の係争の解決、宗教的緊張の緩和の三つの効果があったことを評価している。帝国裁判所が介入することで様々な面で司法プロセスに乗った手続きを行うことが一般的になり、領邦同士もすぐに武力に訴えるのではなく話し合いや訴訟の場での解決を目指すようになり、国内の宗教的緊張、特に『帝国最高法院は、自白を引き出すために拷問を用いた「魔女」裁判を抑制することに成功している』(P81)。特に十八世紀に入って帝国内の領邦同士の紛争は自制的な傾向があるようだ。ただし、国外の緊張要因が絡むと抑止力を失い、より大規模な国際戦争に突入してしまうという弱点があった。また、魔女狩りについては、確かドイツはかなり盛んな地域の一つではあったので、必ずしもそのまま鵜呑みには出来ないが、一方で、同じく魔女狩りが盛んなフランスでも高等法院の介入が魔女裁判に一定の抑止力を持ったという事実はあるので、どれだけ各地の裁判に介入できたかが大きな判断要因になるだろう。もちろん魔女狩りに留まらない各宗派(教派)対立の抑止にも効果があったようだ。

中世~近世における司法システムの役割について、神聖ローマ帝国を例にした一つのモデルを把握できる内容になっている。

あと、神聖ローマ帝国を理解するのに欠かせないのが「帝国クライス」の存在だが、これについては本書も参考書籍の一つに挙げられているwikipediaの記述が非常に詳しい。簡単に要点だけまとめておくと、古くから帝国統治のために、皇帝と諸侯との間に行政単位を作ろうとする試みがあったが、これが実現したのがやはりマクシミリアン1世治世下のことだ。1500年、帝国領土を地域ごとに六つの行政単位(クライス)に分け、諸侯の代表者複数名をその行政単位の責任者とした。1512年には四つの地域が追加されて十のクライスとなり、このクライスでの代表者会議が各クライス内での諸侯・帝国等族の調整・統治機能として滅亡まで機能した。ただし、地域ごとの力の差や、複数のクライスに領土を持つ大領邦の存在による利害関係の複雑化などによって一時弱体化した時期はあったが、十八世紀半ば以降、特に対外戦争が活発化し帝国防衛の重要性が増す中で復活した。

ほか、色々発見があって書き切れないので、神聖ローマ帝国について良く知りたいと思う方はぜひ読んでみると良いと思う。ただし、大きな歴史の流れとか細かい事件・人物の説明は概ね省かれて、テーマに絞られているので、これを入門とするのではなく、何冊か通史のテキストを傍らに置いて色々引きつつ読むのが良いだろう。いわば、少し詳しく知りたいと思い始めた人向けの一冊というところかな。

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